3443通信 No.362
ラジオ3443通信「江戸時代の医学事情」
ラジオ3443通信は、2010年から毎週火曜10:20~fmいずみ797「be A-live」内で放送されたラジオ番組です。
ここでは2012年10月2日OAされた、学校健診にまつわる話題をご紹介いたします。
88 江戸時代の医学事情
An.
三好先生、前回は三好先生の学校健診をしておられる北海道白老町に、三好先生のご先祖が蝦夷地警備の責任者として赴任していた幕末の頃のお話でした。
その時代、世界は激動していて、クリミア戦争が起こりナイチンゲールが活躍していた、と伺いました。ただし、赤十字で有名なナイチンゲールの活躍は、当時医学が発達していなかったために、医師はケガ人に対し極めて未熟な対応しかできなかった、そんな背景があったとお聞きしました。なぜならその頃のお医者さんは内科中心で、戦闘の負傷者に対する外科手術は床屋さんが担当していた、と教えて頂きました。
Dr.
内科医が医学の中心だったのは、外科手術の基礎となる解剖学、つまり人体の地図に相当する学問が不十分だったためです。
An.
江戸時代の日本と同じように、人体の構造が良く分かっていなかったために、漢方医学が主流だったと、江澤は聞いたことがあります。それに対して、長崎の出島にやって来たオランダ人たちの中に、シーボルトなど西洋医学の名医がいて、みごとなメスを振るった。そのために当時の日本では西洋医学を、「蘭方(らんぽう)」と呼んで日本中から長崎に勉強に行った。そういうお話だったように記憶しています。
Dr.
その通りです、江澤さん。相変わらずサエてますね。
An.
そんなお話の印象が、すごく強いためでしょうか。江澤は、西洋医学の世界では、外科的な治療がとても発達していて、外科こそ世界の医学の主流だった、みたいな錯覚を持ってました。
でも、三好先生のお話を伺うとその西洋医学も、もともとは内科主体だったという事実に、ビックリです。
Dr.
戦争が外科の医療技術を必要としたわけで、戦場に出た床屋さんたちが、切開・切断などの外科的手技を身に付けたわけです。
An.
その意味では徳川幕府の鎖国政策は、国内で戦争の発生する可能性を、限りなくゼロに近付けたんですから。外科的医学の発展は難しかったんでしょうね。
Dr.
江澤さん、良いところに気が付きましたね。江澤さんは、目のつけどころがやっぱり鋭いですよ。
日本で外科が発展するのは、私の先祖である三好監物の時代つまり戊辰戦争のときなんですけど、ね。
でも外科が進歩するのは、先程お話ししましたように、解剖学の知識が行き渡っている必要があります。
An.
解剖学抜きにメスを振るうのは、地図を見ないで未知の土地を走るようなものですからねぇ。
Dr.
道に迷ったりして(笑)。
An.
三好先生、お話はもしかして「解体新書」の話題になるんじゃありませんか?
Dr.
さすが1を聞いて10を知る江澤さん。その通りです。
この解体新書については、もはやご説明の必要は無いと思いますが。いわゆる「ターヘル・アナトミア」という、オランダ語の解剖学書を、日本の蘭学者たちが翻訳した医学書です。
An.
先生、その「いわゆる」というのは、何でしょう?
Dr.
この本は元々、ドイツ語の解剖学書でして"Anatomishe Tabellen" という題名の本の、オランダ語訳なんですけど、ね。
An.
それはいったい、どういう意味なんでしょう。
Dr.
Anatomisheが「解剖学の」という内容で、Tabellenが英語のTable つまり「表」なんです。
An.
それじゃあ、解剖学の表という題名なんですね?
Dr.
簡単にご説明しますけど、ね。オランダ語の本の名前は実は「ターヘル・アナトミア」ではなかったんですけど、翻訳した人たちがそう呼び習わしていまして。その通称が、今でも有名なんですよ。
An.
そうだったんですか。ちっとも知りませんでした。
Dr.
いずれにしても、そうした正確な解剖学の知識が日本で広まるようになって、それから本格的に外科学が普及します。
ですから解剖学の未発達だった時期の、シーボルトによる医学塾。これを鳴滝塾と呼ぶんですけど。そこでは系統的な医学の講義はなされなかった、というかできなかったんですね。
An.
へぇー。そうだったんですか。
Dr.
病人の症状を見て病名をつけ、対応法を教えてその技術を伝える。すごく臨床的、すなわち実際的な実地訓練だったと言われます。
An.
臨床医学は、目の前で役に立つ医療技術の集大成ですもの、ね。現場の日本の医師たちには、シーボルトの指導はすごく良かったんでしょうね。
Dr.
でも例えば外国語を勉強する語学でも、日常会話を覚えるのと、ABCから系統的に学ぶのとでは違います。
英語で言えば、「グッド・モーニング」や「サンキュー」が使いこなせるのも重要なことですが、シェークスピアが読めると、達人の域ですからね。
An.
医学でもそれは同じで、日常的なケガの治療とか一般的な診療と、その背景にある人間の体そのものに対する深い理解とでは、かなりレベルが違うんでしょうね。
Dr.
さすが、1を聞いて10を知る江澤さん。幕末の日本における西洋医学の導入の本質を、鋭く指摘してますよね(笑)。
で、平和だった江戸時代の日本が再び戦争に直面するのは、ご存じ戊辰戦争です。
An.
三好先生の、ご先祖の時代なんですね?
Dr.
それまでの時代には無かった、銃が頻繁に戦闘に使用され、負傷兵のケガは刀の切傷ではなく、銃弾によるそれになります。
当時の医師たちは、軍医としてケガの治療に携わりますが、それまでのケガに対する治療法では、銃弾の傷は治りません。人体に食い込んだ銃弾を摘出しなければ、ケガは悪化する一方なんです。
An.
それには、切開や切断などの外科的知識が必要なんですね。
Dr.
当時の日本には、フィガロはいなかったんです(笑)。お話は続く、です。