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2024年11月 No.357

 

豪華客船にっぽん丸でいく
日本一周クルーズに参加しました3

院長 三好 彰

図00 39~


 前回から引き続き、豪華客船にっぽん丸でいくクルーズツアーで寄港した名所旧跡について、ご紹介していきます。

絶景の隠岐諸島へ
 前号で佐渡島を訪れた私たちは待望の青空の下、紺碧の日本海をゆったりと南下を続け、隠岐諸島へと辿り着きました(図39、40)。
 今回寄港したのは、島前(どうぜん)の西ノ島です。
 隠岐は約600万年前の火山活動によって形成された大小180余りの島々からなる諸島です。火山噴火ののちに陥没した土地に海水が流れ込み、島前カルデラとなった姿が現在の隠岐となっています。
 島根半島の北方約50キロに位置していますが、隠岐と本土とはかつて陸続きとなっていた時代もあり、諸島と本土の間の水深は70メートルほどと地続きであった由縁が感じられます。

図39
 図39

図40
 図40


いざ、上陸
 にっぽん丸に搭載されたテンダーボートへと乗り換えて西ノ島の浦郷港に上陸。西ノ島内の名勝旧跡を巡ります(図41~47)。

図41
 図41 舷側に固定されているテンダーボート

図42
 図42 クレーンで降ろす様子

図43
 図43 無事に着水し発進!

図44
 図44 ボートから見た空

図45
 図45 港まであと少し

図46
 図46 到着です

図47
 図47 ボートの位置が画面で表示されています


山本幡男顕彰之碑
 西ノ島でも随一の名勝である摩天蓋。その絶景をのぞむ場所にある石碑が目に付きました(図48)。

図48
 図48 断崖に佇む石碑


 その碑に刻まれた“山本幡男”という方の名前を、皆さんはご存じでしょうか?
 2022年12月公開の二宮和也主演の映画『ラーゲリより愛を込めて』の元となった実在の人物で、日本帰国を切望しながらもシベリアの地で命を落とした捕虜の一人です。

 原作は辺見じゅん氏の小説『収容所から来た遺書』で、ロシアの語学・文化・経済・軍事に類まれな能力を発揮した山本は、大戦中に満州鉄道の調査機関である通称“満鉄調査部”に入社し、その実力を遺憾なく発揮しました。大戦末期の1944年に徴兵された山本はハルビン特務機関に配属され、日本が降伏すると侵攻してきたソ連軍によって捕らえられ収容所に抑留されてしまいます。
 スパイ容疑の掛けられた山本の刑は重く、重労働20年という判決を受けてしまい、1954年8月に死去するまでの約9年間、ソ連各地の収容所での厳しい捕虜生活を強いられました。

 収容所において山本は、その豊富な知識と巧みな話術で捕虜たちの士気を高め、句会や映画会などを企画し、必死に仲間たちの帰国への希望を絶やしませんでした。

 しかし、病魔が山本を襲います。

 日本への帰還が困難であることを悟った仲間の勧めにより、山本は日本に残した妻へ遺書を認めます。ソ連の検閲で日本語の書かれた物は没収、持参した人も収容所に逆戻りとされていたので、山本の仲間たちは遺書の内容を分担して丸暗記したそうです。
 そして順次帰国の途についた仲間たちの一人ひとりにより、山本の妻の元へ少しずつ遺書の内容が全て伝えられることになりました。
 最後まで帰国することを諦めず、抗い続けた山本のエピソードは多くの人の心を打ちました。写真の石碑は2000年に有志の手によって建てられたそうです。

隠岐最大の景勝地・摩天崖
 海蝕作用によって生まれた大絶壁である摩天崖(図49~53)。
 その高さは257メートルにもおよび、まるで巨大なナイフで切り取ったかのような垂直の壁が思わず息を呑むほどの情景が約7キロにわたって広がっています。

図49
 図49 お天気は快晴

図50
 図50 絶景の摩天崖

図51
 図51 エメラルドグリーンの海

図52
 図52 最高のロケーションです

図53
 図53 日本とは思えない景色


 視界を遮るもののない絶景ですが、その立地から大戦中はここに軍の監視所が設けられていたそうです(図54)。
 日本海を行き来する軍艦を見るには絶好の視界と高さのある摩天崖。身長170センチの人が海抜0メートルに立った場合、水平線(見える限界)は約4.4キロメートルとされていますので、摩天崖ある監視所からは大体50キロ先まで見えるそうです。
 そのため本土(鳥取県)にそびえる大山(標高1,709メートル)の雄姿が、水平線の彼方に見ることが出来ました(図55)。

図54
 図54 監視所跡の解説

図55
 図55 うっすらと山頂が見えるのが大山です


 この隠岐諸島はかつて日本海を行き交った北前船の航路にあたるため、島には様々な地方の文化が流れ着いたとされています。越後の民謡が元とされる『しげさ節』(図56)もその一つとされ、毎年5月にあると島内で開催される“しげさ踊りパレード”には、数千人もの観光客が訪れ、法被に身を包んだ島民のしげさ踊りを楽しむのだそうです。

図56
 図56 しげさ節


 また、この隠岐諸島には潮流の関係でイカの大群が押し寄せてくるそうで、明治から昭和の中頃にかけて大量のイカが浜辺にまで打ち寄せされている光景が見られたそうです。イカ漁が盛んな今では浜辺に押し寄せる前に漁船によって捕獲されるため、その壮大な光景が見られることは稀なのだとか(図57、58)。

図57
 図57 名物のイカ

図58
 図58 イカと一緒に!(イカさまではありません)


観光船で巡る国賀めぐり
 隠岐に来たのも船ならば、隠岐の楽しむのも船ということで、島を巡る観光船に乗り込んで摩天崖のある国賀海岸を船上から望みます。
 観光船はまず『船引き運河』(図59、60)と呼ばれる西ノ島の中央部に掘削された運河で、1915年(大正4年)に総工費17,000円(現在の約4,000万円)で建設されました。

図59
 図59 運河を進む観光船

図60
 図60 重要な水上交通路です


 運河を抜けると、エメラルドに染められた日本海が広がっています。そのまま沿岸沿いに船を進めていくと、首を一杯にまで見上げるほどの断崖が目の前に迫って来ます(図61、62)。その感想はド迫力の一言でしかなく、荒々しい粗面玄武岩が海蝕によって出来た洞穴が随所に見られました(図63~65)。

図61
 図61 海から見る摩天崖 

図62
 図62 地層が良く分かります

図63
 図63 断崖に近付く観光船

図64
 図64 洞穴の一つ

図65
 図65 驚くほどに綺麗な海


明暗の岩窟(あけくれのいわや)
 その中でも特に大きな洞穴が、明暗の岩窟(あけくれのいわや)と呼ばれる天然のトンネルです(図66、67)。その長さは250メートルで、波の高さや潮汐の関係で船で通り抜けられるのは3回に1回くらいという確率なのだそうです。その美しさは、有名なイタリア・カプリ島にある「青の洞窟」に勝るとも劣らないとか。

図66
 図66 いまにも壁にぶつかりそう!

図67
 図67 まさに冒険です


観音岩(かんのんいわ)
 奇岩・巨岩がひしめく海岸(図68)に、ひときわ異様に尖った岩が観音岩(かんのんいわ。図69)です。見る角度によっては、まるで観音様の立ち姿のように見えることがその名の由来です。特に夕日が落ちる際、観音岩の天辺に火が灯るように見える様から、別名ローソク岩とも呼ばれており、その景色は日本の夕日百選にも選ばれています。

図69
 図69 観音様の立ち姿に見える”観音岩”


 日程の関係で、あいにくと夕日を見ることは出来ませんでしたが、一度は足を運んでみたかった場所でもあったので新鮮な気持ちで見学することが出来ました。
 西ノ島の観光を終え、にっぽん丸に戻ります。
 ゆったりとした午後の時間を船内で過ごし(図70)、船内で食事をとり(図71)、暮れなずむ日本海の景色を楽しみました(図72)。

図70
 図70 船内の図書室

図71
 図71 夕食

図72
 図72 陽が沈みます……

つづく

【前話】にっぽん丸でいく日本一周クルーズレポ2

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