3443通信3443 News

2024年9月 No.355

 

豪華客船にっぽん丸でいく
日本一周クルーズに参加しました 1

院長 三好 彰

図00a図00b


 毎年、夏を迎える度に「今年は特に暑い……」と、思わず口にしてしまう茹だるような猛暑が続いています。
 この暑さに築20年を超える院内のエアコンも青色吐息の状態となってしまったため、一週間のお休みを取って空調設備の交換を行いました。
 その間、外来を始めとする一切の作業が出来なくなってしまうため、その期間を利用して、かねてから希望していた豪華客船でいく日本一周クルーズに参加することにしました。

 本ツアーで乗船したのは、昨年9月に『利尻・礼文島を巡るクルーズ』(3443通信 No.344)でもお世話になった豪華客船にっぽん丸です。
 このにっぽん丸は日本船籍のクルーズ船3隻の内の1隻で、比較的お手頃な費用でクルーズが楽しめるということから非常に人気の高い客船です。今回は1週間かけて日本を一周する長い船旅ということで、いやがおうにも期待が高まってしまいます。
 主なルートは、仙台港を起点にして北海道の函館、日本海に浮かぶ佐渡島、断崖絶景の壱岐島、大分県の湯の街“別府”、その後は二日かけて太平洋を航海しつつ仙台港に戻って来ます(図1)。

図01
 図1


 船内の様子などは前述の利尻・礼文島クルーズの記事にてご紹介したので、本レポートでは寄港地で巡った名所旧跡についてご紹介したいと思います。

戊辰戦争最後の戦場である函館・五稜郭
 函館と言えば、必ず訪れる観光地の一つがこの五稜郭ではないでしょうか。地図を広げてみると街の真ん中に可愛らしい☆型の地形が目に付きます(図2~4)。これこそ幕末から明治にかけての時代の切り替わりに起きた旧幕府軍と明治新西軍による戊辰戦争、その最後の戦場である五稜郭です。
 もともとは江戸幕府が北方警備のための役所として築造しましたが、旧幕府軍に属した土方歳三(新選組の鬼の副長)、榎本武揚(海軍中将)などが逃れてくると、その本拠地として利用されました。

図02
 図2

図03
 図3

図04
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 それまでの日本の城に見られるような立派な天守もなく、迷路のように入り組んだ城郭もない、幾何学的な☆の形という突飛な城は奇異に映ったかも知れません。古代から国の最重要施設とされた城は、防御上の観点から山や丘などの人が立ち入りにくい地形に建てられることが主流でした。やがて戦乱の世を経て治世の時代へ移っていくと、城の役割も軍事から政治色の強い意味を持つようになり、町のある平地に建てられる平城(ひらじろ)が多く建てられるようになっていきます。

 それでも、多くの城は旧来の構造と大きな違いはなく、高い城壁と入り組んだ城郭、権威を示す天守というまさに日本の城! といった姿を保持していていました。
 ですが、戦国期以降の戦争形態が銃や火砲(図5)に重きが置かれるようになると、これまでの刀・槍・弓を想定した造りの城では守りきることが難しくなってしまいました。

図05
 図5


 そのため五稜郭は16世紀頃のヨーロッパで主流となった城塞都市に着想を得て、陵堡と呼ばれる“5つの角”を設けた西洋式土塁を用いた構造を取り入れています。これはそれぞれの“角”に配置された銃兵同士が相互に支援しあえる形になっており、これは現代の戦術にも通じる思想でもあります。
 今では幕末志士の最後の地としての歴史、春の桜や冬のライトアップを楽しめる行楽地として、国内外から多くの観光客が訪れています(図6~8)。

図06
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図07
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図08
 図8


函館朝市と金森赤レンガ倉庫
 函館港の東岸のJR函館駅のすぐ南に広がっているのが、新鮮な海産物が集まる函館朝市です(図9)。戦後の混乱期に農家が野菜を持ち込んで立ち売りしたのがその始まりとされ、その後は米ソによる200カイリ宣言による北洋漁業の衰退によって打撃を受けたため観光地化することで生き残りを図りました。

図09
 図9


 現在では“函館朝市”というブランド力を高める取り組みをしつつ、ふるさと納税の返礼品に採用されるなど知名度を広げています。
 市場のお店では、新鮮な海鮮をつかった昼食を取りました。
 いくら、ホタテ、ウニ、カニが敷き詰められた海鮮丼の他にも、食感がたまらないイカソーメンやイカの塩辛とご飯と相性抜群の内容となっています(図10)。

図10
 図10


 昼食後の腹ごなしに立ち寄ったのは、朝市から南側に立ち並ぶ倉庫群“金森赤レンガ倉庫”です(図11、12)。特徴的な赤いレンガ造の倉庫が等間隔に並ぶ様子は、まさに港町らしい雰囲気が感じられます。今ではその外観はそのままに、内部はショッピングモールやレストランが入っており、函館観光の人気スポットの一つに数えられています(図13)。
 その歴史は1887年に遡り、輸入雑貨などの販売を手掛けた初代・渡邉熊四郎が買い取った営業倉庫業に始まります。

図11
 図11

図12
 図12

図14
 図13


 ですが、1907年に発生した大火によって倉庫は焼け落ち、代わりに耐火性に優れたレンガを用いて新たな倉庫が建築されました。これが今の赤レンガ倉庫として現存しています(図14)。
 今のような商業施設に姿を変えたのは1988年からですが、現在でも数棟は現役の営業倉庫として利用されているそうです。横浜や長崎、神戸と並ぶ港町ならではの赤レンガ倉庫は、時代と共にその中身を変えつつも懐かしい外観はそのままに、訪れる人の目と心を楽しませています。

図13
 図14


 函館を満喫した後、再びにっぽん丸へと戻った私たちは、次の寄港先に向けて船を進めました(図15)。

図15
 図15

つづく

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