3443通信3443 News

2024年9月 No.355

三好耳鼻咽喉科クリニック ラジオレポート
ラジオ3443通信「ベートーベンと失聴」

2023年11・12月号

耳・鼻・喉に関する病気を扱う「三好耳鼻咽喉科クリニック」の三好彰院長は、耳鼻咽喉の診療に携わって45年。今回は2014年10月にfmいずみで放送された内容を紹介します。
[An.…江澤アナウンサー、Dr.…三好院長]

ベートーベンと失聴
Dr.
 ストーリーはグラハム・ベル一家の友人であったバーナード・ショーの話題へと移り、作曲家のワーグナーに至ろうとしていました。でもその前に、ベルの仕事の中で難聴者や難聴児の教育に関する重大な役割について、触れておかないといけません。
An.
 そういえば先生、このお話はもともと「耳の日」から開始されたものでした(笑)。
Dr.
 耳の不自由さは「生まれつき聴覚の不自由な先天性難聴者」と「最初は聞こえていたのに何らかの病気で、途中から聴覚をなくしてしまう中途難聴者」とでは、まるで環境が異なります。1例として「突発性難聴」という病気があります。
An.
「前の日までなんともなかったのに、ある朝、目覚めたら耳が全く聞こえなくなっていた」、そんな病気でしたよね?
Dr.
 人生の前半分は聴覚に不自由していなかったのに、後半から急激に聴力が落ちてしまうと…江澤さんだったら、どうなると思います?
An.
 それまで困らなかった人とのコミュニケーションが全くダメになっちゃうわけですから…江澤だったら、ひたすら困惑するだけじゃないかと。
Dr.
 現実には、突発性難聴は早期治療である程度、聞こえが改善しますし、補聴器だって役に立ちます。とはいえ、前日まで完璧に聞こえていた耳が、ある日急激に聞こえなくなってしまったら、それは精神的にかなりショックです。
An.
 それは分かるような気がします。
Dr.
 突発性難聴とは少し異なるんですけど、徐々に聞こえが落ちて最終的に完全に難聴になってしまうタイプもあります。江澤さんのお知り合いの、あのベートーベンがそうだったんですけれど。
An.
 そうです、先生。あの人は江澤のために「エザーワのために」っていうピアノ曲を捧げてくれたんです(笑)。

3校03【修正】


Dr.
 江澤さん、それって「エリーゼのために」じゃ、ありません?(笑)。
An.
 先生、あれは東北弁でなまって、そう誤解されているんですけど(笑)。
Dr.
 それはともかく(笑)ベートーベンは若い頃から耳が遠くなってきていまして。1802年には不自由な耳に対する絶望からか、有名な遺書を書いています。
An.
 あのベートーベンが!?
Dr.
「ハイリゲンシュタットの遺書」と名付けられた、彼の弟とおいに宛てられたこの遺書には、作曲家という天命を生きていながら音から遠ざかることへの嘆きが連ねられ「ではさようなら、私が死んでも私のことを忘れないでおくれ」と結ばれています。
An.
 でも、ベートーベンは死ななかった!
Dr.
 ベートーベンは苦悩を乗り越え、壮大な名曲を次々に世に問います。
An.
 さすがベートーベン、と言いたいところですが、そんな強靭なベートーベンでさえも、耳が聞こえない状況はとても辛かったと想像できます。
Dr.
 このように人生の半ばで聞こえなくなることを「失聴」、聞こえを失う、と表現します。それに対し、生まれたときから耳の不自由な難聴者にもまた別の困難が伴います。生れつきの難聴者・難聴児に対しても心を尽くしたベルは、実はヘレン・ケラーの教育にも関わってくるんです。お話は続く、です。

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