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2024年8月 No.354

 

三好耳鼻咽喉科クリニック ラジオレポート
ラジオ3443通信「産業革命前後の英国の雰囲気」

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 耳・鼻・喉に関する病気を扱う「三好耳鼻咽喉科クリニック」の三好彰院長は、耳鼻咽喉の診療に携わって45年。今回は2014年10月にfmいずみで放送された内容を紹介します。
[An.…江澤アナウンサー、Dr.…三好院長]

産業革命前後の英国の雰囲気
An.
 三好先生、前回まで「3月3日の耳の日」の話題から耳の病気とそれがもたらすコミュニケーション障害、3月3日に生まれたアレクサンダー・グラハム・ベルの周辺について、お話を伺ってきました。
Dr.
 ベル一家の友人だったバーナード・ショーは、ベルの発話教育のエピソードを戯曲にしてミュージカル「マイ・フェア・レディ」を完成させました。ショーは当時の英国の社会の雰囲気を見事にミュージカルに醸し出しています。ヴィクトリア王朝時代のロンドンは、たいへんな人口増加のさなか。19世紀初頭のロンドンの人口は100万人しかいなかったんですけれども。1820年代には150万人に、例のロンドン万国博覧会の開催された51年には250万人に増えて、70年代には350万人となっています。その人口激増は全て…。
An.
 
先生、産業革命のもたらした成果なんですよね!?
Dr.
 さすがは1を聞いて10を知る江澤さん。
An.
 中心部に工場地帯ができたロンドンでは住宅環境が急激に悪化し、衛生状態もお粗末なものになった。幸い産業革命のシンボルでもある蒸気機関車により、ロンドン周辺には鉄道網が整備され、ロンドン郊外からも労働者の通勤が可能となったので、町の中心部の混雑と不衛生は解消に向かった。
Dr.
 不潔だったテムズ河からの飲料水採取が中止され、下水道が整備されたことが一層の効果につながります。
An.
 ただし、そういった労働状況が長く続いたことから、労働者たちの間に不公平感が高まり、マルクスやエンゲルスの思想が広まった。
Dr.
 江澤さん、すごいですね! 私の出番がなくなりそうですよ(笑)。
An.
 けれども、産業革命による経済効果が最終的に英国社会全体に及び、生活はやがてレベルアップする。江澤はこのOAで、そう教えていただきました(笑)。
Dr.
 江澤さん。産業革命の結果、生産された英国の工業製品は、どこに行ったんでしょう。生産品ができても消費してくれる相手が不在では、貿易は成り立ちませんね?
An.
 せ、先生。3443通信では、まだそこまで、授業が進んでいません。
Dr.
 ワトソン博士は、軍医としてどこへ派遣されていましたっけ?
An.
 先生、ワトソン博士はインドです。
Dr.
「英国の領土には日の沈むところがない」と言われるほど、当時の英国は世界中に植民地を保有していたんです。1905年の地図には東はニュージーランド、オーストラリアから、香港やインドやアフリカ諸国、西はカリブ海などの西インド諸島が、全て英国領だったと書き込まれています。
An.
 本当に、「大英帝国」だったんですねぇ!
Dr.
 英国は、産業革命で大量生産されるようになった綿製品を、ワトソン博士の活躍したインドに輸出したんです。
An.
 でもインドは、綿製品の名産地のような…。
Dr.
 そのインドに、無理やり英国の綿製品を購入させたことが、大きなゆがみとなって歴史に残るんです。

図01

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