2024年7月 No.353
笑いの芸術 野村萬斎『狂言公演』鑑賞レポ
秘書課 菅野 瞳
図1
はじめに
去る2023年10月27日(金)、東京エレクトロンホ―ル宮城にて、宮城県文化振興財団創立30周年記念行事『野村万作・萬斎』狂言公演が行われ、人生初の狂言鑑賞に行って来ました(図1)。
「狂言は面白いですから、行ってらっしゃいな」と院長。
ですが狂言というものを、その言葉でしか知り得ない私にとって、ハードルが高すぎでは……? と思われる取材に戦々恐々です。
私が狂言と言われ思い浮かべるのは、中世時代に流行った喜劇の一種? そして狂言と同じ立ち位置で“能”という伝統芸能もあったなという、その程度です。これでは、折角の狂言鑑賞に失礼極まりないので、“狂言”の知識を得てからの鑑賞と行きましょう。“狂言”ならびに“能”は、『能楽』という同じジャンルに属しているのだそうです。しかしながらこの2つは、異なるお芝居が共存しているという、とても不思議な関係だという説明書きがありました。
能と狂言のちがい
『能』は謡曲と言われる『謡い』と『舞』によって構成されている歌舞劇であり、その内容は男女の悲哀や合戦で、命を落とした武将の悲劇であったり、神々の荘厳な世界を描いたりと、シリアスな内容であるのに対して、『狂言』はそれとは対照的に『台詞』と『仕草』によって構成されている台詞劇なのだそうです。
そしてその内容は、特別な階級の人達ではなく、当時の一般庶民が登場し、ちょっとした失敗話などを取り上げるユーモラスに富んだ喜劇なのだそうです。それならば、時代錯誤はあれど、狂言は私好みでは?! と思い直し、虎視眈々と会場へ向かいました。
いざ会場に到着すると、狂ったように“狂言”“狂言”“狂言”のポスターが……(図2)。これには、なかなかの威圧感を感じ、狂言鑑賞の前に、気が狂いそうになりました(笑)。受付を済ませ順路を進むと「んっ?」と、一カ所にだけ長蛇の列が出来ています。
図2
なんとこの列の先にあったのは、氷上の王子様の異名を持つ羽生結弦選手から届いた式典花でした(図3)。長蛇の列の正体が、私が苦手とする着ぐるみが成していた列ではなかったことに一安心し、いよいよ館内へと足を踏み入れます。
ステージを見下ろす客席に着き、初めて目にする狂言舞台の精悍さに、まずは圧倒されました(図4)。
公演開始時間が迫り、客席がどんどんと埋まっていく中で、若年層が多いことに驚きつつも、20代と思しき面々が、日本が誇る伝統芸能に興味を持たれる姿は、見ていてとても心が和みました。
図3
図4
第1幕『墨塗』
いよいよ公演開始時間となり、まずは第1幕『墨塗』の上演です。訴訟のために遠国から都に来ていた大名が無事訴訟が解決したので帰郷することになり、太郎冠者(狂言の役柄の一つで、大名または主に仕える者)を引き連れ、都で馴染んだ女の元に別れを告げに行きます。
すると女は、悲しげに涙をポロポロと流して別れを惜しみ、それにほだされた大名は一緒に泣いてしまいます。
ですが実は、さめざめと泣く女のすぐ横には鬢水入れが置いてあり、太郎冠者が様子を見ていると、その水を指に取っては目を濡らし、泣き真似をしていたことが判明します。
それを見抜いた太郎冠者は、すぐさま大名に知らせますが、信じようとしません。
そこで太郎冠者は機転を利かせて仕返しを講じますが、はてどうなることやら……というあらすじです。
現代版のドリフを彷彿させるなと思ったのは、私だけでしょうか(笑)。
この演目は俗に言う“男と女の化かし合い”ですが、太郎冠者が講じた鬢水入れの水を墨に変えるという策。そうとも知らず、すりかえられた墨をせっせと頬に塗りたくる女。女の顔を覗き込んだ大名は、涙ではなく墨で真っ黒になった女の顔を見て、ビックリ仰天。仕返しとばかりに女に手鏡を渡し、墨だらけになっている女の顔を映し出させます。そこで鬢水入が墨の入ったものにすりかえられていることを知った女は、自分の行なった行為は棚に上げ、太郎冠者と大名の顔に墨を塗って復讐し、これでもかぁと二人をしきりに追いかけまわしながら舞台袖にはけて、一件落着? という結末でした。
まだ本日の公演が始まったばかりで、まさか本当に顔に墨を塗るのかしらと、ドキドキしていた私ですが、はい、本当にしっかりと塗られていました(笑)。まさか墨塗のままのお顔で、第2幕が始まるなんてことはないですよね? それでは観客が、ギョギョギョ(魚魚魚)としてしまいますよと思った私ですが、次いでの演目は、ギョギョギョからのくだりで『魚説法』です(笑)。
頂いたパンフレットに目を通した際に、実はこの演目が一番気になっていました。
第2幕『魚説法』
元漁師の男が、日々の殺生が嫌になり出家します。
ある時、この元漁師の男が出家をした寺に堂を建立したので堂供養を頼もう、と施主が寺を訪ねて来ます。
しかしながら、生憎住持(住職)は不在で、元漁師の男が留守番を頼まれており、まだ出家して間もないというのに、お布施欲しさに説法を引き受けます。
当然のことながら、漁師上がりの新参の僧が説法など説けるわけもなく、そのような中で思いついたのが、魚の名前を一通り知っている漁師ならではの経験を活かした魚の名を引きならべての説法でした。
男は、施主に自身の説法を聞くように促します。
そうとも知らず、説法のようであり? 間違っても説法ではない、人呼んで“魚説法”が始まります。
「出で出で、サワラ(さらば)説法の述べんと、烏賊(如何)にもスズキ(煤)にすすけたる黒鯛(黒色)の衣にカラ鮭色の袈裟を着し・・・」と、まぁ水族館のような魚尽くしの説法を始めます。
ほどなくして施主も、元漁師が説く説法に違和感を覚えますが、神妙に聞いてやろうと、まだまだ続く魚の名説法に耳を傾けます。
いい加減に止まない魚説法に対し、施主は扇を挙げて打擲しようとしますが、それにも怯まず、「愚僧が金頭を棒鱈(棒)でもって打たれぬうちに、どれへなりとも飛魚(飛び失せ)いたそう」などと笑いながら幕入りをし、施主がその後を追って追い込み留めです。
解説書と睨めっこをしながら、なんとか説法に登場した魚たちを追いましたが、洒落の効いた言葉遊びがとても新鮮で楽しかった反面、とても頭を使う演目に、私の脳みそのカロリー消費が烏賊(如何)ばかりか……知りたくなりました(笑)。
第3幕『棒縛』
そして本日最後の演目、ラストを飾るのは「棒縛」です。この演目は、狂言の代表作に挙げられるのだそうです。留守番を担うことになった太郎冠者と次郎冠者は、いつものように酒蔵の酒を盗み飲み、主人の居ぬ間の時間を楽しもうと企みますが、度々のこの行いを知った主人は、太郎冠者を棒に、次郎冠者を後ろ手に縛り、必要以上の身動きがとれない状態にして出掛けて行きます。
そんな状態にあっても尚、酒が飲みたくて飲みたくてたまらない2人は、知恵を絞り、縛られたまま酒を飲むことに成功します。
後ろ手に棒が括りつけられていることなど、全然へっちゃらだい! とばかりに、大盃に顔を近づけて酒を必死で飲もうとする姿や、勢いあまって大盃に顔を浸してしまう姿に、会場からは笑いが起こっていました。
互いの協力により、楽しい酒にありつけた2人は、謡えや舞えやと大騒ぎしますが、盃に映った主人の顔を見て、やっと主人の帰宅に気付きます。
そして太郎冠者が、括られている棒を見事に使い棒術で主人を脅かしますが、結局は追い込まれて𠮟り止めとなります。
喜怒哀楽といった人間の感情を、写実的に、そして少し大げさに誇張して表現する狂言は、現代でも十二分に楽しむことが出来る、大変愉快な舞台でした。院長が仰った「狂言は面白いですからね……」の真意を噛みしめながら、帰路に就きました。