2024年7月 No.353
魅惑のインド6日間の旅に参加しました 2
院長 三好 彰
ひきつづきインドツアーレポをご紹介します。
前回は首都デリーに入り、世界遺産クトゥブ・ミナールやムガル帝国皇帝の墓フマユーン廟を見学し、午後に2つ目の訪問都市ジャイプール(図25、26)に向かいました。
図25 いかにもインドの街角らしい光景
図26 牛です
州都ジャイプール
デリーから南西に266kmにあるジャイプールは、1728年に地方豪族サワーイー・ジャイ・スィン2世によって作られた計画都市です。800メートル四方の正方形が9区画ならんだシンメトリーを描き、7つの門と総延長10キロメートルの城壁に囲まれている旧市街は、城壁を含めた建物はすべてローズピンク色に統一された『ピンクシティ』という別名があるほど、独特な明るい雰囲気を醸し出しています。
そうした歴史を感じさせる旧市街とは趣を異にするのが、旧市街の南西部に広がっている新市街です。観光地としての見どころは歴史的建築物が集中する旧市街や郊外になりますが、近代建築が立ち並ぶ新市街には人気の飲食店やジュエリー店、ブランドショップといったサービス業が多く出店しています。
風の宮殿
旧市街の中心部の一角に、まるでなにかの巣のような不思議な建物が立っています。ここは風の宮殿(図27)と呼ばれるこの建物で、幅広の正面からの見た目に比べて奥行きはほとんどありません。その目的は後宮に住む女性たちが住民に顔を見せる事なく、街を見物できるようにと建てられたものです。一見すればハチの巣にも見える窓の多さに度肝を抜かれてしまいます。
図27 風の宮殿。女性たちが窓から町を見るための建物
城郭都市アンベール
16世紀、カチワーハ家の首長が治めるアンベール王国の首都であった城郭都市アンベール。その中心にある宮殿がアンベール城(図28)です。ジャイプールの東側を半円形に覆う山岳地帯の北東にあって、異民族の侵入を拒むための要衝でもありました。
その周囲は険しい山岳地帯に囲まれており、その峰々にはまるで万里の長城を思わせるジャイガル要塞の長大な城壁が張り巡らされ、王都の堅固な守りを物語っていました。
図28 アンベール城
軍事拠点としてのシンプルな外観からは想像がつきませんが、その内部は王族(マハラジャ)が住むのに相応しい内装が施されています。
急坂をジープで駆け登り(図29)赤砂岩と大理石製の城郭が青空に良く映えていました。
図29 山道をジープで城へ
ジャレブ・チョウクと呼ばれる大きな中庭(図30)から獅子門(図31)を潜り階段を上ると、2つ目の中庭である一般謁見の間(図32)に通じます。無数の列柱(図33)はまさに宮殿を思わせる迫力があり、その先のガネーシャ門(図34)の細微な装飾には感嘆のため息が漏れてしまいました。ここから奥は王族の私的な宮殿エリアとなっており、この門の2階の窓からは、姫たちが花を降らせて王たちを出迎えたのだそうです。
図30 城の中庭
図31 獅子門
図32 赤砂岩と大理石の建物
図33 広場
図34 世界一美しいガネーシャ門
ガネーシャ門をくぐると幾何学的なペルシャ風庭園(図35)が出迎えてくれます。遠景にアンベール城を囲む山岳要塞・ジャイガル要塞(図36)が控えています。繊細な装飾の施された宮殿内部(図37)とはまったく異なる、長い“争い”の歴史を感じさせる光景が広がっていました。
インドらしい象さんタクシー(図38)も観光客には大人気です。時間の関係で、私たちは文明の利器を使っての登城となりました(図39)。
図35 幾何学的な配置の中庭
図36 遠景にあるのはアンベールを守るジャイガル要塞
図37 内部は美しい装飾に彩られています
図38 象さんタクシー
図39 急坂もなんのその
天文台ジャンタル・マンタル
ジャイプールを築いたジャイ・スィン2世によって建設されたジャンタル・マンタル(図40)は1728年に建設されました。約20機の天体観測儀がまるで奇妙なオブジェのように配置され、何も知らないで訪れた人はどこかの前衛芸術家の建物かと思ったかも知れません。
特に大きな階段状の観測儀(図41)は2秒単位での時間計測が可能で、影の当たる部分には非常に細かい溝が刻まれていました(図42)。電子機器もない当時、太陽の傾きからあらゆる数字を導き出し、天体運航の基礎を築いた先人たちには畏敬の念を抱かずにはいられません(図43、44)。
図40 巨大な日時計
図41 大日時計。影の位置で時刻を知る
図42 影の位置で時刻が分かります
図43
図44 凹んだ半円型の太陽光の位置で星座との関連が分かります
イギリスの産業革命を引き起こしたインド綿
インドでは古くから綿織物が盛んに作られていました。古くはインダス文明の遺跡モヘンジョダロから綿布の断片が見つかったのが、歴史上最古の綿布の歴史と言われています。
その流れを汲んだインドではインド綿布の生産が脈々と受け継がれ、大航海時代にはイギリス国内の羊毛製品を抑えてインド綿布が大流行を引き起こします。羊毛産業の衰退を恐れた国はインド綿布の輸入禁止措置を取りますが、肌触りが良く、軽く、デザインに優れたインド綿布の人気は下火にはならず、ついにイギリス国内で自力生産する動きが起こります。
18世紀の中頃、水力紡績機が発明されたことで綿糸の大量生産が可能となり、安価なイギリス製の綿布がインドに逆輸入されることになりました。
まさかイギリスの産業革命の要因の一つが、インドの手織り綿布欲しさにとは想像もしていませんでした(図45~49)。
図45 これぞインド
図46 織物の作成(じゅうたん)
図47 色違いの糸を織って模様が出来ます
図48 染め物のハンカチ。種々のカラーの印を重ね押して多色彩の染め物ができます
図49 完成品
つづく
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