3443通信3443 News

2024年7月 No.353

 

このたび宮城耳鼻会報(89号)に『三好 彰:医者語と耳の話. 宮耳鼻89; 2024』が掲載されました。

図00

エッセイ『医者語と耳の話』
(宮城耳鼻会報89号)

三好 彰(三好耳鼻咽喉科クリニック)


「ありがとうございました」

 そう言われて「お大事に」と答えてから、私は顔がまっ赤になりました。
 ここは一番丁。私の目の前には売り子が、不思議そうな顔をして私を見ています。
 そうです。私は店で買い物をして店員さんから礼を言われ、ついいつものように「お大事に」と返答してしまったのです。

 後から冷静になって考えてみると、私たちは仕事に熱中する余り、一般の人たちの会話内容とは異なる「医者語」で24時間を過ごしています。
 もしかすると、と私は考えました。毎日の診療のときにさえ、私たちは一般の会話とは異なる「医者語」で病気の説明をしたりしてはいないだろうか、と。

 そんな思いから私は、fmいずみで担当しているラジオ「3443(みよしさん)通信」というコーナーで「医者語」を使わない耳の病気のシリーズの脚本を作成しました。
 果たしてこのシリーズが私の構想したような日常会話での病気の解説になっているかどうか。

 どうかご笑覧頂けますように。

1.耳・鼻・のどと五感の関係
An.
 三好先生、3月3日は雛祭りであると同時に、三好先生の副業(笑)である耳鼻咽喉科では、『耳の日』と称して耳鼻科の病気についての、啓蒙の日時であると伺いました。当然ですが、耳・鼻・のどの病気を扱う耳鼻咽喉科でも、耳の病気についての話題が取り上げられることが多い、とか。当たり前ですよねぇ(笑)。
Dr.
 なにしろ日付の名前そのものが、『耳の日』なんですから(笑)。
 でもね、この『耳の日』に、鼻やのどの疾患についてもテーマとして取り上げておくのは、すごく理屈にあったことなんですよ。
An.
 えっ。それはいったいどうしてなんでしょうね、先生。
Dr.
 それは1つには江澤さん。耳・鼻・のどは実は、ウラ側でつながっていまして。
An.
 耳・鼻・のどに、ウラがあるなんて・・・・・・。江澤は、ちっとも知りませんでした。
Dr.
 江澤さん。耳・鼻・のどは、上気道と称して、人間が呼吸する際に空気や酸素の移動する、構造の一部をなしています。
An.
 ああ、そう言えば。鼻やのどは、呼吸の際に酸素の行き交う交通路でしたよね(笑)。
Dr.
 ですから、このOAの第24回目で話題にしましたように、鼻やのどに狭い部分があって酸素や空気の通過障害があると、上気道の気流の流れがスムースじゃなくなって。
An.
 まさつ音がいびきになるんでしたよね、先生(笑)。
Dr.
 耳だって空気が充満しているから、ちゃんと聞こえるんでしたよね、江澤さん。
An.
 音は空気の振動を、鼓膜で受け取って、物理的エネルギーとして、内耳に伝えます。
Dr.
 その鼓膜が軽やかに振動するためには、江澤さん?
An.
 のどと鼓膜の内側、つまり中耳腔の気圧が、耳管という管を通じて、十分に換気されている必要がありますから・・・・・・。そう言えば、耳の働きも気流の流れの影響を、まともに受けているんですねぇ(笑)。
Dr.
 ですから、耳・鼻・のどは、一見別々の部位に存在するように見えても、実は上気道の空気の流れで緊密に繋がっている。一連の組織と考える必要があります。
An.
 江澤は、納得です(笑)。
Dr.
 それともう1つ。
 第5回目のOAで触れたことがあるんですけど、『五感』という観点から見ても、耳・鼻・のどには関連があるんです。
An.
『五感』って先生、たしかぁ。『聴覚・視覚・嗅覚・味覚・触覚』のことでしたよね!
Dr.
 これらのうち、聴覚は耳が携わっており、視覚は目が、嗅覚は鼻が担当しており、味覚はのどがカバー、触覚は皮膚感覚がメインですが、のどの内側でも感じますし。
An.
 三好先生、視覚以外はみーんな、『耳・鼻・のど』の領域ですねぇ(笑)。
Dr.
 実は江澤さん、私のお得意の『めまい』では、耳鼻科医は何を観察して診断するんでしたっけ?
An.
 先生、それは眼球運動、つまり目玉の動きです・・・・・・。アレッ、てことは耳鼻科医は視覚も含めて、『五感』のすべてを総動員して病気の診断・治療を行なっている?
Dr.
 この『五感』を感じる人体の感覚器官を、古くは『五官』。すなわち、感覚を人体内に取り込む5つの『管』とも表現したんです。
 そう言えば中国では今でも、耳鼻咽喉科と呼ばずに『五官科』と名付けられた看板を、見ることがあります。
An.
 ってことは先生。『耳・鼻・のど』には、こうした典型的な感覚器が揃っている、人体の急所とも考えられますね。
Dr.
 そうなんです、江澤さん。つまり『耳・鼻・のど』で感じ取る感覚が、『五感』そのものなんですね。だから、一括して耳鼻科医が診断・治療を行なうわけなんです。
 そして、耳鼻科医ではとうてい扱い切れない摩訶不思議な感覚のことを、何と呼ぶんでしたっけ? 江澤さん・・・・・・。
An.
 先生、それはたしか『江澤の第六感』と、名付けられていたような。そんな気がします(笑)。
Dr.
 ですから、『五感』を専門に扱う耳鼻科医の私と、『第六感』の人である江澤さんとは、常にペアで仕事をするように・・・・・・。
An.
 解剖学的な、理論的裏付けがある(笑)んですね!
Dr.
 話を、元に戻しましょう(笑)。
 そんな2つの理由から、耳鼻咽喉科領域の疾患は、耳鼻科医が扱うことになっていますし。その耳鼻咽喉科疾患啓蒙の絶好の機会が、3月3日の『耳の日』なんです。
An.
 加えて3月3日は、電話機を発明したグラハム・ベルの誕生日でもあります。
Dr.
 江澤さん。これはとっても、すごく大切なお話なんですけれども。
An.
 せ・先生。それは何でしょうか?
Dr.
 グラハム・ベルはもともと、耳の不自由な人つまり難聴者に応用できる、独自の『発声法』の言語療法士でした。
An.
『発声法』って、なんでしょうか?
Dr.
 生れ付き、なまりの強い発声の身についた人や、難聴のためにひずんだ発話習慣になじんだ人でも、しゃべるときの口の形を統一することで明確な発音ができる。そんなアイディアのもとに、英語に例えれば『下町言葉』を『クイーンズ・イングリッシュ』に矯正したりする訓練です(図1)。

図01 発話法を示した一覧
 図1


An.
 そんなことって・・・・・・、可能なんでしょうか? 江澤には、信じられません。
Dr.
 でも、アナウンサーの訓練にもあるように、口元をはっきりと動かしお腹の底からしゃべるだけでも、会話は聞き取り易くなりますよね。
An.
 そう言えば、江澤もそんな訓練を受けた記憶があります。
 たしかに、お腹の底から力強く話すと会話は聞き取りやすくなるんですが、お腹も空いちゃいますよね(笑)。
Dr.
 その発話法が、色々な意味で難聴者にも、活用できるんです。次回は、そのお話です。
An・Dr.
 本日も、ありがとうございました。


2.発話法とグラハム・ベル一家
An.
 三好先生、前回は『耳の日』のお話から、電話機を発明したアレクサンダー・グラハム・ベルの話題になり、実はベルはもともと『発話法』に携わる言語療法士だった、とのご説明を伺いました。
『発話法』って、江澤たちが習ったリスナーが聞き取り易い発音方法の訓練とか、そんなものと理解してよろしいんでしょうか?
Dr.
 その通りです。それだけでなく、言語療法士の行なう発音練習には、あとで述べるように、様々の内容が含まれます。
 江澤さん。アナウンサーとしての、発音練習の特訓。キツくなかったですか?
An.
 キツい・キツくない、よりもまず、途惑ってしまいました。
 江澤が考えていたのと、まるっきり違うんですもの。
Dr.
 と、言いますと?
An.
 口の形が、外から見てはっきり判るくらい、大げさなほどに口を動かす訓練。まぁ、これは予想していた通りだったんですけれど。
Dr.
 江澤さんには、いったい何が想定外だったんでしょうね?
An.
 江澤は訓練以前はしゃべるとき、どちらかと言うとおしとやかで(笑)、東北人特有の口篭もるような話し方だったんですけど。
Dr.
 どのように変身したんでしょうね、江澤さんは(笑)。
An.
 発音をするのに、口元からではなくって、お腹の底から声を出すんです。
「ア」一つにしても(実演する)、口元だけの「ア」じゃなくって、お腹の底から息を吐いて「ア」っていうふうに(笑)。
Dr.
 江澤さんの「ア」は、よく通る、リスナーにもはっきり聞こえる発音ですね!
An.
 でもこの発音を身に付けるのに、腹筋つまりお腹の筋肉を駆使するものですからぁ。
Dr.
 しゃべったあとで、すごくお腹が減っちゃう(笑)?
An.
 お腹が痛くなるんです(笑)。
Dr.
 普段から、お腹で声を出す習慣が身に付いていればまだしも。
An.
 最初の頃は、腹筋が痛くってたまりませんでした(笑)。
 寝入った後、布団の中でお腹の筋肉がつってしまって・・・・・・(笑)。痛くって目を覚ますんです。
Dr.
 江澤さんの特訓のそれも、発話法の1種類なんですけれども、ね。
 グラハム・ベルがその父親から教わったのは、発語でもっとも重要な口の形をビジュアル化して、誰でもどんな発音でもその口の形を真似すれば、正確な発音ができるようになる、いわば発音の記号化システムだったんです。
An.
 おもしろそうですけれど、先生。グラハム・ベルの父親は、それで何をしようとしたんでしょうね?
Dr.
 グラハム・ベルの一家は、もともと英国の北東部にあるエディンバラ近辺の、セント・アンドリュース地方の生まれだったんです。
An.
 もしかすると、世界一有名なゴルフ場のある、あのセント・アンドリュースですか?(図2)

図02 世界に広がる名作
 図2 世界に広がる名作


Dr.
 江澤さんは、趣味が豊かですね(笑)。電話を発明したベルのおじいさんが、このセント・アンドリュース・グラマー・スクールという、正式の英語を教える学校の発音の教師だったんです。
An.
 英語の発音を教育していたんでしょうか? それなら江澤も一度、教わってみたいような(笑)。
Dr.
 英語の弁論と朗読を、教育していたんですけれど、それに加えて吃音つまりどもりの矯正も、担当していたんです。
An.
 それじゃきっと、本場物の英語つまりいわゆるクイーンズ・イングリッシュも、教えていたんでしょうね?
Dr.
 同じ国内であっても、交通や通信そしてマス・コミュニケーションが行き渡っていないと、各地方の言語はずいぶん違っていたみたいですし。
An.
 そう言えば江澤の子どもの頃、地元でしか通じない言葉があったのを覚えていますが、仙台でも仙台周辺でしか通用しない言葉がありましたよね(笑)。
Dr.
 お隣の中国でも、マンダリンと称される標準的な発音が全国的になったのは、つい最近のことです。
An.
 世界の7つの海を制覇した英国でも、事情は似たようなものだったのかも知れませんねぇ。
 英国では、標準語的な正式の発音が、クイーンズ・イングリッシュだったんでしょうけれど。
Dr.
 江澤さんの言われるように、英語にもきっと仙台弁みたいな英語は、あったんでしょうよね。
 そんな、いわば『センダイ・イングリッシュ』(笑)の矯正も、ベルのおじいさんそしてお父さんも、プロとして手懸けていたんです。
An.
 なんだか、1つの物語になってもおかしくないような、興味深いお話ですね!
Dr.
 ベルのお母さんの名前は、イライザって言うんですけど。
 この『イライザ』を主役に、下町英語をしゃべりまくる花売り娘が大活躍する、ミュージカルがあります。江澤さんのご存じの。
An.
 せ、先生。それはもしかすると、オードリー・ヘップバーンの『マイ・フェア・レディ』じゃありませんか!?
Dr.
 江澤さん。ハワイじゃなくって、ロンドンへご招待しますよ。
 ベル一家の友人だった、バーナード・ショーがベル一家のエピソードを元にストーリーを作り、戯曲を書きました(図3)。

図03 バーナード・ショー原作のマイフェアレディ
 図3 バーナード・ショー原作のマイフェアレディ


An.
 それがミュージカル化されて、ヘップバーンのあの映画になったんですね!
Dr.
 江澤さん。ここにそのDVDを、持ってますが。
An.
 本当に『原作:バーナード・ショー』って書いてありますね。ステキ!
Dr.
 3月3日『耳の日』生まれの、グラハム・ベルについては、もっともっとおもしろいエピソードがあります。次回をお楽しみに。


3.発音・発声障害の矯正法
An.
 三好先生、耳の日の話題から、電話を発明したアレクサンダー・グラハム・ベルについてのお話が、進んでいます。
 お話でベルは、もともと英語の発声と発話を教える言語療法士だったこと、その発話法にはベルのおじいさんがもともと携わっており、ベルのお父さんも発音の矯正を仕事にしていたこと。などなど、教えて頂きました。加えて、ベルのお母さんの名前がイライザで、バーナード・ショーがこの名前の主人公の活躍する下町英語矯正物語を、有名なミュージカル『マイ・フェア・レディ』の脚本にした。そんなエピソードも、伺いました。
 バーナード・ショーは、ベル一家の知り合いだったんですってね?
Dr.
 江澤さん。その『マイ・フェア・レディ』のエピソードが重要なのは、現実のベルのお母さんも英語が不自由だったという、真実があるからなんです。
An.
 えっ、ベルのお母さんのイライザは、本当にロンドンの下町娘だったんでしょうか?
Dr.
 これは私の副業(笑)の、耳鼻咽喉科に関するお話なんですけれども。
 ベルのお母さんのイライザは、耳が不自由だった。つまり難聴者だったんです。
An.
 それじゃ、アレクサンダー・グラハム・ベルの身内には、耳の不自由な人がいつもいたんですね。難聴者のことを、親身に考えるような環境が、身の回りに整っていた?
Dr.
 実はベルの奥さんも、難聴だったんです。それについては、あとでまた触れますが。耳の不自由な人も、ロンドンの下町娘じゃありませんが、話し言葉が正確ではなくなります。
An.
 えっ、どうしてですか、先生。
Dr.
 赤ん坊だった人間が、言葉を覚えてしゃべるようになるためには、他の人がしゃべっているのを耳で聞き、コミュニケーションの手段として使い始める。そんな手順が必要なんです。
 言葉の正確な発音法だって、耳から入った会話を習得するところから、スタートするんですもの。
An.
『マイ・フェア・レディ』のイライザが、下町言葉でしゃべるのも父親の影響でしょうから・・・・・・。
Dr.
 そう! ホラ、『運が良けりゃ、運が良けりゃ』って、歌で有名なイライザの父親・アルフレッドのせいですよ(笑)!
An.
 イライザは、寝物語に下町言葉を聞かされて育ったんでしょうよ、ね?
Dr.
 それと関連するんですけど、前にお話ししましたように、耳が不自由な場合、言葉が均等に聞き取れないのではなく、難聴の耳の周波数特性に応じて歪んで聞こえます。
 ですから、生れ付き聞こえに難点がある子どもの場合、発音も耳の周波数特性を反映、歪んでくることがあるんです。
An.
 五感のうち聴覚を担当する耳に、入ってくる音つまり情報が偏っていると、インプットに異常があることになりますから、アウトプットに相当する発声もしくは発音も、不正確な偏ったものになるのは当然ですよね。
Dr.
 私たちが子どもの頃から、地域特有のなまり言葉を聞いて育つと、私たちの発音にもなまりが感じられるようになります。
 そして、私たちの耳がもしも不自由だったならば、私たちの発音も耳に入った歪んだ音そのままの発音を、そのまま口に出すことになります。
An.
 発音もしくは発声というのは、耳に入った情報の反映なんですねぇ!
Dr.
 その意味では、周辺環境のなまり言葉に染まった発音や発声と、不自由な耳から覚えた偏った発音もしくは発声。この二種の成り立ちには共通点があるんです。
An.
 それを矯正してやることは、不可能なんでしょうか?
Dr.
 実はこうした偏った発音や発声は、耳に入ってきた情報がどうであれ、アウトプット器官である口やのどの訓練で、矯正してやることができるんです。
An.
 そんなことができるんでしょうか? 江澤は考えたこともありませんでしたけれど。
Dr.
 江澤さん。『マイ・フェア・レディ』の中で、ヒギンズ教授が主役のイライザの下町英語を、懸命に修正していたシーンを思い出してください。
An.
 ああ、あの有名なシーンですね?
 三好先生ご推薦の、バーナード・ショーの原作『ピグマリオン』。これが『マイ・フェア・レディ』の原作なんですよね? そこにはこう、書いてあります(図4)。

図04 クイーンズ・イングリッシュと下町英語
 図4 クイーンズ・イングリッシュと下町英語


ヒギンズ;
 じゃあ言ってみろ、「ア・カップ・オブ・ティー」。   
イライザ;
 ヤァ・カッパラッテー。
ヒギンズ;
 
舌を前に突き出すんだ、下の歯に押しつけるように。ほら、カップ。
イライザ;
 クゥ、クゥ、クゥ、ーーできねぇ。クゥ、クゥアップ。
ヒギンズ;
 よくできました。”

 三好先生、これはつまり何をしようとしているんでしょうか?
Dr.
 これこそが、グラハム・ベルのおじいさんが売り物にしていてた、発音・発声障害の矯正法の現場だったんです。バーナード・ショーはそれを、おもしろ可笑しく戯曲に仕立てたんですよ(笑)。
An.
 江澤の発声訓練も大変でしたけれども。
 ベルのおじいさんの朗読と弁論のクラスも、かなり大変(笑)だったみたいですねぇ!
Dr.
 戯曲に書き込まれたギャグっぽい部分は、たしかにそうなんですけれども。こうした経験からベルのお父さんは、発音や発声を口の形やのどの使い方で分類し、その使い分けで正確な発音と発声を再現する手法を編み出します。
An.
 たしかに・・・・・・。口やのどの形を一定の形態に整えて、息を大きく吐いてやるとまったく同じ音声を再現することは、できます。
Dr.
 その手法を、グラハム・ベルは耳の不自由な子どもたち、難聴児に応用するんです。
 それが聾学校などでの教育法に取り入れられ、ベルは聾教育つまり難聴児教育に熱中するようになります。
 お話は続く、です。


4.難聴児の言語教育と発話法
An.
 三好先生前回は、電話を発明したことで有名なアレクサンダー・グラハム・ベルが、実はその祖父から教えられた独特の発話法の教師をしていたこと、この発話法は正統なクイーンズ・イングリッシュを、英国の地域の住民たちの地域なまりの強い英語を、そもそもは訓練することに役立っていたけれども、やがて難聴児など耳から聴覚の情報が入らず、その発音・発声の歪(ひず)んでいた聴覚障害児・聴覚障害者の、言語教育に応用するようになった、と教えて頂きました。
Dr.
 実は、イライザという名前の、ベルの母親も実際には難聴気味だったのですが、ベルの祖父の考案したこの発話法は、ベルの両親の会話に役立っていたように思えます。
An.
 発話法は、のどや口の形を整えてしゃべるだけでなく、江澤のアナウンサー訓練のときのような、発声の特訓が必要になるんじゃありませんか?
Dr.
 さすがは1を聞いて10を知る江澤さん。難聴児はほとんどが、声を出そうとするときに、口をパクパクさせることはできるんですが・・・・・・(笑)。
An.
 お腹の底から、声を出してやらないと、口パクが音として他人の耳には届かない(笑)。
Dr.
 江澤さんが訓練で苦労したのも、それが一番の問題でしたもの、ね。
An.
 繰り返しになりますが、先生。以前のOA152話の内容をもう一度、リスナーの皆様にも聞いて頂きたいと思います。

(以下、152話の再現)
Dr.
 江澤さん。アナウンサーとしての、発音練習の特訓。キツくなかったですか?
An.
 キツい・キツくない、よりもまず、途惑ってしまいました。
 江澤が考えていたのと、まるっきり違うんですもの。
Dr.
 と、言いますと?
An.
 口の形が、外から見てはっきり判るくらい、大げさなほどに口を動かす訓練。まぁ、これは予想していた通りだったんですけれど。
Dr.
 江澤さんには、いったい何が想定外だったんでしょうね?
An.
 江澤は訓練以前はしゃべるとき、どちらかと言うとおしとやかで(笑)、東北人特有の口篭もるような話し方だったんですけど。
Dr.
 どのように変身したんでしょうね、江澤さんは(笑)。
An.
 発音をするのに、口元からではなくって、お腹の底から声を出すんです。
「ア」一つにしても(実演する)、口元だけの「ア」じゃなくって、お腹の底から息を吐いて「ア」っていうふうに(笑)。
Dr.
 江澤さんの「ア」は、よく通る、リスナーにもはっきり聞こえる発音ですね!
An.
 でもこの発音を身に付けるのに、腹筋つまりお腹の筋肉を駆使するものですからぁ。
(以上)

Dr.
 ……と言うようなやりとりが、あったわけなんですけれど。これは、現実に難聴児教育では忘れられがちなんです。
An.
 耳の不自由な子どもたちは、実体験として会話の音声が耳に届かないから・・・・・・。
Dr.
 自分で声を出すときも、『相手に声を届ける』との発想がまったく生まれないんです。
An.
 そうすると子どもたち同士、お互いに口パクだけになってしまっていて、耳に聞こえる声にはなっていない、みたいな(笑)。
Dr.
 江澤さんみたいに、模範的アナウンサー発声の訓練が欠けているから、そんな一見奇妙な現象が起こります(笑)。
An.
 ベルのおじいさんの発話訓練には、それはもちろん完備していたんですよね?
Dr.
 そんな経緯から、グラハム・ベルの教え込まれた発話法は、なまりのある「仙台弁」式英会話をクイーンズ・イングリッシュに矯正するだけでなく、吃音つまりどもりの矯正にも有用でしたし、何よりもともと耳の不自由だった難聴児の言語教育に役立ったんです。
An.
 そうすると先生。
 ベルがおじいさんから教育された発話法は、まず吃音の矯正に有効だった。それから、セント・アンドリュースのような地方のなまりのあった英語を、美しい発音に統一することができた。そして3番目に、耳の不自由な子どもたちつまり難聴児の言語教育に活用することができた。
 すっごく、いろんな効用のある独創的な教育法だったんですねぇ!
Dr.
 これまでお話ししましたように、ことに2番目のなまりのキツイ英語を徹底的に矯正する教育法の現場は、端から見ていてすごく興味を引かれるものがあったみたいで・・・・・・。
An.
 ベルのお母さんの実名を名乗った、『イライザ』という主人公が登場する、『マイ・フェア・レディ』のミュージカルになっちゃってますもの、ね(笑)。
Dr.
 オードリー・ヘップバーン主演(笑)。
An.
 このミュージカルは、1964年のアカデミー賞を受賞してますもの、ねぇ。
 まさかこの中に出演している『ヒギンズ』教授が、ベルの発声法を指導しているとは思っても見ませんでした!
 でもミュージカルの中のヘップバーンは、見事その期待に応えて上流階級のレディに、変身しちゃいますもの(笑)。
Dr.
 ミュージカルの原作の戯曲に、バーナード・ショーは『ピグマリオン』と名付けます。
An.
 先生。その名前は?
Dr.
『ピグマリオン』とは、ギリシャ神話に出てくるキプロスの王様の名前です。彼は、自分で作った彫刻の美女に恋をしてしまい、本気で結婚したいと願うんです(図5)。

図05 ピグマリオン効果?
 図5 ピグマリオン効果?


 王の焦がれようを目にした、ギリシャ神話の美の女神アフロディテは彫刻に命を与え、キプロス王の夢をかなえたとされています。そこからピグマリオン効果、という用語が生まれました。
 これは、教育の現場や職場などで、可能性を見いだされ期待されて育てられた人材は、必ずその期待を裏切らない成長を遂げる、というお話です。
An.
 その神話が、戯曲とミュージカルに命を吹き込んだんですね、ステキ!!
Dr.
 次回は、グラハム・ベルが難聴児教育で活躍し、あのヘレン・ケラーを育てたエピソードについて、ご説明します。お楽しみに!


5.バーナード・ショーの逸話
An.
 三好先生、お話はグラハム・ベルが難聴児教育で活躍し、あのヘレン・ケラーを育てたエピソードについて、さしかかろうとしています。
 とっても重要な、意義深い話題に突入しようとしているのは、良くわかるんですけれど、先生。
 せっかくのこの機会に、もう少しその周辺のエピソードの数々について、先生の話術の冴(さ)えをお聞きしたいような気もするものですから・・・・・・。
 先生から頂いた貴重な英国の紅茶の味が引き立つような、小話などはいかがでしょうか(笑)?
Dr.
 英国の、サンドイッチやスコーンそしてケーキの味覚がよみがえるような、そんな気の効いたお話をご希望ですね?
 私は、江澤さんのおねだりにすごく弱いものですから・・・・・・。でも、弱ったなァ(笑)。あぁ、そうそう。こんな話題はどうでしょうか?
An.
 待ってました、大統領(笑)!
Dr.
 その『大統領』という用語についても、いつか江澤さんにご説明したいんです(笑)けれど。
An.
 それも先生。もちろん、今からとても楽しみにしています。
Dr.
 周辺の話題として、バーナード・ショーの『ピグマリオン』からいくつか。
 江澤さん。江澤さんは『マイ・フェア・レディ』については、良くご存じですよね?
An.
 江澤はけっこう、こういったシンデレラ・ストーリーが嫌いじゃなくって。
 ロンドンの街角で、生活のために花売り娘をやっていた、オードリー・ヘップバーンが血のにじむような努力・・・・・・。
Dr.
 血というよりは冷汗のにじむ努力でしたけれども、ね(笑)。
 なにしろ、その努力たるや。
An.
 繰り返しになりますが、こうでした。


ヒギンズ;
 じゃあ言ってみろ、「ア・カップ・オブ・ティー」。
イライザ;
 ヤァ・カッパラッテー。
ヒギンズ;
 舌を前に突き出すんだ、下の歯に押しつけるように。ほら、カップ。
イライザ;
 クゥ、クゥ、クゥ、ーーできねぇ。クゥ、クゥアップ。
ヒギンズ;
 よくできました。”

Dr.
 まぁそうした努力(笑)の結果、見事貴婦人に変貌を遂げるんでしたからね。
 でもね、江澤さん。ヘップバーンの演じるイライザは、映画の中では厳しい語学教育を施したヒギンズ教授に、感謝の念を抱くようになるんです。
An.
 なんだかウソみたい。あんなに厳しく、しごかれたのに・・・・・・。
Dr.
 映画のストーリーにも実は2種類あって。一つは、ヒギンズに感謝したイライザが、感謝の念からやがて深い愛情を持つようになり、ヒギンズと結ばれるというハッピー・エンド。ヘップバーンですよね。
An.
 ステキ! 江澤はヘップバーンに憧れちゃいます。
Dr.
 もうひとつは。こちらが原作通りなんですけれども。
 イライザはただの下町の花売り娘から、語学教育の結果、人間的にも成長を遂げるに至るんです。
 その結末として、堅苦しい言い方をすれば『自我に目覚め、自立して行く一人前の女性』として、自分なりの選択をする。
 そうした成り行きの当然の終末として、イライザはヒギンズを捨て去り、自分に求愛した若者に嫁ぐんです。
An.
 先生、それもステキなエンディングですねぇ(笑)。
Dr.
 バーナード・ショーは、1856年にアイルランドに生まれ、産業革命直後の英国で若き日々を過ごします。
 この時代の英国は、最終的に社会全体が経済的に豊かになる途中経過の真っ最中で。
An.
 先生、確か126回目のOAで伺った記憶があります。英国の社会は貧富の差が拡大して、労働者階級の生活は経済的にとっても大変だったんですよね!
Dr.
 マルクスとエンゲルスがその実態を報告した論文を、バーナード・ショーの生まれる10年前に発表しています。
An.
 時代は、そんな不穏な雰囲気に覆われていたんですね?
Dr.
 バーナード・ショーの原作の『ピグマリオン』も、そんな時代の雰囲気を背景にしていましたし、ショーご本人もすごい皮肉屋だったものですから。
 そのショーの書いた戯曲が、スムースなハッピー・エンドになる訳が・・・・・・(笑)。
An.
 あるわけはありませんよねぇ、先生。
 それで、本来のストーリーでは自立したイライザと権威主義的なヒギンズ教授は。
Dr.
 幸せに結ばれることはありませんでした。
An.
 そこがバーナード・ショーの、原作の味わいなんでしょうけれど。
Dr.
 ても、戯曲や映画のファンは、バーナード・ショーほど、社会的な問題意識を抱いている人間ばかりではありません(笑)。
An.
 むしろ、社会全体から見たら少数派だったかも(笑)。
Dr.
 戯曲や映画は、ファンの希望を反映せざるを得ませんので・・・・・・。
An.
 それで実際の上演や、ヘップバーンの出演する映画では。
Dr.
 戯曲や映画を見終えた観客が、「見て、良かった!!」という満足感に浸れるように。
An.
 ハッピー・エンドで終了する、それが上演時のパターンになってしまったわけですね(笑)。
Dr.
「めでたし、めでたし」で終わるのが、なんとなく安らかですから、ね(笑)。
An.
 でも先生。そのお話をお聞きすると、バーナード・ショーって、相当な皮肉屋さんだったみたいですね。その辺りについても、三好先生、ぜひ教えて頂きたいと思います。


6.バーナード・ショーの寸言
An.
 三好先生、OAは『耳の日』のお話から、話題はアレクサンダー・グラハム・ベル一家をモデルにした、バーナード・ショーの戯曲『ピグマリオン』と、そのミュージカル編『マイ・フェア・レディ』について、進行しています。
 そして、ベル一家の知り合いであり、『マイ・フェア・レディ』の原作者であった、バーナード・ショーって人が、どうやら相当な皮肉屋さんだったらしいって、伺いました。 たしかに江澤も、バーナード・ショーの有名な皮肉について、どこかで耳にしたような気がするんですけれど、
 ・・・・・・今ここでは思い出せないんです、先生(笑)。
Dr.
 たしかに江澤さん、バーナード・ショーと言えば、少し意地悪なコメントの数々が有名で、中には私たちが聞いても笑えるような、気の効いた寸言もあります。
 ここでいくつか、ご紹介しましょう。
An.
 江澤は楽しみです(笑)。
Dr.
 江澤さんにとっておきなのが、こんなセリフです。
「食物を愛することよりも誠実な愛は存在しない。」どうでしょう?
An.
 三好先生(笑)。この3443通信の収録は、昼食直前の時間帯に行なわれるんですけど・・・・・・。
 そう言われると、グサッと来ますね!
Dr.
 特に江澤さんの胃袋には、直接応えそうな寸言でした(笑)。
An.
 おもしろいんですね、先生。
 先生、他にはどんな発言が、有名なんでしょうかね。楽しみですね~。
Dr.
 こんなのは、どうでしょう?
「人生には2つの悲劇がある。1つは、抱いている希望がなかなか実現されないとき。もう1つは、それが実現してしまったとき、である。」
An.
 判ります。先生、江澤にはその言葉、すっごく良く判ります。
Dr.
 さすがは1を聞いて10を知る江澤さん。 えらく「ピン」と来たような、首肯き方(うなずきかた)をしてますね(笑)。
An.
 先生、その一言、すごく美味しそうなケーキで、江澤はいつも実体験します!
Dr.
 ええっ? それは何のことでしょう?
An.
 江澤にとって人生の悲劇は、目の前にあるすっごく美味しそうなケーキが、どうしても口に入って来ないとき、のことです。
Dr.
 判るような気がします(笑)。
An.
 でもね、先生。それ以上の、江澤にとっての最大の悲劇は、その後に来るんですよ。
 ああ、何という悲劇の瞬間が可憐な江澤を襲うんでしょう・・・・・・。
Dr.
 私はなんだか、江澤さんがすごく気の毒になって来ました。
 でもね、もったいぶらないで教えてくださいよ、その悲劇っていったい何でしょう?
An.
 それは先生、もちろん決まってるじゃないですか!
 その目の前にあるすっごく美味しそうなケーキを、食べ終えた瞬間ですよ! 先生!(笑)
 人生の希望がすべて消失したような、あの喪失感と虚無感が、三好先生には理解して頂けますでしょうか!?
Dr.
 江澤さん。私は江澤さんが、バーナード・ショーの寸言を、完璧に理解しているってこと、良く判りました(笑)。
 でもね、江澤さん。江澤さん以外のリスナーにも、良く理解できるような寸言も、バーナード・ショーにはあるんですよ。
An.
 三好先生、それもぜひ聞かせていただけますか?
Dr.
 江澤さんも読書家で、本を読むことが大好き、でしたよね?
An.
 三好先生、江澤は文学少女ですから、当然です(笑)。
Dr.
 江澤さんが、人生で一番影響を受けた本は何でしたっけ?
An.
 それは堀辰雄の『風立ちぬ』です、先生。
Dr.
 最近ジブリで、アニメ化されましたもの、ね。
 あれが宮崎駿の最後のアニメ作品かと思うと、私も喪失感を味わっています(笑)。それはともかく、ですね(笑)。
An.
 お話は、バーナード・ショーです。
Dr.
 バーナード・ショーが、江澤さんと同じ質問を受けたことがあります。
 そのとき、ショーはどんな風に答えたでしょうか? 江澤さん。
An.
 江澤はお昼前のこの時間帯には、お腹にエネルギーが残っていないので・・・・・・(笑)。
 先生、正解をお願いします!
Dr.
 ショーは一言。こう答えたそうです。
「私の人生にもっとも影響のあった本ですって? それは、銀行の預金通帳に決まってますよ!(図6)」
 ですって(笑)。

図06 人生にもっとも影響のある”本”
 図6 人生にもっとも影響のある”本”


An.
 スゴイッ!(笑)でも、なんだか、凄すぎて、ついて行きにくいような感じが…(笑)。
Dr.
 真摯な寸言も、有名です。
「自由は責任を意味する。だからこそ、たいていの人間は自由を怖れる。」
An.
 バーナード・ショーくらい、皮肉が効きすぎるほどの自由な発言が多かったら、責任を取らされることも少なくなかったでしょうから。きっと、実感の篭もった寸言なんでしょうね。
Dr.
『マイ・フェア・レディ』を思い出すような、こんなこっけいな一言も知られています。あるパーティー会場でバーナード・ショーが、当時の有名女優、美人さんだんたんでしょうね、プロポーズされたときのお話です。
 美女として名を轟かせていたその女優は、ショーに向かってこう言いました。

「あなたの知性と私の美貌を兼ね備えた子どもがもし生まれたら、どんなら素敵でしょう!」

 ショーはこう、答えました。

「あんたの知性と私の顔を備えた子どもが生まれたら、どうしましょう?」(笑)

An.
 先生、これはグッときますね~!
Dr.
 ところが、ショーの生まれた時代背景とその思考つまり考え方を研究してみると、ショーの寸言には単なるジョーク以上の、真剣な姿勢が篭められていることも判って来るんです。お話は続く、です。


7.ピグマリオンの時代背景
An.
 三好先生お話の流れは、3月3日の耳の日の話題から電話を発明したことで有名なアレクサンダー・グラハム・ベルの誕生日が、ひな祭りと同じ3月3日であることの話題で盛り上がっています。
Dr.
 グラハム・ベルは、電話を発明しただけでなくコミュニケーションの基礎となる、会話もしくは人間同士の対話について、一生追求した人でした。
An.
 先生、アレクサンダー・グラハム・ベルは、実はその祖父から教えられた独特の発話法の教師をしていたこと、この発話法は正統なクィーンズ・イングリッシュを、英国の地域の住民たちの地域なまりの強い英語を、そもそもは訓練することに役立っていたけれども、やがて難聴児など耳から聴覚の情報が入らず、その発音・発声の歪んでいた聴覚障害児・聴覚障害者の、言語教育に応用するようになった、と教えて頂きました。
Dr.
 前者の、英語の発話法矯正のエピソードが、ベルの知り合いであったジョージ・バーナード・ショーの手によって、ロンドンの下町なまりのいなか娘イライザが、社交界デビューを果たす、『ピグマリオン』という戯曲になります。
An.
 その戯曲が、オードリー・ヘップバーン主演のミュージカル映画、『マイ・フェア・レディ』として変身、すっかり有名になってしまいます。
Dr.
 ミュージカルでは、イライザと言語学者のヒギンズとのハッピーエンドに終わるんですけれど、原作はけっしてそうではなかった。
An.
 先生のご説明では、バーナード・ショーはただの皮肉屋ではなくって、その生きていた時代の精神を反映して、しっかりしたバックボーンのもとに、世の中の事象を批判し続けた。そんな思想家としての一面も、原作の『ピグマリオン』から、うかがい知ることができる。
 そういうこと、なんですね?
Dr.
 さすが、1を聞いて10を知る江澤さん。バーナード・ショーの活躍した時期の英国は、以前に触れたように産業革命直後の社会の貧富差の激しい、非常に不安定な様相を呈していました。
An.
 マルクスとエンゲルスが、『イギリスにおける労働者階級の状態』というタイトルの論文を発表したのが、1845年でした。
 このOAの224回目で、伺いました。
Dr.
 バーナード・ショーは、1856年の生まれですが、マルクスがロンドンで『国際労働者協会』、つまりいわゆる第一インターナショナルを設立したのが、1864年です。
An.
 それが先生、共産主義なんでしょうか?
Dr.
 1848年、マルクスの出版した『共産党宣言』という書物中に、有名な「一匹の妖怪がヨーロッパを徘徊している、共産主義という妖怪が」との言葉が、書いてあります。
An.
 その言葉、江澤もどこかで聞いた覚えがあります!
Dr.
 ですからショーは、そういう社会的な激動の英国を生きてきており、彼の書く戯曲にもどこかしらそんな社会的思想の影響が、にじみ出ています。
An.
 具体的には、先生、どんな風に?
Dr.
 江澤さんは、『人形の家』って、ご存じですか?
An.
 ええ。子どもの頃、わたしたちの世代には大人気で、バービー人形のセットでお家(うち)がありまして・・・・・・。『人形の家』(笑)。
Dr.
 着せ替え人形のシリーズでしたよね!? アメリカで、バーバラという娘のために作成されたモデルが、全世界で流行になって。
An.
 先生。アメリカ製がバービー人形で、江澤の大切にしていたのは、リカちゃん人形でした(笑)。
Dr.
 ちょっと待ってください。
 私の言いたいのは、リカちゃんでもバービーでもなくって、ですね。ノルウェーの戯曲作家である、ヘンリク・イプセンの『人形の家』という戯曲です(笑)。
An.
 先生! そう言えば江澤も、その本のこと、学校の授業で習った覚えがあります。
 主人公の名前は、たしかノラ!
 子どもの頃ですから、授業を受けた生徒たちは、一瞬のら猫の名前かと(笑)カン違いしました(図7)。

図07 人形の家とノラ?
 図7 人形の家とノラ?


Dr.
 北欧の旧家を描いた、愛と結婚の物語でして・・・・・・。
 1879年に発表されたんですけれども、旧いしきたりにしばられる家族制度を否定して、社会へと船出する女性を描いたこの作品は、当時のヨーロッパに多大な反響を引き起こしたと、言われています。
An.
 そうそう、ノラのお話は明治時代の日本でも、たいへんな反応があったと、江澤は授業で習いました。
Dr.
 バーナード・ショーも実は、こうした流れの中で『ピグマリオン』を書いたものですから・・・・・・。
An.
 先生! それじゃ、戯曲の結末でイライザとヒギンズ教授とのハッピー・エンドはあり得ない!
Dr.
 ショーはイライザに、ヒギンズ教授の特訓の後、英国のノラとなることを期待していたんです。
 教育が乏しければともかく、淑女つまりレディとしての十分な教養を持つようになったイライザは、ノラ同様ヒギンズの家を出ていかなければならなかったんですよ。
An.
 イライザも大変(笑)。
Dr.
 オードリー・ヘップバーンの演ずるイライザは、甘いストーリーのミュージカルにふさわしく、ヒギンズ教授と丸く納まるんですけれども。それは・・・・・・。
An.
 たしかに、ショーの原作の意図とは、まるで異なる結末なんですね!
 先生のお話をお聞きすると、ヘップバーンのロマンス映画も、さまざまの社会背景を反映している、いわば社会の鏡みたいな一面もある。そんな感想を抱きます。
Dr.
 バーナード・ショーは、戯曲を書くだけでなく、当時の文明批評を手懸けていまして。中でも、ワーグナーの壮大な楽劇つまりオペラの一種についても、興味深い評論を残しています。
An.
 そこにも当時の時代を読む、キーワードが隠されているんですね。そのお話も楽しみ!


8.シャーロック・ホームズと大英帝国
An.
 三好先生、前回までは『3月3日の耳の日』の話題から、耳の病気とそれがもたらすコミュニケーション障害、そして3月3日に生まれたアレクサンダー・グラハム・ベルの周辺について、お話を伺ってきました。
 なんと言ってもグラハム・ベルは電話の発明者ですから、遠く離れた人間同士のコミュニケーションの改善に、すごく偉大な発見をしたわけですよね?
Dr.
 そしてグラハム・ベルは、身近に耳の不自由な人が多く存在したところから、難聴に対して補聴器の研究に携わる他、耳が不自由な故に発話が不十分で会話に困っている難聴者についても、独特の発話法で対応する教育にも熱心でした。
An.
 グラハム・ベル自身の母親も、ベル本人の奥さんも耳が不自由でしたもの、ね。
Dr.
 そしてここまでご説明してきましたように、ベル一家の友人だったバーナード・ショーが、ベルの発話教育のエピソードを戯曲にして・・・・・・。
An.
 それがもとで、オードリー・ヘップバーン主演のミュージカル『マイ・フェア・レディ』が、完成した。
Dr.
 ですから、このミュージカルの主役である、下町なまりのひどい英語を話す花売り娘の名前が、イライザ。
An.
 グラハム・ベルのお母さんの名前、なんですよね(笑)。
Dr.
 原作を書いたバーナード・ショーは、その当時の英国の社会の雰囲気を、とっても見事にミュージカルに醸し出していて・・・・・・。
An.
 その当時の英国、と言いますと、産業革命前後の貧富の差の激しい、紳士淑女の脇を浮浪児が駆け回っている、という・・・・・・。
Dr.
 ヴィクトリア王朝時代の英国の風景は、今日では私たちはあの『シャーロック・ホームズ』の、数々の映画で観察することができます。
An.
 あの雰囲気なんですね!
 ホームズが鳥打ち帽をかぶり、ワトソン博士がシルク・ハットを身につけ、街頭馬車でスコットランド・ヤードへ向かうとき、道端にはたくさんの浮浪児がいて、道行く人々に小遣い銭をねだる光景ですね(図8)。

図08 ヴィクトリア王朝の歪みをときほぐすシャーロック・ホームズとワトソン博士
 図8 ヴィクトリア王朝の歪みを解きほぐすシャーロック・ホームズとワトソン博士


Dr.
 その時期、ロンドンはたいへんな人口増加のさなかにあって・・・・・・。
 実際、19世紀初頭のロンドンの人口は100万人しかいなかったんですけれども。1820年代には150万人に増加していますし、例のロンドン万国博覧会の開催された1851年には250万人に増えています。そして、1870年代には350万人となっています。
 その人口激増はすべて・・・・・・。
An.
 先生、産業革命のもたらした成果なんですよね!?
Dr.
 さすがは1を聞いて10を知る江澤さん。
An.
 ロンドンは工業都市となり、中心部には工場地帯ができたため、ロンドンでは住宅環境が急激に悪化し、衛生状態もお粗末なものになった。
Dr.
 その経過は、これまでのラジオ3443通信の『英国紅茶の旅』で、述べて来たとおりです。
An.
 幸い、産業革命の成果のシンボルでもある蒸気機関車により、ロンドン周辺には鉄道網が整備され、ロンドン郊外からも労働者の通勤が可能となったので、町の中心部の混雑と不衛生は解消に向かった。
Dr.
 不潔だったテムズ河からの飲料水採取が中止され、下水道が整備されたことがいっそうの効果につながります。
An.
 ただし、そういった労働状況の長く続いたことから、労働者たちの間に不公平感が高まり、マルクスやエンゲルスの思想が広まる背景になった。
Dr.
 江澤さん、すごいですね!
 私の出番がなくなりそうですよ(笑)。
An.
 けれども、産業革命による経済効果が、最終的には英国社会全体におよび、英国全体の生活はやがてレベル・アップする。
 江澤はこのOAで、そう教えて頂きました(笑)。
Dr.
 江澤さん。産業革命の結果、生産された英国の工業製品は、どこに行ったんでしょう? 生産品ができても、消費してくれる相手が不在では、貿易は成り立ちませんね?
An.
 せ、先生。3443通信では、まだそこまで授業が進んでいません。
Dr.
 江澤さん。ワトソン博士は、軍医としてどこへ派遣されていましたっけ?
An.
 先生、ワトソン博士はインドです。
Dr.
 英国は当時、「英国の領土には日の沈むところがない」と言われるほど、世界中に植民地を保有していたんです。
 1905年の英国の領土の地図が、今でもロンドン市内で手に入ります。
 その地図には、東はニュージーランド・オーストラリアから、香港やインドやアフリカ諸国、そして西はカリブ海などの西インド諸島が、すべて英国領だったと書き込まれています。
An.
 本当に、『大英帝国』だっんですねぇ!
Dr.
 英国は、産業革命で大量生産されるようになった綿製品を、ワトソン博士の活躍したインドに輸出したんです。
An.
 でも先生。インドはむしろ、綿製品の名産地のような気がします。
Dr.
 そのインドに、むりやり英国の綿製品を購入させたことが、大きな歪みとなって歴史に残るんです。
An.
 先生のお話はスケールが大きくって、ときどき整理しないと。江澤の頭に入りません(笑)。
 ところで先生、前回の話題の最後に、バーナード・ショーの書いたワーグナーの評論のお話が、チラリとあったような気分なんですけど?
Dr.
 思い出しました。
 そうなんですよ、江澤さん。
 一時、ドイツの代表的作曲家のように扱われたこともあるワーグナーなんですけど。
 実は、その背景に産業革命前後の時期の社会の不穏な雰囲気が、感じ取れるんです。
 次回は今度こそ、その物語です(笑)。


9.ベートーベンと失聴
An.
 三好先生、前回までグラハム・ベル一家の物語から、その発話法についてお話を伺いました。訛りの強い英国各地の発音を、正統的なクイーンズ・イングリッシュに矯正するだけでなく、耳の不自由で発語の不十分な難聴の人々の、発話にも応用できると教えて頂きました。
Dr.
 ストーリーは、その発話矯正法の実際を、ベル一家の友人であったバーナード・ショーが、ミュージカルの原作を書いたという実話、そこからショーの評論の話題へと移り、作曲家のワーグナーにまで至ろうとしていました。
An.
 壮大な展開なんですね(笑)?
Dr.
 でもね、江澤さん、ちょっと待ってくださいね。
 その前に、グラハム・ベルの仕事の中で、難聴者や難聴児の教育に関する重大な役割について、触れておかないといけません。
An.
 そう言えば先生、このお話はもともと『耳の日』についての、雑談から開始されたものでしたよね(笑)。
 それじゃあまず、耳の病気やそれに関する周辺の知識を、聞かせて頂くのも良いかと(笑)。
Dr.
 以前このOAで、耳が不自由つまり難聴ということは、想像以上に不自由な状況だと、ご説明したことがありました。
An.
 先生のおっしゃるのは、たとえば視覚すなわち目の不自由さ、のような他の五感の病気と較べても、難聴は一層つらいという意味なんですね?
Dr.
 耳の不自由さには、いくつか種類がありまして。
 すごく大雑把に分類しても、生れつき聴覚の不自由な先天性難聴者と、最初は聞こえていたのになんらかの病気で、途中から聴覚をなくしてしまう中途難聴者とでは、まるで環境が異なります。
An.
 ちっとも、知りませんでした。
Dr.
 1例として、このOAでも触れたことのある、突発性難聴という病気があります。
An.
 前の日まで耳の調子はなんともなかったのに、ある朝目覚めたら耳がまったく聞こえなくなっていた。そんな病気でしたよね?
Dr.
 この突発性難聴は、片方の耳だけに発生する病気ではありません。
 両方の耳が、突然まったく聞こえなくなってしまうことも、ゼロじゃないんです。
An.
 それじゃ、とっても困っちゃう・・・・・・。
Dr.
 突発性難聴だけじゃないんですけど。
 そんな風に、人生の前半分は聴覚に不自由していなかったのに、後半から急激に聴力が落ちてしまうと・・・・・・。
 江澤さん。江澤さんだったら、どうなると思います?
An.
 それまで困ることの無かった、人と人とのコミュニケーションがまったくダメになっちゃうわけですから・・・・・・。
 江澤だったら、ひたすら困惑するだけじゃないかと。
Dr.
 現実には、突発性難聴は早期治療である程度、聞こえが改善しますし、補聴器だって役に立ちます。
 とはいえ、前日まで完璧に聞こえていた耳が、ある日急激に聞こえなくなってしまったら、それは精神的にかなりショックです。
An.
 それは、判るような気がします。
Dr.
 突発性難聴とは少し異なるんですけど、徐々に聞こえが落ちていって、最終的に完全に難聴になってしまうタイプもあります。
An.
 江澤は、想像できないですね。
Dr.
 ベートーベンがそうだったんですけれど。江澤さんのお知り合いの、あのベートーベンです。
An.
 そうなんです、先生。このOAの68回目で告白したんですけれども、あの人はこの江澤のために、『エザーワのために』(図9)っていうピアノ曲を捧げてくれたんです(笑)。

図09 江澤アナに捧げられた名曲
 図9 江澤アナに捧げられた名曲


Dr.
 江澤さん、それって『エリーゼのために』じゃ、ありませんでしたっけ(笑)。
An.
 先生、あれは東北弁でなまってしまって、そう誤解されているんですけど(笑)。
 正確なドイツ語の発音では、江澤に捧げられた名曲なんです。
Dr.
 それはともかく(笑)。ベートーベンは、若い頃から耳が遠くなってきていまして。
 ナポレオンに献呈しようとした、交響曲第3番『英雄』を手懸ける直前の1802年には、不自由な耳に対する絶望からか、有名な遺書を書いています。
An.
 どんな困難にも負けないイメージのある、あのベートーベンが、ですか!?
Dr.
『ハイリゲンシュタットの遺書』と名付けられた、彼の弟と甥にあてられた遺書を書き遺しています。
 そこには、音に密接な関連のある作曲家という天命を生きていながら、音から遠ざかることの嘆きが連ねられているんです。
An.
 きっと、ベートーベンは絶望していたんでしょうね!?
Dr.
 ベートーベンはこの遺書を、「ではさようなら、私が死んでも私のことを忘れないでおくれ」と結んでいます。
An.
 でも、ベートーベンは死ななかった!
Dr.
 むしろベートーベンは、その苦悩を乗り越えて、交響曲第3番『英雄』のような、意志的な壮大な名曲を次々に世に問います。
An.
 さすがベートーベン、と言いたいところですが、そんな強靭なベートーベンでさえも、耳が聞こえないという状況はとても辛かった、ということが想像できます。
Dr.
 このように、人生の半ばで聞こえなくなることを、「失聴」つまり聞こえを失う、と表現します。
 それに対して、生まれたときから耳の不自由な難聴者も当然存在し、それもまた別の困難が伴います。
『耳の日』のグラハム・ベルは、そんな生れつきの難聴者・難聴児に対しても、心を尽くします。
 ところで江澤さん。『三重苦の偉人』って、誰のことでしょう?
An.
 先生、それはヘレン・ケラー(図10)です。

図10 三重苦のヘレン・ケラー
 図10 三重苦のヘレン・ケラー


Dr.
 ベルは実はヘレン・ケラーの教育にも、関わってくるんです。お話は続く、です。


11.ヘレン・ケラーの三重苦
An.
 三好先生、前回までヘレン・ケラーの障害、つまり三重苦のお話を伺ってきました。
 ヘレンは盲聾唖と称して、目が見えない、耳が聞こえない、そしてしゃべれない、この3種類の障害を抱えていました。
 私たちでしたら、これら3つのうち1つでも障害があったら、とっても大変だと思うんですけど、ヘレンは・・・・・・。
Dr.
 これらのいずれの障害をも克服して、同じような障害のために苦しみ、偏見に満ちた環境の中にあった人々のために、社会保障の改善に一生を捧げたんです。
An.
 偏見と言いますと、三好先生?
Dr.
 感覚器、五感と呼ばれる人間の知覚の中でも、とりわけ聴覚と視覚は『精神に近い感覚』と呼ばれており、思考に必要不可欠な感覚だと、されています。
An.
 そのお話、江澤は先生からお聞きしたことがあります。
 聴覚や視覚に対して、味覚や嗅覚は『生命に近い感覚』と呼ばれるんでしたよね?
 食べたり飲んだり、人間の生命維持に直接関わっている、感覚ですから。
Dr.
 聴覚や視覚が、思考に関わっているという事実については、世界中のあらゆるものに『名前』がつけられていて、私たちはその名前を自由に駆使して、会話や議論をしている。そんなことからも、簡単に理解できますね。
An.
 逆に言えば、聴覚や視覚が不自由だったとしたら、会話や議論を十分に尽くすことが難しくなる。
 そんなことも、考えられますね、先生。
Dr.
 私の副業(笑)が耳鼻咽喉科なので、ことに聴覚の不自由な場合について、より具体的なご説明ができるんですけど(笑)。
An.
 三好先生、聴覚が不自由なときには、どのような偏見が付きまとうんでしょうか?
Dr.
 一例として、視覚障害をお持ちの方の場合、はたから見て、すぐにその方が視覚障害だと判断できることも、少なくありません。
An.
 目の不自由な方は、私たちが端から観察していても、たいていその障害に気付きます。
Dr.
 ご本人も、ことさらにそれを隠す必要がありませんし、安全上の理由からも白い杖を活用するのは、合理的です。
An.
 それに比べると耳の不自由な方は・・・・・・。
Dr.
 かなりのお年の方で、いかにも耳が遠そうに見える方はともかく、若い難聴者で補聴器の目立たない場合には・・・・・・。
An.
 端から見て、その方の不自由さに想像の及ばないことも。
Dr.
 決してゼロでは、なさそうです。
An.
 そうした方の耳の障害に気付かないまま、私たちは不自由を強いてしまうことがあるかも、と。
 ちょっと心配になります。
Dr.
 実際耳の聞こえない人間が、何の配慮もないままに、いきなり通常の日常会話の渦(うず)の中にさらされるというのは。
 英語のものすごく苦手な私たちが、突然アメリカ人だけの集団に放りこまれたようなもので・・・・・・。
An.
 江澤だったら、ものすごく心細くなってしまいます(笑)。
Dr.
 英語ができない劣等感に苛まれ(さいなまれ)ているところに、ベラベラッとしゃべりかけられたりしたら?
An.
 江澤は無理です、無理です(笑)!
Dr.
 耳の不自由な方が、何の配慮もなしに毎日の日常会話に巻き込まれるのは、そんな気分なんです。
An.
 心理的に・・・・・・、江澤だったら少しめげそうになっちゃうかも。
Dr.
 そういう理由から、難聴者の方はどうしても消極的な考え方に染まりがちなんです。
An.
 でも先生。偏見と言われるようでしたら、もっと他にも事情がありそうな気がします。
Dr.
 重要なのは、そこなんです。
 耳が不自由だと、声を懸けられても気付かないですし、会話の内容もなんとなくはぐれがちで的を射ない。そんな場合も、皆無ではありません。
 そうすると、会話の相手は・・・・・。
An.
 難聴者の方を注意不足だとか、誠意がないとか、思っちゃうかも知れません。
Dr.
 それどころか、会話のとどこおる難聴者の方は、理解力や能力の不足と勘違いされたりすることもありますし・・・・・・。
 言いたくはないのですが、難聴者は知能の低い人間と誤解された時代だって。
An.
 あったかも知れませんね……(文末の“読者の声”を参照)。
Dr.
 偏見というのはまさにそのことでして、ヘレン・ケラーの時代には、聴覚や視覚の不自由な方は能力の低い人間として、いわば差別されていたんです。
 いえいえ差別ならともかく、現実には隔離に近い状態にあったのかも知れません。
An.
 その社会状況を、ヘレン・ケラーが!
Dr.
 そうなんです。盲聾唖の三重苦の人間であっても、厳しい訓練によって通常の、いや通常以上に社会的な活躍ができる。
 今思えば当然の真実を、ヘレン・ケラーは実証したんです。
An.
 それでこそ、ヘレンは三重苦を克服した偉人として、世界中で尊敬されたんですね?
Dr.
 本人の偉大な努力もですが、それを理解し支えてあげる人材が、ヘレンの傍(そば)にいたことも、忘れてはなりません。
An.
 アニー・サリバン先生のことですね。三好先生!
Dr.
 加えて、その背後にここまで話題にしてきた、あのアレキサンダー・グラハム・ベルが存在した。それが大切だと思います。
An.
 グラハム・ベルって、電話を発明したり、マイ・フェア・レディの原作になったり。
 それだけでもスゴイのに!
 三重苦の偉人であるヘレン・ケラーの教育にも、関わっていたんですね。
Dr.
 ヘレンの教育については、まだまだ多くの偉大な体験が伝えられています。次回です。


12.失うことで得られる感覚
An.
 三好先生、3月3日の『耳の日』の話題から、電話のお話やエジソンの逸話、そしてあの偉大なグラハム・ベルのさまざまなエピソードを、聞かせて頂きました。
 特にベルについては、電話の開発に携わっただけでなく、難聴者のために補聴器の開発を考えていたこと、それは母親やベルの奥さんの耳が不自由だった身近な体験がもとになっていること、など江澤の知らなかったことを、たくさん教えて頂きました。
Dr.
 それにまつわるお話として、ベルが難聴者のための発話法・発声法に携わっていたこと、それがバーナード・ショーによって戯曲化され、オードリー・ヘップバーン主演のミュージカル『マイ・フェア・レディ』になったこと、も話題になりました。
An.
 そして、ベルのもう一つの重要な仕事である難聴児の教育において、ベルはあの三重苦の偉人であるヘレン・ケラーを、世界に紹介しました。
Dr.
 そのヘレンの大活躍によって、それまで偏見と差別の中にあった、盲や聾そして聾唖の人々に対する世界の認識が変わりました。そして、自分たちのような障害のない人間も、ヘレンたちのような境遇にある人々から、多くを学ぶことができるという、後から思えば当たり前の事実に気付くようになりました。
An.
 そう思うと、ベルやヘレンの成し遂げた成果は、それまでの世界のいわば常識を変えるような、とてつもない業績だったのかも知れませんね?
Dr.
 ただ、歴史の現実から言いますと、ベルやヘレンの偉大な仕事が知れ渡ってからも、聴覚障害や障害者に対するけわしい道のりは、まだまだ続くんです。
An.
 と言いますと? 先生。
Dr.
 その頃たいへんな議論のあった中から、ごく理解し易い例を1つ挙げますと。
 例えば難聴児の教育には、ベルの推し進めて来た発話法・発声法を主にした、あくまで聴覚を最優先するコミュニケーションが、もっとも優れているのか?
 あるいは不自由な聴覚だけに頼らずに、手話や指を使用した記号を活用する指文字はどうなのか。それらによるコミュニケーションは、はたしてベルの主張する教育法に劣るのか?
An.
 たいへんな議論になりそうですね、先生!?
Dr.
 いずれの手法も、現在ではじっくり研究されていて、決して優劣のつくものでないことは判っているんですが。
 障害児本人の向き不向きや、育って来た環境、それに周辺の状況に左右されることも、それはあり得ることなんです。
An.
 理論的にどんなに優れていても、目の前にその環境が揃っているかどうか、それは確かなことですね。
Dr.
 ヘレンの場合に限ると、彼女は聴覚だけに頼っていたわけではなさそうです。
 江澤さんに何回かお話ししましたけれど、人間の感覚つまり入力システムを五感と称します。
An.
 聴覚・視覚・嗅覚・味覚・触覚のことでしたね、先生(笑)?
Dr.
 一般的には、人間は言語を介してコミュニケーションをとるものですから、五感のうちでも聴覚と視覚が重要視されます。
An.
 五感の中でも嗅覚と味覚は、『生命に近い感覚』であって、それに対して聴覚と視覚は『精神に近い感覚』であって、思考つまりものを考える際に使用されるんでしたものね。
Dr.
 さすがは1を聞いて10を知る江澤さん。ですから、通常のコミュニケーションにおいては聴覚・視覚が優先されていて、だからこそヘレンのような三重苦の人間にはコミュニケーションが苦手だったんです。
An.
 よく理解できます。
Dr.
 ところが逆の考え方をすると、私たちのように聴覚・視覚に関してあまり困った経験をしたことのない人間は、それ以外の五感つまり人体への入力システムを活用できていません。
 ところがそんな私たちでさえ、何の刺激もない真っ暗闇の中に放り出され、じっとしていると・・・・・・。
 聴覚や視覚だけでない他の感覚が、なんとなく冴え渡って来るような、不思議な気分を味わうことがあります。
An.
 聴覚や視覚が不十分だと、それ以外の五感が補ってくれることだって。
 あるかも知れませんね(笑)。
Dr.
 たとえ話に引用しては失礼かもしれませんし、悪意はないことをお断わりした上で。
 視覚が十分ではなく、白い杖を日常お使いの方が、その杖からしか情報が入って来ていないとは、とても信じられないほど自在な歩行をしておられる光景は、良く見かけます。 
 ヘレンの場合にも、そんな現象は見られたようで・・・・・・。
An.
 つまり、聴覚や視覚以外の五感の性能をフルに発揮させて、コミュニケーションを実施していた?
Dr.
 私たちは、たまたま聴覚・視覚が最低限機能しているだけで、逆にヘレンが感じ取っていたこの世界の現象を、逃してしまっていることはあるかも知れないと。
 そう感じることは、ゼロではありません。
An.
 具体的にはどういうことでしょう。先生?
Dr.
 例えばヘレンは、こう言っています。
「日中の空気は軽く、においも軽く、全体の雰囲気に動きがあり、振動があるけれど。夜は静かで振動が少なく、空気は濃厚に重くなり、あらゆるものごとに動きがなくなる」
An.
 そのヘレンの感受性には、びっくりしちゃいますね!
 本当に、まるで詩人の感覚を言葉にしたみたいな、ステキな表現ですもの、ね。
Dr.
 ヘレンのことを学んでいると、ですね。
 外観上は障害が存在せず、一般的には五体満足と考えられる私たちは、むしろヘレンの感じ取っていたことの半分以下の現象しか、自分のものにしていないようなそんな気もして、恥ずかしく感じることも少なくありません。
An.
 確かに私たちが、身に備わっている五感などの性能を十分に生かして生活しているかどうか、考え直す機会になると。
 江澤もそう、思います。
Dr.
 次回はヘレンが、それら五感を活かしてサリバン先生やグラハム・ベルと交流し、世界を拡げて行ったエピソードについて、ご紹介したいと思います。


13.言葉という概念
An.
 三好先生、前回はヘレン・ケラーが、盲聾唖という三重苦を担いながらも、人間に備わっている他の五感を活用して、世界を拡げていったとのお話を伺いました。
 その一方で先生からは、五感の中でも聴覚や視覚が思考に関わっていて、それ故に世界中のあらゆるものに『名前』がつけられていること。そして、私たちはその名前を自由に駆使して、会話や議論をしていること。そういう事実についても、教えて頂きました。
Dr.
 目の前に存在する具体的な物質だけじゃなくって、抽象的な概念もつまり『考え』となるためには、まずものにはすべて『名前』がついていることを、理解せねばなりません。
An.
『言葉』という、概念を具体化する手段を活用することができれば、それは可能なんでしょうけれども・・・・・・。ヘレンの場合、三重苦のためにそれが難しかったわけですね?
Dr.
 江澤さんは、もうすでにヘレン・ケラーの一生について、勉強しておられるでしょうから(笑)。
 ヘレンが「言葉」に目覚めた、有名なエピソードをご存じですよね。
An.
 江澤は、映画になったヘレン・ケラーの伝記の印象が強いんですけど・・・・・・。
 確か、サリバン先生が冷たい井戸水をヘレンの手に注いだとき、ヘレンがその水の冷たさや触覚を感じた瞬間に、サリバン先生がヘレンの手のひらに指文字を書いた・・・・・・んでしたよね、三好先生。
Dr.
 サリバン先生は、そのときなんと書きましたっけ?
An.
 思い出しました! たしか、サリバン先生はヘレンの手のひらに "w-a-t-e-r"、つまり水と書きました。
Dr.
 その一瞬のことを、ヘレンは自伝にこう書いています。
”私はじっと立ちつくし、その指の動きに全神経を傾けていた。すると突然、まるで忘れていたことをぼんやりと思い出したかのような感覚に襲われた-感激に打ち震えながら、頭の中が徐々にはっきりしていく。ことばの神秘の扉が開かれたのである。この時はじめて、 "w-a-t-e-r"が私の手の上に流れ落ちる、このすてきな冷たいもののことだとわかったのだ。この『生きていることば』のおかげで、私の魂は目覚め、光と希望と喜びを手にし、とうとう牢獄から解放されたのだ!(図11)”

図11 W-A-T-E-R!
 図11 W-A-T-E-R!


An.
 劇的な瞬間ですね。
Dr.
 ヘレンはこう、続けます。
”井戸を離れた私は、学びたくてたまらなかった。すべてのものには名前があった。そして名をひとつ知るたびに、あらたな考えがうかんでくる。家へ戻る途中、手でふれたものすべてが、いのちをもって震えているように思えた。今までとは違う、新鮮な目でものを見るようになったからだ。”

An.
 三好先生がさきほど触れておられた、すべてのものには名前がある、という事実にヘレンは目覚めたんですね?
Dr.
 ヘレンはその直前、自分の意志が相手に通じないことにいらだち、大切にしていた人形を壊してしまったんですけれど。
 それについてもヘレンは、こう書きます。
”家の中へはいるとすぐに思い出したのは、壊した人形のことだった。手探りで暖炉のところまでたどり着き、破片を広い上げる。もとに戻そうとしたが、もうもとには戻らない。目は涙でいっぱいになった。何とひどいことをしたのかがわかったのだ。この時、私は生まれてはじめて後悔と悲しみを覚えたのだった。”

An.
 ヘレンはそれまでは、具体的な事象と感情とを、結びつけることができなかったんですよね?
Dr.
 ものには名前があり、その名前によって思考の対象になる。
 私がヘレン・ケラーの話題で触れてきた、それがヘレンにも実感として判った瞬間でしょうね。
An.
 ヘレンはその盲聾唖の三重苦を、どうやって克服したんでしょうか?
Dr.
 そういった、外へ表現できない、人間の中に潜んでいる状態の言葉を、内言語つまり内側に存在する言葉と医学的には表現するんですけど。
An.
 他人に対して表現された言葉は、それに対して?
Dr.
 そうです。『外言語』です。
 そして人間は言葉を他人に伝えるために、どんなことをするのでしょう。
 江澤さんのお仕事が、それに相当しますけれども。
An.
 先生、江澤のお仕事は伝えるべき内容を言葉にして、お話しすることです。
Dr.
 人間のコミュニケーションは、耳から言語を入力し、それを頭脳に伝えて考えます。それがインプットになります。
 頭脳で考えた内容を、アウトプットすなわち出力するのは、発声であってつまりそれが江澤さんのお仕事内容です。
An.
 つまり先生、人間のコミュニケーションは、耳からの入力とのどからの発声で構成されているわけなんですね!
Dr.
 そんなわけで、ヘレンも発声の訓練を受けることになります。
 入力と出力、出力と入力、その繰り返しが人間同士のコミュニケーションになっていますから、ね。
An.
 先生、お話を伺っていて、それはどこかで聞いたことがあるような。そんな気がしました。
Dr.
 実はですね。目の前ではなくって、遠距離での人間同士のコミュニケーションを可能にしたのが、ベルの発明した電話回線だったんですよ!
An.
 そうでした! アレクサンダー・グラハム・ベルの、最大の業績は電話でしたよね!
Dr.
 ですからベルの一生は、もちろん他にもたくさんの業績はあるんですけれども。何と言っても、世界中でコミュニケーションがとれるようにしたこと、なんです。
An.
 三好先生、ここにヘレン・ケラーの自伝がありますけれど。その冒頭に、こう書いてあります。
”本書をベル博士に捧げる。博士は聴覚障害者の教育に尽くされ、電話の発明により、大西洋からロッキー山脈まで声が届くことを可能になされた方である”

Dr.
 ベルの偉大さと、ヘレン・ケラーの心からの感謝の念がにじみ出た謝辞ですよね。
 本日も、ありがとうございました。

読者の声
(元北海道新聞・記者 伊藤直紀さま)
 1989年に、白老町のアレルギー疫学調査を記事(当会報88号)にして下さった元北海道新聞・記者の伊藤直紀さまから、本稿を読んだ感想を頂きました。ご自身も幼少期からの難聴で、周囲とのコミュニケーションに悩んでおられたそうです。
●無視したと言われ……
「子供の頃の中耳炎が原因で、右耳がほとんと聞こえず、左も高音域が聞こえづらいんです。随分と病院にも通ったんですが……。たまに右後ろから声をかけられると、右耳が聞こえないので反応できず「無視された!」と避難されることもありました。なので本稿は真剣に読んでいます」

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「全ての子どもには無限の可能性がある」
 2012年6月、当院の会員20周年記念講演会にて、院長の大先輩である田中美郷先生(帝京大学名誉教授)を演者にお招きしました。
 田中先生は講演の中で「難聴児療育は、物事を教え込むのではなく、その子の内なる可能性を引っ張り出すこと」が重要と説かれていました。
(講演内容は、ホームページ『3443通信』No.341~343に掲載)

追加
 聴力の単位であるdB(デシベル)の「ベル」はアレキサンダー・グラハム・ベルの名前から付けられました。
 全ての耳鼻科医はベルの「弟子(デシ)」であるという意味でしょうか(笑)?

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