2024年4月 No.350
第23回 ありのまま自立大賞授賞式 参列レポ
秘書課 菅野 瞳
2023年7月22日(土)、地下鉄五橋駅に隣接する仙台市福祉プラザ(図1)にて、第23回ありのまま自立大賞授賞式が開催されました。
梅雨の足音が近づく頃になると、ありのまま舎自立大賞事務局より授賞式のご案内が届いてきます。私は、院長代理として数多くの会合に出席していますが、ありのまま舎が主催する自立大賞授賞式の参列は、楽しみにしている会合の一つにあたります。
図1
昨年の授賞式参列レポ(3443通信 No.334)にも認めましたが、その理由は単純明快です。それは、障害の重度・軽度に関わらず、また障害者という枠にとらわれることなく、前向きに生きようとする人々の自立生活のあるべき姿を社会に提起して頂ける場であるからです。
今年はどのような方が受賞されたのだろう? そんな好奇心を抱きつつ、会場へと急ぎました。
今回で23回目を迎えるありのまま自立大賞は、社会福祉法人『ありのまま舎』が障害者の自立支援を促そうと毎年表彰をしており、賞を創設された故・三笠宮寛仁さまの次女である、瑶子女王殿下が選考委員長を務められています。
本年度のありのまま自立大賞は、昭和大学病院で薬剤師として勤務されている早瀬久美さんが受賞されました。
早瀬氏は聴覚障害者として国内で初めての薬剤師免許を取得し、スポーツファーマシストとしてアンチドーピングの啓発活動や使用薬物調査などの活動を行っており、その活動が評価されました。
私が初めて耳にした、スポーツファーマシストについて補足をしますが、医療に係る最新のアンチドーピング規則に関する知識を有する薬剤師の方を言うのだそうです。“ドーピング”という言葉を、一度は耳にされているのではないかと思いますが、スポーツに於いて禁止されている物質や方法により競技能力を高め、意図的に自分だけが優位に立ち、勝利を得ようとする行為を言います。
早瀬氏は、ご自身が自転車競技選手としても活躍をされており、2025年に東京で開催されるデフリンピック(耳が聞こえないアスリートの方のオリンピック)出場を目指している薬剤師でありながらアスリートという逸材です。
授賞式に登壇されてから、始終笑顔を絶やすことがなかった早瀬氏ですが、その笑顔の下に隠れた努力は並大抵のものではありません。早瀬氏が歩んだ、薬剤師になるまでの軌跡を追ってみることにしましょう。
難聴者には資格がない!?
早瀬氏は、中学時分の進路相談に於いて耳が聞こえない人は、ご自身のお母様と同じ薬剤師という職業に就けないことを知ります。恐らくですが、大半の人はそこで自身が描いた将来に絶望するでしょう。ですが彼女はここで、はいそうですか! と簡単には引き下がらず、耳が聞こえない人が薬剤師にはなれないという法律を変えることに尽力します。
「法律は人が作ったものだから、人が変えることが出来る。あなたはあなたらしく、ありのままに自分が出来ることを頑張りなさい」と、励まされたというお母様の言葉が、早瀬氏の原動力になったのだそうです。
大学の薬学部で学び、薬剤師国家試験に合格をされたものの、欠格事由のため資格申請を却下されても諦めずに多くの署名(222万人)を集め続け、薬剤師法を含む様々な障害を理由とする欠格事由の撤廃を多くの仲間と共に勝ち取り、自ら門戸を開きました。そして聴覚障害者として、国内で初めて薬剤師免許を取得され、現在のご活躍があります。ご自身の座右の銘が、「できるかできないかではなく、やりたいかどうか」だと仰る早瀬氏。これをやりたい!という、ご自身の熱い想いを貫き通した早瀬氏の強さに、私は憧憬の念を抱きました。
早瀬氏は受賞後の談話にて、自分自身への謝意をこう述べています。
「あの時、薬剤師の夢を諦めずに前に進んでくれて有難う」
早瀬氏のこの言葉は、とてもとても私の心に響きました。
自分自身への賛辞は自分への自信に繋がります。自立大賞という素晴らしい賞を受賞され、それもまた早瀬氏の大きな自信に、誇りになったことと思います。
未来の目標に向けて!
早瀬氏の今後の目標は、薬剤師として専門的な分野(スポーツファーマシスト)で精進し道を広げて後進を育てること、そして2025年のデフリンピック東京大会でのメダル獲得を目指し、女性アスリートがより活躍し輝ける環境を築くことだそうです。
未来を見据えた、輝かしい瞳でそう語る、早瀬氏の今後のご活躍を期待したいと思います。
迫力の車いすバスケ
そして、本年度のありのまま自立支援大賞は、2016年より日本車いすバスケットボール連盟の会長をされている、玉川敏彦氏が受賞されました。玉川氏はご自身が21歳の時に脊椎を損傷する事故に遭われ、医師からは「一生歩けない。5年生存が出来れば良い方だ」と診断を受けたそうです。
当時はその現実が受け入れられず、絶望感と虚無感に苛まれた日々だっと仰っていましたが、そんな玉川氏の気持ちを前向きに変えたもの、それが車いすバスケットだったそうです。
今となっては笑い話になりますが、若者あるあるのモテたいという不純な動機(笑)が、バスケットボールを始めるきっかけになったそうですが、20代になりたてのエネルギッシュな若者にとって、このスポーツとの出合いは大きな転機になったことでしょう。バスケットボールに出合ってからの玉川氏は、気持ちが前へ前へと向かうようになり、仕事に於いても「健常者には負けたくない!」という一心で、何事にもがむしゃらに取り組まれたそうです。
1988年から車いすの製造販売会社にお勤めをされた玉川氏は、ご自身が選手であった経験を生かして随分アドバイスをされながら、競技用に使う車いすの開発に邁進されたのだそうです。
障害受賞後の玉川氏は、障害者スポーツの中で最も過激であり華やかなスポーツでもあるバスケットボールの世界を連盟を立ち上げた前会長から引き継ぎ、そしてその体制を牽引・刷新し挑戦を続けてこられました。
そしてそれが形となった2020年の東京パラリンピック大会では、悲願の銀メダルを獲得!! 多くの国民に感動を与えられ、これまでの功績を讃えての今回の大賞受賞となりました。
ありのまま自立大賞を受賞された早瀬氏と、ありのまま自立支援大賞を受賞されました玉川氏の、今後の更なるご活躍を祈念いたします。