2024年2月 No.348
日本百景“猊鼻渓”舟下りをしました
院長 三好 彰
皆さんは、お隣岩手県一関市にある名勝・猊鼻渓(げいびけい)を御存じでしょうか。
北上川の支流の一つである砂鉄川の約2キロメートルにわたる渓谷地帯の通称で、浸食によって石灰岩が削られて出来た落差100メートルにもおよぶ断崖絶壁が特徴です。
圧倒的な迫力の巨岩地層の中をうねるように流れる川面を、棹一本で船を操る船頭さんの「げいび追分」をBGMにして、ゆらりゆらりと悠久の流れに身を任せるのは、忙しい日常生活を一時忘れさせれくれる、そんな貴重な体験となりました。
この猊鼻渓舟下りは、季節や行事によってその装いを変えて利用できます。
和装に身を包んだ舟上での結婚式や、赤い絨毯を敷いたお茶会、はたやしんしんと雪降るなかを木材運搬(木流し)が食したとされる地産食材の鍋をこたつ仕様の船で食べるなど、様々なアクティビティー体験が楽しめます。
それでは、実際の猊鼻渓の景色を案内図(図1)と写真にてご紹介いたします。
図1 猊鼻渓の全容
鼻渓の生みの親
かつて辺境の地としてほとんど知られていなかった猊鼻渓を観光地として開拓したのが、故・佐藤 衡(さとう こう)氏です。幼少時より父から漢字の手ほどきを受け、漢詩を得意としていたことから号を猊巌(げいがん)とも呼ばれています。
地元の隠れた秘境をどうにか町興しに出来ないかと、その美しくも厳しい景色を詩におこしてPRするなど私費を投じた観光開拓に尽力されました。
舟下りの発着場には、その佐藤猊巌氏の銅像が建てられています(図2)。
図2
何艘もの屋形舟が接岸してお客さんを待っています(図3)。本来でしたら暖かいこたつに入りながら渓谷に降る雪景色を楽しめる季節なのですが、暖冬の影響から雪の“ゆ”の字もありません。
ちなみに舳先が平なのは、元々は馬を乗せるための馬渡し舟から受け継がれた構造とのことです。どうりで乗り易いなと納得してしまいました。
図3
船頭さんの巧みな棹捌き(図4)で川へ繰り出すと、川面では先客が列を成して川下りを楽しんでいました(図5)。
図4
図5
揺られること数分、帰りの屋形舟とすれ違いざまにご挨拶です(図6)。
図6
出発して数百メートルの地点で③凌雲岩(りょううんがん|図7)に差し掛かります。初夏には川霧が立ち込め、その雲間から見え隠れする様が美しいそうです。
図7
岸壁にポッカリと口を開けているのは毘沙門天が祀られた毘沙門窟(びしゃもんくつ|図8)と呼ばれる洞窟です。お賽銭箱が置いてありますが、船から投げ入れても殆ど入ることはないとか。船頭さんに預けておくと、後で入れてくれるそうです。
図8
折り返し地点のすぐ手前にそびえるのは、独特の地層模様を描く⑫錦壁岩(きんぺきがん|図9)です。秋にはその鮮やかな紅葉と岩肌が、まるで一枚の絵画を思わせる情景を見せてくれるそうです。
図9
その錦壁岩の対岸に張り出した岩を良く見ると、まるで女性の横顔にも見える⑨少婦岩(しょうふがん|図10)があります。分かりづらいので、写真内にコレ?と思われる線を描きました。どうです? 美しい女性に見えますか?
図10
舟の折り返し地点で一度下船し、付近を散策します。
大きくS字に歪曲した川の先には、高さ約120メートルもの大岩壁である⑯大猊鼻岩(だいげいびがん|図11)が、悠然とした姿で乗船客を待ち構えています。
この岩の一部には穴が開いており、そこの穴に“うん玉”と呼ばれる文字の彫られた石を投げ入れると願いが叶うと言われるパワースポットになっています。そのうん玉には「福」「縁」「寿」「愛」「願」「運」「恋」「絆」「禄」「財」と願いが彫られているそうです。
あなたは何を願ってチャレンジしますか?
図11
帰りの船上では、船頭さんによる“猊鼻追分(げいびおいわけ)”を聞きながら自然の流れに任せてゆったりと川を下っていきます(図12)。どこか懐かしく、渓谷にしっとりと流れる歌に聞き惚れながら、舟下りを終えました。
図12
帰り道、銀嶺の奥羽山脈を望みながら宿へ向かいます(図13)。
さぁて、また頑張って仕事しよう!
図13