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2023年9月 No.343

 

超絶大人気アニメ・マンガ作品
『鬼滅の刃』吾峠呼世晴 原画展レポ

総務課 青柳 健太

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 いまや年齢層を問わずに絶大な人気を誇るマンガ&アニメ作品『鬼滅の刃』。その原作者・吾峠呼世晴さんの原画展が、2023年7月27日(木)仙台駅東口すぐのTFUギャラリーミニモリ(東北福祉大学)で開催されました(図1)。
 第二次先行予約の抽選に受かり期待して待つこと約二カ月。ようやく生の原画をこの目で見られる絶好の機会に胸が躍ってなりません。

 当日、うだるような暑さのなか会場前には、すでに何人かの観覧客が開場をいまかと待っていました。
 もちろん会場内は撮影・録画・録音などの全ての記録ツールは使用禁止。混雑やトラブルを避けるため人数・時間制限が設けられ、各時間20名ほどのグループのみが入場できる徹底ぶり。嫌がおうにも期待が高まります。

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 図1


鬼滅の刃とは?
 すでに「単行本、全巻持ってるよ!」「アニメのブルーレイも持ってるよ!」と言うファンの方には不要かとは思いますが、簡単にこの作品についてご紹介させて頂きます。

***あらすじ***
 お話は主人公である竈門 炭治郎(かまど たんじろう)が、突如人喰いの化け物である“鬼”へと変貌してしまった妹・禰豆子を、人間に戻そうと奮闘するお話です。
 炭治郎の家は、母一人、子六人の母子家庭でした。裕福ではなくとも仲の良い兄弟姉妹に囲まれる生活は、炭治郎にとって守るべき大切な日常そのものでした。そんな一家を支えるべく、長男である炭治郎は炭焼きをして生計を経てていました。

 ある日、炭治郎は炭を売りに山から町へと下りて行きます。
 人柄の良い炭治郎は街の人からも頼られ、ついつい時間を忘れて人助けに奔走してしまい、知り合いに一泊するよう勧められ、山に帰るのを翌日に延ばすことにします。

 その選択が、炭治郎を過酷な運命へと追いやるとは露ほどにも思わずに——。

 明くる朝、家路を急ぐ炭治郎は、周囲に漂う不穏な“血”の匂いを感じ取ります。
 慌てて家に駆けよると、そこには、血だまりの中で絶命する家族たちの姿が……。

 ——なぜ? どうして!? なにがあったッ!?!?

 混乱する炭治郎。
 一夜にして自分以外の家族が冷たい骸と化してしまったことに、感情も理解も追いつきません。しかし、そのなかで一人だけ体温が冷めきっていなかった妹・禰豆子を背負い、炭治郎は吹雪く雪山を駆け下りていきます。

 ——せめて妹だけでも助けたい!!

 必死の思いで雪に埋まる足を動かし、町までの山路を下って行きます。

 その途中、炭治郎の背中から唸るような声が……。
 突然動き出した禰豆子とともに、炭治郎の体は崖から落ちてしまいます。ですが地面に積もる雪のおかげでケガ一つなく起き上がると——

 目の前に、人喰いの“鬼”と化した禰豆子がたたずんでいました。

「生まれた時は人間だった筈の禰豆子がどうして鬼なんかにッ!?」

 戸惑う炭治郎に、正気を失った禰豆子が襲い掛かります。
 咄嗟に身を守る炭治郎ですが、禰豆子とは思えない物凄い力で押さえつけられ、あわや命に危機に瀕してしまいます。

「禰豆子! 鬼になんかになるな! 頑張れっ!!」と、必死に呼び掛けます。

 次の瞬間、うめき声をあげながら齧り付こうとする禰豆子の目から、大粒の涙が零れ落ちていきます。
 ハッとする炭治郎。
 もしかして禰豆子にはいまだ自我が残っているのではと思案します。

 そこに、一人の青年剣士——富岡義勇(とみおか ぎゆう)が襲来します。

「鬼になった人は、二度と人間には戻らない」

 そう断言する富岡は、目にも止まらぬ俊敏さで禰豆子を取り押さえます。
 妹を殺さないでと懇願する炭治郎に、富岡は激昂します。

「生殺与奪の権を、他人に握らせるなっ!!」

 守りたいものがあるなら、最後まで戦え。
 その強さを持たないものに、なにも守れやしないと、呆然とする炭治郎に現実を突き付ける富岡。突き放すような厳しい言葉を投げかける富岡ですが、その心中は自分と同じ経験をしてしまった炭治郎に対する慈愛と叱咤に溢れていました。
 その言葉に奮い立ち再び富岡への逆襲をはかるも、圧倒的な技量によって一蹴されてしまいます。

 気を失い倒れ伏す炭治郎。
 ですが、自らを囮にした炭治郎の起死回生の一手により、富岡は驚き僅かな隙を生んでしまいます。
 その一瞬の隙をつき、拘束を解いた禰豆子が、人喰いの衝動そのままに炭治郎に飛び掛かろうとします。

「——しまった、喰われるッ!?」

 そう富岡が思った瞬間、なぜか禰豆子は倒れ伏す炭治郎に背を向け、まるで守るような姿勢を取りました。

 目の前のあり得ない光景に、富岡は思わず固まってしまいます。鬼は人を襲う。それが例え兄弟や親、恋人であったとしても、人の意識をなくした鬼に人を思う記憶も思い出も感情すらも残っておらず、ただただ摂食欲求にのみ従う悪鬼羅刹であるという事実が全てでした。
 そんな富岡には、兄を守ろうとするような禰豆子の姿が、古より続く鬼との戦いの現状を変える一筋の希望のように思えました。

 刀を納めた富岡は、気絶から覚めた炭治郎にある人物の下を訪ねるよう告げてその場を去ります。
 家族を弔った炭治郎は、なぜか自分を襲ってこない鬼の禰豆子を人間に戻すための旅に出ることを決意します。
 それが、艱難辛苦という言葉さえぬるい、極めて過酷な旅であることも知らずに……。

 その後、炭治郎は尋常とは思えない苦しい修行の果てに、政府非公認の剣客集団<鬼殺隊>へ入隊を果たします。当然、バレてしまえば討伐対象となってしまう鬼の禰豆子の存在は隠しながらという無茶な試練を己に課しながら。
 鬼殺隊としての活動のなかで炭治郎は、得難き仲間や尊敬できる先人たちと出会います。ですが、鬼との激しい戦いのなかで胸を引き裂かれるような悲しい別離をも経験してしまいます。

 それでも実直で他人想いの炭治郎は、憎むべき敵である鬼にも憐憫の情を抱きながらも、ただ一人の家族である禰豆子を守るため“命を削る”という言葉の通りに必死に戦い抜きます。
 そしてこれ以上、自分たちのような哀しい想いをする人が増えないように、その元凶を倒すことが自分の使命だと決意するようになります。
 志を共にする得難き仲間たち。
 強さに憧れ、目標となる人。
 炭治郎を取り巻く人間模様は、それまでの日常とはかけ離れた波乱万丈で、かつ濃いものに変わっていきました。
 炭治郎は何度も死地に飛び込み「長男だから耐えられた!」と、長男以外には意味の分からない言葉を口走ってしまうような厳しい戦いの日々を送ります。

 そして、多くの戦いを経て成長した炭治郎は、1000年以上つづく哀しみの連鎖を断ち斬るために、鬼の首魁・鬼舞辻無惨(きぶつじ むざん)との決戦に挑みます。

******

展示会場の様子
 会場は1~2階に分けられ、9つのテーマに沿った形で原画が展示されています。
 入口から入ってすぐにはコミック全23巻の拡大版の表紙と、等身大の人形が設置されていました。ここは会場唯一の写真撮影が可能なスポットです(図2)。

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 図2


 奥に進むと、そこからテーマに合わせた原画が約400ページ展示されています!
 まずは主人公・竈門炭治郎から始まり、妹の禰豆子、もはや兄弟と言ってもよい二人の仲間・我妻善逸(あがつま ぜんいつ)、嘴平伊之助(はしびら いのすけ)。後に炭治郎の妻となる隊士・栗花落カナヲ(つゆり かなお)などの厳選された原画が並びます。

 次いでガラッと雰囲気がモノトーンへと変わり、柱から天井にかけて怖気の走るような肉の塊が目を引くスペースへと進みます。
 ここは、1000年以上もの昔に鬼となり、以来、己の望みを叶える為だけに世に鬼を放ち続けた首魁・鬼舞辻無惨を始めとする“鬼”たちが紹介されています。
 鬼たちの中でも別格の強さを持つ“十二鬼月(じゅうにきづき)”と呼ばれる12体(上弦6体、下弦6体)の鬼。その上位1~6位に座すネームドエネミーたちの迫力ある姿が、強烈な異彩を放っています。
 私は、どちらかというと物語上、一際強い存在感を放つ悪寄りのキャラクターたちが好きなため、この鬼コーナーだけで1時間以上は滞在できる自信がありました。残念ながら時間制限があるため、2~3度折り返して観るのが精一杯でしたが……。

強さを求めつづけた孤高の鬼
 その中でも特に思い入れが強いキャラクターは、先般、劇場公開されて日本映画史に残る驚異的な興行収入500億円以上という偉業を果たした『無限列車編』のラストに登場し、圧倒的な強さを持つ火柱・煉獄京寿郎(れんごくきょうじゅろう)を破った十二鬼月が一人、上弦の参(さん)の鬼・猗窩座(あかざ)です。
 拳一つで地を砕き、百年以上の研鑽を積んだ武闘派の鬼である猗窩座。なぜ、彼がそこまでの修練を続け、鬼となってまで強さを求めるようになってしまったのか?
 それは、哀しい過去を持つ鬼の中でもとくに痛ましく、優しい気質を持ったが故に“人”の悪意によって家族を失ったことが鬼へと至るきっかけでありました。
 貧民であった狛治(猗窩座の本名)は、病の床に臥せる父親に薬を渡すために盗みを働き、度重なる奉行所での打擲刑にもめげずにいくつもの罪を重ねます。

 やがて、息子が罪を重ねることを苦にした父親は首を吊り、目的を見失った狛治は自暴自棄となり喧嘩に明け暮れる生活を続けるようになります。
 なぜ父親が死んで、どうでも良い他人が生きているのか。
 強くならなければ、なにも成せない。薬も持ち帰れない。
 この世の無情を嘆き、力を示すことでしか抗うことを知らない狛治は、奉行所の目を盗みながら町から町へと流れて行きます。

 荒れる狛治は、とある町で拳術道場を営む慶蔵に一瞬で打ち倒されてしまいます。
 再び奉行所に捕まれば腕を切り落とされてしまう狛治を、慶蔵はなぜか道場へと招き入れ、病弱な一人娘・恋雪(こゆき)の看病をして貰いたいと狛治に依頼します。
 もともと優しい心根を持つ狛治は、渋々ながらも恋雪の病状を見守りながら世話をします。

 3年後、成長して体力のついた恋雪は日常生活を送れるまでに回復し、甲斐甲斐しく看病し続けてくれた狛治に淡い恋心を抱くようになります。
 そして道場主である慶蔵から「恋雪と結婚し道場を引き継いでくれないか?」と請われた狛治は、恋雪と夫婦となることを受け容れ、父の墓前に祝言をあげる報告をします。

 それが、恋雪との最後の別れになるとも知らずに……。

 墓参りから帰った狛治を迎えたのは、冷たくなった恋雪と慶蔵の遺体でした。
 慶蔵の道場の隣には、剣術道場がありました。
 その道場主の老人から古い道場を譲り受けた慶蔵は、そこで素流道場を開きます。ですが、それを面白く思わなかった剣術道場の門下生たちは、慶蔵に様々な嫌がらせを繰り返していました。加えて剣術道場の息子は恋雪を好いており、その恋雪が誰とも知れぬ拾い子の狛治と結婚するという話を耳にしたことで暴走し、慶蔵の道場にある井戸に毒を投げ込んだのです。

 怒り狂った狛治は、すぐさま隣接した剣術道場へ殴り込み、息子を含めた門下生67名を惨殺し家族の仇を取ります。
 ですが、狛治の心はなにも満たされませんでした。
 再び全てを失った狛治は、噂を聞きつけた鬼の首魁・鬼舞辻無惨によって鬼へと変えられ、思い出も記憶も全てを忘れて、ただただ強さを求める鬼・猗窩座へと変わっていってしまったのです。

 時は流れ、炭治郎たち鬼殺隊との最終決戦の折、猗窩座は炭治郎と水柱・富岡義勇の二人と相対します。真っすぐに己を打ち倒そうとする炭治郎に、猗窩座は忘れていた師範・慶蔵の面影を幻視します。そして、なぜ自分が強さを求めたのか。自分はそれでなにを倒したかったのかを思い出します。
 正気を取り戻した猗窩座は、宿敵である火柱・煉獄京寿郎を破った奥義を自らに向かって放ち、自決を図ります。
 今際の際、猗窩座は妻となるはずだった恋雪と再会し、たった一つも約束も守れなかったことを心の底から詫びます。

「もとの狛治さんに戻って良かった。——……おかえりなさい。あなた」

 そう告げられる恋雪の胸に抱かれる狛治。
 やがて二人の姿は、地獄の業火に包まれたまま消えていきます。
 多くの人たちの命を奪った狛治は、天国へ行く事はもちろん叶いません。
 恋雪は、愛する狛治とともに魂を業火に焼かれる道を選んだのです。

 ここまで猗窩座のエピソードを書いていて、すでに泣きっぱなしです。
 この記事を書くためにコミックと原画展の資料を繰り返し読み込んでいますが、涙・鼻水のオンパレードで執筆が一向に進みませんでした(笑)。

テーマはシンプルな“鬼退治”
 あらゆる題材が取り上げ尽くされた昨今において、新しいテーマを探すことは困難と言えます。過去の大ヒット作品をみても、テーマはシンプルかつ王道な物が好まれているようです。
 鬼滅の刃も、日本人にとっては慣れ親しんだ“鬼退治”がそのモチーフとなっています。

 敵役である鬼もまた、元々は普通の人間であることが描かれているのがこの作品の最大の特徴です。中には己の欲を満たすために鬼と成り果てた者もいますが、前述の猗窩座のように非業の運命の果てに鬼となってしまい、本来の目的を忘れて生き続けてしまうという物哀しい描写に、強く感情移入をさせられてしまいます。
 この鬼ですが、作中の世間ではおとぎ話に出てくる妖怪の類として認識されており、そのため政府や警察なども鬼にまつわる事件が起きたとしても、あくまで異常者が引き起こした怪奇事件としてしか見ていません。

 鬼とは尋常ならざる力を持った異常な存在です。

 四肢を失うようなケガですら即座に完治させ、目にも止まらない素早さと地面を砕く膂力を有し、なかには超常現象とも言える異能を発揮する個体も存在します。
 そうした鬼に、生身の人間が立ち向かう。
 とても日本人好みの成長物語ではないでしょうか。

鬼という存在の背景
 鬼滅の刃は、大正時代の初期頃をイメージして作られているそうです。いわゆる大正ロマンですね。江戸時代末期の戦乱期を終え、日清・日露戦争と争いの続いた年代にあった日本。西洋文化の流入による文明の成長とともに、社会からこぼれる存在もまた多く生み出した時代でもありました。
 都市部には電気を伝える電信柱が並ぶ中、いまだ一般家庭では炭を使った暖房・調理が主流であり、主人公である炭治郎の家も炭焼きをして生計を立てるというその時代ならではの生活風景が描かれています。
 また、作中には多くの“孤児”が描かれていますが、実際のこの時代にも戦争や人減らしによって孤児になった子どもたちが多くいました。首都・東京には江戸時代までには見られなかったスラム街が散見されるようになり、少年犯罪が激増したとも言われています。

 そこに登場する人喰いの化け物の鬼。誰しもが一度は読んだことのある『桃太郎』や謡曲『羅生門』など数々の作品に登場する鬼ですが、日本人にはなじみの深い存在とも言えます。
 人が“鬼”という怪物に化けるという設定は、ファンタジー物を避ける人には忌諱されてしまうかと思いますが、この鬼という概念が生まれた時代背景を考えると全てがファンタジーとは言えないと思えました。

 日本の歴史のなかで、鬼のような妖怪が登場したのは奈良時代に描かれた日本書紀や古事記などの書き物が最古だと言われています。こうした書き物の題材となる妖怪たちのいずれもが、人の恐怖がベースとなっています。
 奈良時代(西暦700年代)には天然痘の大流行(天平の疫病)や干ばつ・飢饉などの災害により多くの人が亡くなったという記録が残されています。水も食べ物もなく、他人の食料を奪うのに命を懸けることさえ稀ではない時代。生き永らえるためには親・兄弟さえも裏切り、その遺体を喰うことさえも厭わないほどの地獄が、そこかしこで散見されたそうです。

 人を人とも思わない人外の”妖怪“が、弱くなった人の心に棲み着き凶行に至らせる。
 科学の発展していない当時、こうした魑魅魍魎の類が人に悪さをしていると考えられていました。そうした災害に直面した際、国を治める朝廷は魔を払うための神社仏閣を建立して、災害の鎮静化を図ったことはご存じかと思います。
 鬼という概念が生まれた背景には、こうした未曾有の災害に見舞われた人々の姿が根本にあるのだと、作品を読んで気づかされました。

 昨今、アニメや映画などを観る際には、視聴者に対する映像倫理の問題から鑑賞制限(レイティング)が設けられることが常となっています。
 特に、子どもにとってショッキングな映像や内容が含まれる場合には、PG12(12歳以上で視聴可能)、R15(15歳以上)、R18(18歳以上)などの制限が加わることがあります。
 この鬼滅の刃も、戦闘による四肢の欠損や人喰いシーンがあることから、小さな子供にも不向きとさえ言える描写が多く描かれています。ですが、鬼滅の刃は老若男女の幅広い層から支持を得ています。

「情報化時代の子どもは、グロ耐性も高いのか……」

 と、思われるかもしれませんが、決してそんなことはないと思います。

 鬼滅の刃のテーマの一つに「受け継ぐ」という言葉があります。
 炭治郎と禰豆子の決して綻びない兄弟の絆。
 生死を共にする鬼殺隊士たち。
 鬼と化すも心の奥底に残った大事な人たちへの想い。
 様々な人たちが持つ想いや絆を受け継ぐ姿が、殺伐とした鬼との戦いの中でもしっかりとブレずに描かれており、残酷で生々しい死の描写を覆すほどのキャラクターたちの魅力が、読者の心をグッと掴んで離さない一つの理由なのだと思います。

製本されていない生原稿の魔力
 私たちが普段手に取る本は、多くの手間暇をかけて“キレイ”に製本された状態で店頭に並びます。
 ですが、製本前の生原稿には完成にこぎつけるまでの様々な創意工夫や修正もしくは加筆された経緯が如実に残されています。
 作者の下書きやアシスタントに向けられた効果の指示、一度書いた線を消して再デザインした修正液の跡、まるで跳ねるようなリズムの感じられる線画、印刷されないページ端まで書き込まれた背景、そのどれもが売り物として整えられた本では決して感じられない、作者の生々しい息遣いが感じられるような迫力に満ち満ちています。

 最初は描き方や表現技法に興味を惹かれながら観ていた私ですが、後半の鬼舞辻無惨との最終決戦編ともなると、まるでコミックを手にして読んでいるのと同じ感覚で次々と原画に目を走らせ、余計な雑念など頭から吹き飛ばし、読むことに完全に夢中になってしまいました。
 一つ一つの線が、この物語を形作る上で決して欠かすことの出来ない役割を持ち、紙の中で生きるキャラクターたちの命をこれでもかと鮮明に描き切ったことには、正直感嘆の念しかありません。

 大人の事情(商業的)には、もっと長く話を伸ばして欲しいと言う要望があったかと邪推してしまいますが、吾峠さんは一貫してこのお話を読者に一番伝わる形で終わらせたいという願いを持ち、超絶大ヒット作としては短いようにも思える全23巻、総話数205話という形で完結となりました。

 最近では、アニメ版において物語の中盤である『刀鍛冶の里編』が放映され、あと僅かなお話を残して鬼舞辻無惨との最終決戦へと突入していきます。
 すでに完結しているコミックを読んでいる方は、物語の展開全てを知っています。
 多くのキャラクターたちが鬼舞辻との戦いの最中に命を落とし、残った仲間に全てを託して散っていきます。その光景を見たいような、見たくないような……。ファンとしてそんな矛盾した葛藤を抱えてしまいますが、最後まで、炭治郎たちの生き様を見届けるつもりです。

 もし、本記事をお読みいただいた方の中で「人気作すぎて手が伸びない」「見ようとは思っているけど……」と躊躇されているようでしたら、お試しに一話だけでも鑑賞して見てください。
 作者である吾峠さんの用いる言葉の力に、少しでも、なにか、胸に響くものが得られるかも知れません。取って付けた説明のためのセリフではなく、そこに生きる人たちから湧き出るような自然な言葉が、鬼滅の刃の本当の魅力そのものなのですから。

竈門 炭二郎 のコピー
 子ども用に描いたイラストより

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