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2023年9月 No.343

 

開院20周年記念講演会録
【再】「もしも、あなたに耳の不自由な子どもが生まれたら……。全ての子どもには無念の可能性がある」3(終)

院長 三好 彰


 シリーズ3回に渡って連載してきました、当院の開院20周年記念講演会でご講演を頂いた田中美郷先生のお話の最終話です。

日本とアメリカの違い
 次の図15は、重度の難聴者(人口内耳は行なっていません)がアメリカ留学して、日本とアメリカの違いを目の当たりに体験してきたときのことを講演した内容の一部です。

図15 山人氏
 図15


 この方は、手話も知らなかったし、英語も素人同然のレベルでしたが、異国の研修にて、想像以上に得たものは大きかったそうです。アメリカ手話をDeaf(聴覚障がい者)の方たちから教えていただき、とても楽しかったそうです。アメリカの大学では、インテグレーション教育(障害をもつ児童を通常の学級で一般の 児童とともに教育すること。)ではなく、インクルーシブ教育(障害の有無によらず、誰もが地域の学校で学べる教育という意味)が広まっており、その有様をみて、驚いたということです。
 ある意味で日本は、進んでいるように思えますが、聴覚障がい者の全体の人生を考えた場合、狭い視野でしか考えていないのではないかという感じがします。

聴覚障がい児教育の再検討、その目標は何か?
 そこで、私はもう一度考え直しまして、聴覚障がい児教育の目標は何か? ということの再検討をいたしました。
 ひとつには、言語教育(日本語教育でもあります)。
 もうひとつは、人間形成です。
 この問題はコミュニケーションの問題を抜いては語れない部分でもあります。このふたつがとても重要ということで、いま私は実践しております。

社会の動向(1)
 世の中の流れの中で、1981年に国際障害者年が始まりまして、そこで障がい者の完全参加と平等をスローガンに掲げました。いわばノーマライゼイション(福祉をめぐる社会理念の一つ。障害者と健常者とは、お互いが特別に区別されることなく 、社会生活を共にするのが正常なことであり、本来の望ましい姿であるとする考え方。)です。
 もちろん聴覚障がいも関係しております。さらに2007年に特別支援教育制度が発足しまして、そこで文部科学省はインテグレーション教育からインクルーシブ教育へと理念を変えております。
 インテグレーションとインクルーシブの違いですが、インクルーシブ教育とは障がいがある事を否定するのではなく認めて教育する。障がいがあっても当たり前に生きていくという社会作りです。

社会の動向(2)
 もうひとつの社会の動きとしては、早期教育のひとつの現われだと思いますが、ろう者(the Deaf)が自分たちのアイデンティティを主張するようになり、ろう文化を築くようになりました。もうひとつ大事なことは、手話が固有の言語であるという認識が出てきて、手話言語学が進歩しました。

 このようなことが、ろう社会の後ろ盾にもなりまして、ろう文化の発展にもつながっていきます。そのようなわけで、バイリンガル(ここでは、日本手話と日本語の2つの言語)・バイカルチュラル(ここでは、ろう文化と聴文化の2つの文化)教育の聾学校も誕生しました(2008年東京に誕生した明晴学園)。

 私は、このような問題を見るときに“ろう”の人達が、アイデンティティを主張してろう文化が生まれ、そのための学校が出来てきた。その流れは日本の歴史の中ではアイヌの文化と同じではないだろうかという認識を持っております。
 過去に同化政策が行われ、抹殺された経緯があるアイヌ文化が今では認められています。その意味では日本も欧米の流れに近づいてきたのではないだろうかと思っております(図16)。

図16 日本社会
 図16


 ろう文化の中では、ろう者はまったく困っていません。困っているのは難聴者です。健聴者の社会で、口話で問題がなくやっていけるかといえば、そうではありません。
 先ほども述べましたが、情緒障がいになってしまうということがやはり浮上してきます。世の中は、だんだんと良くなっていくとは思いますが、そのようなことが、大きな課題といえるでしょう。

社会の動向(3)
 また、社会の動きとしまして2008年に国連で障害者の権利条約が発効されました。そこで「手話は言語である」と定義がなされました。さらに高田英一氏(社会福祉法人 京都聴覚言語障害者福祉協会 理事長)が「これにより聴覚障がい問題は医学モデルから社会モデルへ変わった。」と定義付けました。
 聴力を良くすることで、人口内耳の技術も発展してきましたが、基本的に難聴が治るわけではないので、聴覚障がい者の人生を考えた場合、社会的なモデルとしての見方が出来ないと、旧態依然として子供たちは、救われないと思います。
 このように、ASIMOも手話を使います(図17)。

図17 ASIMO
 図17


*高田 英一(タカダ エイイチ)
 1937年(昭和12年)、京都市に出生。8歳の時に聴覚を失いろう者となる。京都府立ろう学校、立命館大学卒業。京都市役所職員を経て2002年12月現在、財団法人・全日本ろうあ連盟副理事長、同京都事務所長、社会福祉法人・京都聴覚言語障害者福祉協会理事長、社会福祉法人・全国手話研修センター理事、世界ろう連盟理事、国連『障害者の機会均等に関する国連基準規則』専門委員、国連アジア太平洋経済社会委員会障害関連テーマ作業部会委員 。

もうひとつの大きな動きと問題点
 もう一つの大きな動きとして、新生児聴覚スクリーニング検査を厚生労働省が2000年に生後入院中に最初のスクリーニングを行って生後1カ月までにはスクリーニングの過程を終え、生後3カ月までに精密診断を実施し、生後6カ月までに支援を開始するという、聴覚障害の早期発見・早期支援のガイドラインを出しました(しかし、法定化はされませんでした)。
 それにより、人口内耳の独走傾向が見られるようになり、一方では、それに対する批判も多く出てきました。
 聴覚障害の早期発見・早期支援のガイドラインが出されたのにもかかわらず、療育の受け皿は整備されて居りません。これによりろう教育との間に乖離が生じるという問題点が浮上してきました。
 ちなみに、私の居る神尾記念病院では、いろいろなところが関係しています(図18)。

図18 神尾記念病院
 図18


 手話の学校、明晴学園の子供たちも大勢来ています。聴覚障がい児のことを広い視野で見ていくことが大事だと思います。

私の到達した方法論(ホームトレーニングをベースに)~インクルーシブ教育の見地から~
 このような訳で、私が大切なものはと申しますと、限界はありますが日本語教育においては極力聴覚を活用する。そしてコミュニケーションの円滑化と情緒の安定、及び言語獲得促進を意図してのジェスチャーや手話、指文字なども導入して行く。
 今までは、このようなことが、無視されていた傾向があります。そのために、親や先生を恨んでしまうという問題が生じてきたと思います。そのため私は、聴覚活用を重要視していきたいと思っております。
 日本語は、耳で覚える言語ですので、耳を使うということが前提であってしかるべきだと思います。
 特に、難聴の重い子どもには、そこに持っていく方法として、言語の発達を促して、それを基にして聴覚活用の辞書を脳に作っていくというトップダウン方式による指導を行っております。
 手話を活用することにより、言語獲得が容易になりまし、情緒も安定しやすくなります。
 このような段階を経て、人口内耳を行う。更には、バイリンガル・バイカルチュラル教育の選択も尊重していく。そのようにして私は行なっております。

これを前提にした小児の人口内耳対策
 このような訳で、今の保護者の方たちは、手話に対する偏見や抵抗がありません。このようなことを前提にして、ホームトレーニング段階から手話などを導入するため、言語指導はトップダン方式で行います。

コミュニケーションについて
 私が感心したことですが、大企業では社内で一般社員のために手話研修を行っている処が増加しました。そのような企業でお話をお伺いしたところ企業内で活躍出来るあるいは、喜ばれる聴覚障がい者は、自ら積極的にコミュニケーションを求めていく姿勢がある人、受身では駄目であるということです。
 これは私たちが海外に行ったときと同じように外国語を巧みに話せるわけではなく、心でコミュニケーションをとる。その気持ちが大事であるということです。
 コミュニケーションが出来るために、人に好かれる性格。言語力のある人。本を沢山読み、知識の豊富な人、読み書き力の高い人。そんな人たちが望まれるということです。
 人間形成には、言語教育が必要であるということです。もちろん口話が出来ることは望ましいことなのでしょうが、コミュニケーションをとることが出来れば、手話であってもなんら支障がないとのことでした。

人工内耳装用児の概略(図19)
 学会では、人工内耳試行の利点ばかりを述べていますが、そうとは限りません。重複障がいの子もおります。私もそのようなお子さんにも、役に立つのであれば人工内耳を試みます。

図19 人口内耳装用児の概略
 図19


 大方は、聴覚活用の成果が見られるのですが、中には期待通りに行かないお子さんもいます。その結果、使用しないでしまうお子さんも出てきてしまうことが一番危惧されることです。
 人工内耳で失敗すると、手術をしたことにご両親は一生後悔して十字架として背負ってしまいます。そのような思いを私たち医者も考え、人工内耳という新しい分野だからこそ教訓として受け止めていかなければいけないと思います。

私の50年余りを顧みて
 補聴器や人工内耳及びその周辺機器が幾ら進歩しても、難聴が治らない限り解決できない問題があります。それはコミュニケーション障がいです。これは本人の努力 だけでは解決できません。いくら補聴器が改良されて、周辺機器が充実されて、人工内耳が進歩しても難聴に伴う問題があります。

 その意味で『インテグレーション』という難聴者に責任を負わせるというやり方は、時代遅れであると言えると思います。
 ノーマライゼーションないしバリアフリー社会の実現のために最後に行き着くところは“こころ”の問題であります。
 インクルージョンはノーマライゼーションへのステップとして、私は重視していきたいと思っております。
 ご清聴ありがとうございます。

附 則
 お時間の関係で、田中先生のお話から省略せざるを得なかった内容を、ご紹介させていただきます。
 この本は、2012年1月にテクノエイド社から刊行されました(図20)。日本語言語発達検査パッケージ『ALADJIN』に関する研究成果と言語指導を行った症例をまとめたものです。
 こちらは、人工内耳の普及と聾教育との間に生じた問題に対し、どのように向き合うかという問題を表にしたものです(図21)。

図20 本の表紙
 図20

図21 問題
 図21

図22 きこえ
 図22

図23 術後の経過
 図23


 人工内耳の効果は多くの重度難聴児で劇的に現れるが、問題点もある
1.手術を要すること。
2.人工内耳の歴史は新しいだけに、先々如何なる問題が生じるか不明な点が多い。
3.ジャーナリズムは良い面ばかりを取り上げてきた傾向あり。
4.耳鼻科医で聴覚障がい児教育について知る人が減少。
5.外国文献を信頼し過ぎる傾向あり。
6.人工内耳は難聴を治す方法ではない。またすべての重度難聴児が適応になるものでもない。
7.人工内耳の効果に酔いしれて、言語教育に手抜きの見られる例がある。
8.人工内耳で失敗すると、親は一生十字架を背負う思いでいる人もいる。
9.人工内耳でなくてもハッピーにする道は幾らでもある。

おわり


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