2023年4月 No.338
映画「霧幻鉄道」鑑賞レポ
秘書課 菅野 瞳
図1
2022年の締めくくりにふさわしい取材になったな~と、自画自賛した私の只見線体験乗車レポート(3443通信No.336)。あれから私はすっかり奥会津地方のファンになりました。
1年を通じて、様々な表情を見せてくれる奥会津。再訪の第1弾は、5月の新緑の頃が良いかなと考えていたそんな折、只見線のドキュメンタリー映画があるとの情報が舞い込んできました。
はい、それは勿論、私以上に只見線に陶酔されている当院院長からの耳より情報です。
その映画のタイトルは『霧幻鉄道』(図1)。
なんでしょう、情景の余韻を含ませる素敵なタイトル。惚れ込んでしまったあの景色が、瞬時に脳裏に浮かび上がりました。私の再訪予定時季までは、まだまだたっぷりの時間があるので、院長お勧めの映画を鑑賞し、奥会津の復習とばかり、数か月ぶりにあの絶景に浸らせて頂こうと思います。
この映画の主人公、奥会津郷土写真家である星賢孝氏は、言わずもがな福島県奥会津のご出身で、只見線の写真を年間300日も撮り続けるという強者です。列車の写真を撮影することを趣味にされている方を“撮り鉄”と呼びますが、星氏もその趣味が高じ、現在のご職業に就かれているのかと思っていました。
ところが星氏は、インタビューの場で「私は撮り鉄ではないのですよ」と断言されています。
えっ? 年間365日の内なんと300日という日数、しかもそれを25年以上も続けておられるという情熱をお持ちの方が、撮り鉄ではない? 何を仰いますやら……。
星氏の言葉に、私同様の違和感を覚えた方は少なくないと思います。
しかしながら星氏は、こう続けます。
「撮り鉄は、列車の写真を撮ることを趣味にするが、私は列車を撮りに行っているのではなく、地元の絶景を撮りに行っているのでね。だから私は撮り鉄ではなく、郷土写真家なのですよ」と。
一瞬よぎった(?)マーク……ですが、その数秒後。
あっ、なるほど! 泣く子も黙るとはこういうことを言うのですね。
星氏が撮影される奥会津の風景、それに彩を与え絶景へと導くのが只見線という構図。私の頭の中で、これ以上にないスマートな方程式が完成し、自己完結に至りました(図2、3)。
図2
図3
地元民に愛され、11年ぶりの全線復旧を果たした只見線の詳細は、記事冒頭で触れたレポートに認めましたので割愛しますが、只見線の全線復旧までの道のりは、波瀾曲折であったことは周知の事実です(図4)。
図4
そのような中で、全線復旧の立役者となったのは、この映画の主人公である星賢孝氏であったことは、映画を鑑賞すれば一目瞭然です。
地元の企業に47年間就業し、故郷が疲弊していく様子をまざまざと見ており、何とか地域経済を支える術はないものか……この想いが只見線復興への端緒となり、気付けばいつの日からか、自分に課された使命になっていたと仰っています。
さて何から手をつけよう。そう考えた時に、奥会津の四季の美しさはどこにも負けないのではないか、そこが何よりの強みだろう。
何故なら、夏には緑が生い茂り濃くなるだけ、冬にはそれが枯れてしまい寂しくなるだけという地区が多い中で、ここ只見川のエリアは、夏には川面から霧が立ち上がって幻想的な情景を生み出す。また冬には、木々に雪が積もり花のようになって“雪の花”が咲く。世界中を探しても、ここでしか見ることが出来ない宝があると力説されています。
そこで、この四季の変化を写真に収めて発信し、観光客の誘致に繋げようという考えに至ります。
しかしながら、星氏が撮影する奥会津の絶景になくてはならない只見線が、2011年7月の豪雨水害で被災(図5)してしまい、地域住民からは、只見線を復旧させるより停留所を増やすことが出来るし、利便性が良くなるなどの点から、列車ではなくバスを走らせるべきだとの意見が多く集まり、星氏の意見はなかなか理解して頂けませんでした。
図5
被災した只見線の代案として、一時的にバスへの転換をしたとしましょう。確かに利便性は上がるかもしれない。でもバスというのは、住民の足という側面が強いため、観光客誘致には結びつかないのではないか。では、どうしたら列車の重要性(只見線の価値)を分かってもらえるだろう……。
この難題が立ちはだかった時、星氏が考えに考え抜いて目を向けられたのが、後に大成功を収めることになるアウトバウンド(海外への進出)でした。アウトバウンドは、特に新規商材や知名度が伴わない商材の場合に、とても効果的な営業戦略です。この戦術が功を奏し、台湾から大勢の観光客を誘致することが出来るようになりました。海外からあんなにも大勢の人が来てくれる。只見線にはそれほどの価値があったのかと、誰より驚きを隠せなかったのは、地元住民だったと言います。
こうして、昏迷の中に一筋の光明が差し、只見線復興大作戦は動き出しました。
無論、星氏が手掛けた地域再生案は、これだけではありません。只見線搭乗記でも触れました、“霧幻峡の渡し”と名付けられた渡し舟の運行もその1つです。なんと驚いたことに、星氏自らが櫂を握り、船頭になって川を渡り、タイムスリップしたかのような集落跡を案内するツアーを企画したのだそうです。
霧幻峡は、金山町と三島町の町境にある渓谷が夏の朝・夕に漂う川霧に包まれ、あまりにも幻想的な景色になることから、その名前がつけられました。川霧が佇む只見川を、和船に揺られながら眺める景色は、言葉にならないことでしょう。
その景色をふと想像してしまった私は、無意識に生唾を飲み込みました。
ところが、地域住民の方にとっての川霧は、車の運転に支障が出るということで迷惑な存在だったようです。それを星氏は「幻想」という発想の転換をし、一大観光資源に変えられました(図6)。
図6 冬季シーズン限定の駅舎を照らす雪灯り
星氏が発案し手掛けられた地域再生案は、挙げれば無限になりそうですが、残念ながら、無事復興を遂げた只見線の利用客は、皮肉にも霧幻に近い状況が続いています。鉄道と言うものは、撮りもの(見せるためのもの)ではなく乗りもの(利用するもの)であることが大前提です。このような状況が今後も続くようであれば、精一杯応援する人がいても、その人々の思いとは裏腹に、只見線の存続は難しくなってしまうのではないかと懸念します。
只見線の利用客を増やす……これは重く重くのしかかる課題ではありますが、私が勝手に思う列車の強みと言うのは、車よりも定時運行が確保されており、なおかつ大量輸送が可能なことだと思います。都市部から離れれば離れる程に、鉄道の優位性が失われている現実は否めませんが、いつも隣り合わせにあるであろう廃線の危機に屈することなく、奥会津にある宝を最大限に発信するためにも、車窓から日本の美を望む事が出来る、最高の観光路線として、大勢の客人を乗せ走り続けて欲しいなと思います(図7、8)。
この映画を鑑賞し、星賢孝氏の信念と情熱、そして行動力に、また十二分に存じてはいましたが、奥会津の畏怖すら覚えるその美しさに、改めて感動を覚えました。
図7 只見線
図8 映画の舞台になった霧幻峡