2023年4月 No.338
寄稿文『稲盛和夫さんを偲ぶ』
藤原 久郎(三原台病院リハ科)
はじめに
私の古い友人である藤原久郎先生(3443通信 No.319 「訪れた人々」)から、長崎市医師会報(2023年3月号)に寄稿された記事を頂きましたので、ご紹介させて頂きます。
※以下、本文です。
昨年年末の新聞に掲載される著名人物故者の欄に京セラの稲盛和夫さんのお名前が挙がっていた。私は仕事がら死因とどこでお亡くなりになったのかが気になる性分である。稲盛さんの死因は老衰で、京都伏見区のご自宅で老衰のために家族に看取られてお亡くなり、葬儀は極身内の方々だけの密葬として済まされ、初七日法要を終えた段階で会社から発表されたそうである。享年90歳。
我が国では死因別にみた死因の順はながらく癌、心疾患、脳血管障害の順に報告されてきた。ところが2019年から老衰が3位の脳血管疾患を抜いて、3位死因として浮上してきている。いまや100歳以上の高齢者が全国で9万を超え、65歳以上の高齢者が人口の21%を超えるという超高齢化社会に突入している。
看取り期においては死因が癌、心疾患、脳血管疾患、老衰であれ、最後の看取り期の直接死因は人類の宿命というべき疾患である誤嚥性肺炎が大半であろう。このため看取り期に注意点は出来るだけ誤嚥性肺炎にかからないようにすることと、たとえ誤嚥性肺炎に罹患しても早期に回復させ、ADL低下を招く廃用症候群を防ぎ、誤嚥性肺炎の再燃を防ぐことが肝要になる。
高齢者の希望は誰しも看取り期においては気分が落ち着く自宅で親しい家族に囲まれ、別れの挨拶を交わし、最後に自分の好きなものを食べて大往生をしたいという願望がある。しかし、現実には多くの方は病院で亡くなっている。残念ながら本人の希望通りになってない現実社会が横たわっているからだ。
この理由は様々な要因が複雑に重なっている。まず、同居家族が少なくなり、同伴者がいても高齢者で老老介護になっている時代である。子供と同居していても仕事を持っており、お世話ができるキーパーソンがいない家庭事情もある。家族に負担をかけたくないという本人の希望もある。最悪、自宅でお一人様もありうる。
介護度が上がると、どうしても手がかかる食事介助専門スタッフや全身管理の医療サポートが必要になり、最後は安心感がある病院等で看取られるケースになってしまう。
90歳の年齢を超えると、それぞれ様々な持病を持っており、病名を2桁も持つ方も珍しくない。たった今まで自力歩行ができていた方が、一度、トラブルをきっかけで寝こむ時間が長くなると、急激な体力低下や認知症の出現など次々に新たな問題が生じ、やがて入退院を繰り返すのが通常である。高年齢で一旦増悪すると、改善させるには相当なエネルギーと日数がかかる。そして、いよいよベッド生活の看取り期を迎えることになる。
看取り期においては嚥下リスクがあるからと、早々とリスク回避目的で積極的嚥下リハを中止させてしまうという安全を優先させる社会風潮もあるだろう。最終的には人生最後の舞台は孤独の時間が長く、壮絶なる人間ドラマを起こすことが多い。
残念ながら、昨今はコロナ禍のために家族お見舞いが著しく制限され、家族に看取られずにひとり寂しく病院でお亡くなりになる方も多い時代になってしまった。
誤嚥性肺炎を一度も起こさず、家族に看取られご自宅でなくなる場合、90歳以上であれば、大往生であろうが、様々なトラブルが生じるのが常で、一つ一つ丁寧にクリアする必要である。もし大往生ができた場合、極めて幸せなレアなケースであり、医療側の大金星といえる。
高齢者医療のキモは悪くなってから加療するというのではなく、悪くなる前に予兆を見つけ、悪くなってしまう前にスピーディ対応する技術が必要である。特に致命傷になる誤嚥性肺炎に罹患させないためには、日頃からポジショニングを考え、病気の前兆を捉え、常に予防的な早め早めに集中対応をする必要があるからである。
稲盛さんが家族と最後の直前まで会話のやり取りができ、お好きなものの経口摂取が少しでもできたとしたら、大往生であったろう。担当した担当チームのご苦労は相当なものであったろうと推測されるのである。
稲盛さんと言えば、KDDI創設や日航再建に尽力され、経営者向けの盛和塾が有名である。自分が再建させたのだから自分の報酬は高くても当然とするカルロス・ゴーン氏やライブドア事件での自己利益優先や粉飾決算の起こるようなオレオレ流がはやる社会風潮の中で、対極の仏教哲学を持って経営に当られた方である。
才能があって、汗水流して稼いで儲けることは決して悪いことではなく善である。しかし、ライバルがひしめき、しのぎを削る厳しい経営環境の中では能力があっても新規者は常に冷や飯食いに終わりやすい厳しい世界でもある。
たとえこの厳しい環境であっても、不遇を愚痴らず、自分が生かされていることを感謝し、人様の幸せのことも考える利他の心が大切であると稲盛さんは説いている。仏教の世界では忘己利他という。己を忘れて他を利するは慈悲の極みなりという教えだ。人の嫌がる仕事や手間のかかる仕事を嫌がるなという教えである。稲盛さんは対極の経営哲学の柱を、この他利の仏心であるとして実践された。
河島英五は「時代遅れ」(作詞:阿久悠)の中で昔の友にはやさしくて変わらぬ友と信じ込みあれこれ仕事もあるくせに自分のことはあとにする・・・時代遅れの男になりたいとこの生存競争のはげしい競争時代に仏の心を謳った。
多分、稲盛さんの最後はご家族に見守られ穏やかなる御仏のようなお顔で旅立たれたのだろう。
合掌。