2022年12月 No.334
英国紅茶シリーズ⑩
ラジオ3443通信「ベンジャミン・フランクリンと凧と雷」
ラジオ3443通信は、2010年から毎週火曜10:20~fmいずみ797「be A-live」内で放送されたラジオ番組です。
ここでは2013年7月16日OAされた、英国紅茶にまつわる話題をご紹介いたします。
123 ベンジャミン・フランクリンの凧と雷
An.
三好先生、紅茶に入れる砂糖のお話から、前回はブラジルと三好先生の関わりのお話、そしてJICA(ジャイカ)との「光のプロジェクト」の話題を聞かせて頂きました。
ところで先生。お話の流れを元に戻すと。たしかこんなストーリーだったんじゃないかな、と江澤は思うんですが。
えぇっと、産業革命以前の英国では、一般的な飲み物として、英国ビールのエールやジンがメインだった。しかし産業革命の進行に伴って、アルコールの入らない飲み物のニーズが高まり、お茶を飲む習慣が広まった。中国や日本から輸入されたお茶はしかし高価で、庶民には高嶺の花だった。とはいえニーズが高まったせいで、徐々にお茶は英国民に浸透して行った。お茶として、当初は緑茶も人気があったけれど、ミルクと砂糖を入れてお茶を飲む習慣が流行り、緑茶は次第に紅茶にとって代わられるようになった。
砂糖が一般的になったのは、西インド諸島つまりカリブ海の砂糖きび栽培が、盛んになったためで、ロビンソン・クルーソーの小説も、その頃の社会が背景になっている。
そうでしたよね、先生。
Dr.
さすがは1を聞いて10を知る江澤さん。少しおさらいをしながら、お話を整理してみましょう。
テムズ河など英国の河川の水が汚染されていたこと、このために英国ではたびたびコレラなど感染症の流行に見舞われたこと、このため英国の人々はビールやエールそしてジンを朝から飲んでいたこと。
An.
なんだか、少しうらやましいような……。そんな気もします。
Dr.
これについては、興味深いエピソードがありまして。
1832年に、ロンドンでコレラが流行したときのことなんですけど。
An.
テムズ河の汚染のせい、ですよね。
Dr.
ところが、その意味ではもっとも不潔だった地域で。もちろんその地域の住民は、すべてコレラに感染したんですけど。なぜか。ビール工場の労働者だけは流行をまぬがれたんです。
An.
それはもしかすると、ビールを飲んでいて汚染された水を飲まなかった、とか。
Dr.
さすがは江澤さん。その通りです。
しかし飲酒の習慣は、産業革命直後の英国の労働の妨げともなりました。
An.
朝から酔っ払っていたんじゃあ、お仕事になりませんよね。
Dr.
ましてや、機械を活用しての精密な仕事は事故を引き起こす危険性だって……。
An.
危ないですよねぇ、先生。
Dr.
もともと、英国の人々は勤勉でしたから、朝からビールを飲む生活習慣に抵抗があったのも事実です。
18世紀の有名な科学者に、ベンジャミン・フランクリンという人がいました。
An.
たしか、嵐の中で凧(たこ)あげをして、雷が電気であることを証明した人ですよね。
Dr.
1752年、ベンジャミン・フランクリンは、雷のちらつく嵐のさなかに凧を揚げました(図1)。その凧糸の末端には金属のワイヤーが、反対側の末端にはライデン壜(びん)という1種のバッテリが、それぞれ付いていました。
フランクリンは、そんな荒れた天気の中、感電して死んじゃう可能性もある中で、世界で初めて電気をバッテリの中に取り込むことに、成功します。
図1
An.
たしかその、ライデン壜というバッテリの中の空間で、電気火花が飛ぶのをフランクリンは確認したんですよね。
Dr.
日本でも、このフランクリンの実験から四半世紀後の1776年、1種の発電機から電気火花を発生させることに成功した、在野の蘭学者がいました。
An.
先生、それってきっと平賀源内のことですよねっ!
Dr.
さすがは江澤さん。そのとおりです。
その平賀源内が、エレキテルという静電気発生装置を用いて、電気火花を発生させたんです。
江澤さん、江戸時代のことですよ。それがどんなにすごいことか、お判りでしょう。
An.
すごいですよねぇ。
Dr.
ただしそれが、ベンジャミン・フランクリンの実験の4半世紀後だったのが、いかにももったいないような気はするんですけど。
An.
センセ、江澤も本当に惜しいような気持ちです。
Dr.
で、お話はフランクリンのことなんです。彼は、のちにアメリカの独立宣言の起草に当たるなど重要な役割を演じ、アメリカ建国の父と呼ばれる人なんですけど。
若い頃英国で、印刷工の仕事をしていたことがあるんです。
1724年から1726年のこと、です。江澤さん。「路地裏の大英帝国」というこの本を、朗読してください。
An.
ここですね、先生。フランクリン自伝の1部分ですね。
「私の飲み物は水だけだったが、他の職工たちはみな大のビール党だった。私の相棒などは、朝食前に約500mℓ、朝食時に約500mℓ、朝食と昼食の間に約500mℓ、昼食に約500mℓ、午後6時に約500mℓ、寝る前に約500mℓ、毎日飲むのだった。」
先生、1日に3ℓ飲んでますよ。
Dr.
その本に書いてあるように、職工たちは激しい労働に耐える体造りのために、こんなにビールを飲んだんです。
それにこれだけの飲酒には、仲間との付き合いという、現代社会でも共通の意味もあったんですね(笑)。
An.
なんだか、良く判るような気もします。
Dr.
いずれにしてもこうした飲酒の習慣は、産業革命以前の古い労働習慣に根付くもので、前にも触れましたが産業革命とともに無くなります。
機械の動くのに合わせて、緻密で正確な労働が必要になりますから。
An.
先生、それを"Time is Money" って言うんですね(笑)。
Dr.
江澤さん。そのセリフは、実はこのフランクリン本人の言葉なんですよ。
An.
それじゃあこの有名な言葉は、産業革命のシンボルみたいな意味があるんでしょうか?
Dr.
お話は続く、です。本日も楽しいお話に付き合って頂き、ありがとうございました。