2022年9月(No.331)
白老健診シリーズ⑩
写真で見るアイヌ文化7
~木下清蔵遺作写真集~
「木下清蔵遺作写真集」(図1)は、現在の青森市油川生まれの写真家・木下清蔵氏(1959~1988)による記録写真を基に、アイヌ民族博物館が編集・発行しました。
大正から昭和にかけての、民族継承と近代化の狭間を逞しく生き抜くアイヌの姿をご覧ください(以下、写真集より引用)。
【ひとの一生】
葬送(図2)
死者を前に身うちの無事に“あの世”に行くように祈っている。
悪神払いの行進(図3)
事故死、自殺、あるいは火事などといった出来事は、すべて悪い神の仕業だと人々は考えていた。そういったとき、コタンの人々は総出で男は太刀を突き上げ、女はそのうしろについてもの悲しい声を発しながらコタンの中を行進して歩く。こうして急変があったことを神に伝え、悪神に抗議し追い払うのである。これを白老ではニウェンホリク(小さい“ク”)パまたはウニエンテという。
悪神への威かく(図4)
トウシリ(墓)まで行進してきて、ここで死者の墓標を前に悪神に対して厳重に抗議している。これは昭和9年、白老川の鉄橋で汽車にひかれて死亡した際に行われたニウェホリクパである。
野辺送り(図5)
死者への供養(図6)
墓参りのような慣行は元来アイヌの人々の間にはない。この写真がどのような目的で撮ったものなのかは不明である。
クワ(墓標)(図7)
手前の先が鋭くなっているのが男用。そのうしろの丸くなっているのが女用。男女とも土葬し終えて墓標を立てた後、最後に必ずおひつやナベを逆さにして一気に底を突き抜いてそのまま放置しておく。このような墓標のタイプは地方によって異なる。白老と同じものは大体静内から室蘭あたりまで分布する。
日食のまじない(図8)
日食のことをチュプラィ(太陽・死ぬ)という。人々によれば日食は太陽が病気になったのでそうなると考えており、このとき屋根のてっぺんにイナウ(木幣)を立てて祈ったり、水を上からまいたりして、株式会社 太陽の病気がいち早く治るように祈る。
お便り
先日、院長の友人でもある仙台藩白老元陣屋資料館(北海道白老町)の館長・武永真さまからメールを頂きました。
その内容には、「先生の身近に多くのめでたいことが相次いで大変うれしいです」とつづられていました。
それは、
1.院長が後援会長を務める、秋葉賢也衆議院議員の初入閣(復興大臣)。
2.仙台育英高校の甲子園優勝(東北勢としては初)。
3.郡仙台市長の白老町来訪。
と、書かれていました。
特に、3つ目の郡市長の来町は現地紙でも取り上げられたとの事で、コピーを送って頂きました。
訪問時、郡市長からは院長のお話をたくさん伺うことが出来たとの話でした。
じつは郡市長とは、30年ほど昔、院長が後援している社会福祉法人ありのまま舎の後援会で、御一緒した経緯があります。
苫小牧民放(2022年8月22日)
室蘭民放(2022年8月23日)
つづく
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・「アイヌ・オセロ」とシェイクスピア・カンパニー①(No.302)
・「アイヌ・オセロ」とシェイクスピア・カンパニー②(No.303)
・訪れた人々~武永 真さま~(No.316)
・北海道新聞の取材を受けました(No.320)
・白老町定例表彰を受賞しました(No.322)
関連サイト
白老町(公式)