2022年7月(No.329)
白老健診シリーズ⑧
写真で見るアイヌ文化5
~木下清蔵遺作写真集~
「木下清蔵遺作写真集」は、現在の青森市油川生まれの写真家・木下清蔵氏(1959~1988)による記録写真を基に、アイヌ民族博物館が編集・発行しました。
大正から昭和にかけての、民族継承と近代化の狭間を逞しく生き抜くアイヌの姿をご覧ください(以下、写真集より引用)。
【コタンのひとびと】
故・宮本エカシマトク翁(図2)
図2
近代の白老コタンの中でも有名な古老の一人。アイヌ語研究者との親交が深く、とくに犬飼哲夫氏やアイヌ地名学者の山田秀三氏とのつき合いが密であった。
故・貝沢藤蔵翁(図3)
図3
【つくる】(図4)
図4
かつて人々は木の皮を材料に着物を作っていた。春先、オヒョウニレやハルニレの木の皮をはぐ。はいだ皮の内皮だけを沼や温泉につけておくと内皮は柔らかくなってうすい層になっている部分が剥離する。それを洗って乾かす。乾いたら2~3mmの幅に裂いてつなぎ合わせ、このようなはたおり機にかけて織り上げていく。こうして作った着物すなわち樹皮衣をアットゥシという。
【裁縫】(図5)
図5
正装した男女(図6)
図6
あざやかな模様の入った着物は晴着として着用される。日常はこれを着用しない。晴れの際、女性はハチ巻きをしめ、耳飾りをつけ、胸には玉飾りをつける。男性は長老であれば幣冠をつけ、陣羽織をまとい、太刀を掛ける。
【すまう】
チセ(家)(図7)
伝統家屋は、このように母屋に張り出しがつけられることが多い。母屋の横には仔熊を飼育する檻、その隣には乾燥させた食料を保存する高床の小屋がある。檻をヘペレセッ、高床小屋をプーという。母屋とプー、ヘペレセッの間の奥にヌサ(祭壇)がある。
チセ作り(図8)
普通は屋根の骨組みを地上で組んで後でかつぎ上げて主柱に乗せる方法をとる。くぎは一切用いず、シナの木の皮やブトウヅルの皮でつくったロープでしばって柱、屋根を固定させていく。
チセ(家)の骨組(図9)
図9
関連資料のご紹介
アイヌは北海道の先住民族という誤った認識が一人歩きしていますが、実は北海道には縄文時代が存在するのです(図10~16)。
図10(クリックして拡大)
図11(クリックして拡大)
図12(クリックして拡大)
図13(クリックして拡大)
図14
図15
図16
つづく
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