2022年6月(No.328) 白老健診シリーズ⑦ 写真で見るアイヌ文化4 ~木下清蔵遺作写真集~ 「木下清蔵遺作写真集」(図1)は、現在の青森市油川生まれの写真家・木下清蔵氏(1959~1988)による記録写真を基に、アイヌ民族博物館が編集・発行しました。 大正から昭和にかけての、民族継承と近代化の狭間を逞しく生き抜くアイヌの姿をご覧ください(以下、写真集より引用)。 【コタンのひとびと】 故・河上オンネエカシ(図2) 故・住吉平吉翁(図3) 神々への祈り(図4) チセ(家)の中で火の神に祈りをするために、杯にお神酒を注いでいるところ。祈りの際には必ず右手にイクパスィ(酒棒箆)、左手にトゥキ(杯)を持つ。イクパスィの先端にお神酒をつけ、それを火に一滴二滴ずつ捧げながら祈りことばを唱える。 獲物をとる-川漁-(図5~7) 川からは主にサケ、マスが大量に獲られていた。これらの漁には写真のようにマレクと呼ばれる突き鈎が用いられていた。今はすっかり自然環境が一変してしまったが、かつては、道内の川という川はすべて川面がまっ黒になる位のサケが遡上していたという。 【耕す・搗く】 畑を耕す夫人(図6) アイヌの人々の間にはアワ・ヒエ・イナキビ・イモなどの作物が作られていた。場所はたいてい、肥沃な河川の周辺地であった。耕作から収穫まで一切の作業を行うのはすべて婦人たちであった。 収穫したイモを乾かす(図7) キネ搗き(図8) 乾燥させてストックしておいて穀物を食べるときに適量出し、ウスに入れて搗いて脱穀する。相互扶助が原則だったアイヌ社会では、吉凶禍福のたびにみんなが穀物を持ち寄り、こうして搗いて食べ合うことがひんぱんに行われていた。 関連資料のご紹介 前号から引き続きまして、白老町を良く知るための『ふるさと再発見シリーズ』(白老町教育委員会編集)をご紹介させて頂きます。今回は、院長のご先祖様で、仙台藩蝦夷地警備の責任者であった三好監物についてです。 つづく 関連記事 この記事のつづきはこちらからも閲覧できます。 関連サイト 白老町(公式)