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2022年5月(No.326)

白老健診シリーズ⑥
写真で見るアイヌ文化3
~木下清蔵遺作写真集~

図01
図1

「木下清蔵遺作写真集」(図1)は、現在の青森市油川生まれの写真家・木下清蔵氏(1959~1988)による記録写真を基に、アイヌ民族博物館が編集・発行しました。
 大正から昭和にかけての、民族継承と近代化の狭間を逞しく生き抜くアイヌの姿をご覧ください(以下、写真集より引用)。

伝統舞踏(リセ)

イオマンテ(熊の霊送り)の最後には人間と神が一体となって酒宴がくり広げられる。そのとき人々は誰れとはなしに立ち上がり全身のエネルギーを使ってうたい、そして踊る。アイヌの伝統芸能とはそもそもそうした儀式の際になされるのである。写真は旧土人小学校の庭で踊りをしているところだが、皇族をはじめ偉い役人の視察が相次いだ白老ではその都度こうして踊りを公開していた(図2)。

図02
 図2

 

ムックリを奏でる古媼

ムックリは数少ないアイヌの楽器の一つ。動物の鳴き声や風・水といった自然現象の疑似音、さらに個々人の思い思いの感情を託して音に表現していく。写真は近代白老アイヌの有名な伝承者・故野本フラテキ媼(図3)。

図03
 図3

 

獲物をとる-山猟-

山猟で一番多く獲ったものは何んといっても鹿であった。その他、熊やウサギ、テン、鳥などの小動物も獲った。アイヌの山猟はたいてい秋の終わり頃から冬を過ぎ春先までがシーズンで、単独ではなく数人のグループで犬をともなって出かけるのが普通であった(図4)。

図04
 図4

 

山猟

獲物をねらう道具は大体近世あたりまでは弓矢。近代に入ってからは全道的に村田銃が普及した。

【村田銃】
 薩摩藩士の村田経芳が設計したボルトアクション式の小銃です。それまでの日本で主流だった火縄銃の旧式化に伴い、欧米列強との技術的ギャップを埋めるために開発された日本初の軍用国産小銃です。

図05
 図5

 

海猟

一般にアイヌは山猟や川漁が主たる生業だったと理解されがちである。しかし、海当たりのムラムラでは古くから海漁が盛んに行われていた。人々は相当沖に出て、クジラ・メカジキ・マグロ・マンボウ・オットセイなどの大型魚・海獣類を果敢に獲っていた。とくに白老からずっと南の噴火湾にかけてはこうした沖漁が昭和の初めあたりまでひんぱんに行われていた。海のさちにどっさりと恵まれたこれらの地方の人々こそ「海の民」といってもよいのかもしれない(図6)。

図06
 図6

 

海猟

大型魚・海獣類はこの写真(図7)のように3人が乗り込む。そしてはるか沖合まで行って、キテ(もり)一ちょうで突いて獲るのである。

図07
 図7

 

シリカプ(メカジキ)の頭

体長3~5mクラスのシリカプ(メカジキ)がかつて盛んに獲られていた(図8)。

図08
 図8

関連資料のご紹介

白老町を良く知ってもらおうと、白老町教育委員会が編集した『ふるさと再発見シリーズ』が、白老町のホームページで公開されています。
ここではその一部をご紹介いたします。

図09

図10

図11


つづく

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