2022年3月(No.325)
3443世界写真展⑪
広報誌を彩る表紙特集3
~バルト三国編~
当院の広報誌3443通信では、2009年1月発刊号より世界のあちこちで撮影してきた絶景写真を表紙に掲載してきました。
このコーナーでは、2016年に訪れた東欧・バルト三国の写真について特集します。
1.エストニアのガイド嬢Liisi(リーシ)さん(2016年10月号掲載)
バルト三国で最北に位置するエストニア。
首都タリンはエストニア領土の北部のフィンランド湾に面した都市です。ユネスコ世界遺産にも登録された旧市街の一部は非常に保存状態の良い状態で残されており、当時の面影を色濃く残しています。
咲き誇る百合の花よりも、北欧美人であるガイド嬢Liisiさんに目がいってしまうような一枚です。
(2016年8月18日、院長撮影)
2.夜のバルト海とエストニアの首都タリン(2012年12月号掲載)
新旧建築物の織り交ざった首都の夜を色鮮やかなネオンが彩ります。
この写真はホテルから撮影した一枚ですが、市内には有名な夜景の楽しめる展望台があります。重厚な石造建築が夜に浮かび上がる情景は、思わずため息が出てしまいます。
(2016年8月18日、院長撮影)
3.影のタリン(2017年1月号掲載)
バルト海へと沈んでいく夕日が、一日の終わりを告げるタリンの空を茜色に染め上げます。特徴的な黒のシルエットは、ロシア帝国時代の1900年に建てられたアレクサンドル・ネフスキー大聖堂です。この一帯は石灰岩の丘上あるトームペアの丘と呼ばれるエリアで、かつては支配階級である貴族たちが暮らしていました。
(2016年8月17日、院長撮影)
4.十字架の丘(2017年2月号掲載)
その紀元がはっきりしていませんが、ロシア帝国に対する蜂起に失敗した人たちを慰霊するため十字架を建てたのが始まりと言われています。
約50,000本とも言われる大量の十字架が所狭しと立ち並ぶ異様な光景に、思わず息を飲むような迫力を感じてしまいました。その後、1918年のリトアニア独立戦争の戦没者や平和を祈る巡礼者ためが訪れる地となっています。
(2016年8月16日、院長撮影)
5.バルト海を臨む歌の広場(タリン)(2017年3月号掲載)
ロシア帝国からの独立後、この地で開催されたエストニア全国歌謡祭の需要にこたえるために建築された木造ステージをさらに拡張し、機能性・合理性を重視したモダニズム建築であるドームステージとして生まれ変わりました。
敷地内にはピクニックのための設備やグラウンドが。また北側には海水浴場であるピリタ・ビーチが広がっており、観光客や地元住民に親しまれています。
(2016年8月18日、院長撮影)
6.なつかしい農家の光景。ここは日本? 実はエストニアです(2017年4月号掲載)
まるで日本の農村のような風景ですが、ここはエストニアにある野外博物館です。
ここにいは17世紀から20世紀にかけての建築物の変遷が残されており、時代を追うごとにその作りは緻密になっていくのが見て取れます。このほかにも風車や石を積み上げた家、木造建築の学校などがあります。
(2016年8月17日、院長撮影)
7.ユダヤ難民のビザにサインする(?)院長 カウナス旧日本領事館の杉原デスクにて
(2017年5月号掲載)
ナチスドイツの迫害から逃れたユダヤ人難民を救うため、外務省の方針にはなかったヴィザ発給をおこない2,000人以上の命を救ったとされた日本人外交官・杉原千畝が執務を執っていたリトアニアの旧日本大使館跡です。
現在はカウナス杉原千畝記念館として保存されており、現地の中高生の社会科見学の場としても利用されています。
院長は杉原千畝のデスクにすわり、ユダヤ人たちにサインしたペンを手に持ち、すっかり主人公気取りです。
(2016年8月14日、撮影)
8.ノルウェイの海(?)(2017年7月号掲載)
エストニアのタリンから、北側にあるフィンランドへ渡る船上から見たフィンランド湾です。海上にはタリンとヘルシンキを周遊する大型フェリーが、私たちの乗る船とは行き違う形で航行していきます。
(2016年8月19日、院長撮影)