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2021年10月(No.320)

 

映画「トゥルーノース」鑑賞レポ

秘書課 菅野 瞳

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はじめに

今回で3回目となるお勧め映画シリーズ! この作品は仙台での上映予定がないため、お隣の山形市まで足を運びました。
 その映画とは、完成までに10年もの歳月を要したという「トゥルーノース」です。

トゥルーノースとは?

タイトルを直訳をすれば北の真実。ですが、実はこのタイトル、英語の慣用句にもなっています。自分がどの位置にいようとも、コンパスの針は常に北を指すことから、進むべき方向・目指すべき到達点という意味で使われます。監督さんが、10年もの歳月をかけ、満身創痍で制作した、この作品のトゥルーノース(絶対的羅針盤)を見つけに、初訪問となる映画館に足を向けました。

まずは映画の冒頭、スクリーンにこんな言葉が流れます。
「人民がすべてを決定する。主体思想に導かれれば、彼らに不可能はない」
 これは、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の独立を果たした、金日成の言葉なのだそうです。

皆さんはこの聞き慣れない、主体思想という言葉をご存知でしょうか? 北朝鮮という国で取り入れられている、政治はこういう風にしていこうという政治思想を指します。

具体的に言えば、この世の主人公は人間であるのだから、一人一人が主体的に行動するのが大切である。けれども、人間は完璧ではないから正しい行動だけを行える訳ではないため、指導者(金日成)が指導をすることで人間は正しい行動を行えるようになる。
 要するに、金日成の独裁政治を維持するための思想ということです。あれ? 人民優先説が、いつぞやから歪み始めている? そう感じたのは、私だけではないと思います。
 この言葉がスクリーン上に流れた時、私の脳裏に咄嗟に思い浮かんだものがありました。それは、日本国憲法の三大原則の1つ、基本的人権の尊重です。

基本的人権とは……人間が人間らしい生活をする上で、生まれながらにしてもっているものであり、これは決して侵すことの出来ない永久の権利です。
 概念の表現は違えど、一個人を大切にするという精神は北朝鮮も同じでは? そんな想いを胸に、真の北朝鮮の姿に見入りました。

映画のあらすじ

この映画は、主人公の父が政治犯の疑いで逮捕され、連座制により主人公・妹・母が強制収容所へ連行されるところから物語が始まります。極寒の収容所での生活は、自由を奪われ尊厳を踏みにじられ、子供であっても容赦なく強制労働を強いられるという、凄惨を極めます。そんな抑圧された状況下で、お互いを監視し密告することで自分を守ろう、家族を守ろうとする者が出てきます。

この映画の主人公ヨハンもその一人。家族の食料を確保するため、隣人の犯した盗みを監視グループに密告してしまうのです。それが隣人に恨みを買い、大切な母を失う要因に・・・母を失った主人公は自暴自棄になり、自分を見失います。そんな折、彼はふと蟻に食べられるバッタを目に留めます。そこで初めて、弱肉強食をモットーに生きてきた自分を悔い改めるのです。母が死の直前に残したある言葉。「誰が正しいとか間違っているとかではない。誰になりたいのかを自分に問いなさい。」彼は母の最期の言葉を思い出し、徐々に自分を取り戻して行きます。母の死は、彼を絶望のどん底まで突き落としますが、同じ境遇の仲間を想い、助け合い、死にゆく者を看取り、自分のためではなく、他者の心に光を灯すことに生き甲斐を見出した主人公に、彼の心の成長を感じました。

先が全く見えない境遇の中で、彼は友と共に小さな革命の狼煙を上げます。しかしながら彼が考え出した脱出方法では、友・妹を一緒に連れて逃げ出せない現実を目の当たりにします。脱出という光が見えた中で、彼が下した決断。それは、二人を逃がし自分がこの地に残るという選択でした。

この現実を世界中の人々に知らせて欲しい、という主人公の想いを胸に、脱出に成功した二人は、北朝鮮で起きているこの生々しい出来事をTV番組で発表します。

今、現実に、この瞬間も変わることのない北朝鮮の姿を知った人々は、何を感じたでしょう。世界各地で起きている目を覆いたくなるような現実を知る度に、私はいつも思います。何とかならないのか、何とかしてあげれないものかと。それと同時に、何もしてあげることが出来ないという無力さを嘆いてはいけないのだと。誰しもが自身の無力感を覚え、知ることさえも止めてしまえば、この世の中はもっともっと酷くなります。

この物語をただ説明することは簡単です。ですが、この映画で描かれる現実は、全然簡単ではない。理解することも、解決することも困難で、まして許容することなど絶対に出来ません。この映画の鑑賞者は、監督が届けたいと願ったSOSを、確かに受け取ったと思います。受け取った私たちは、どんな返事を返してあげれるのでしょうか?

最後に……この映画を製作するにあたり、スタッフさんには、真実を世に伝える怖さがいつもつきまとったと思います。心から畏敬の念を伝えたいなと思いました。

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