2021年9月(No.319)
訪れた人々
~加我 君孝 先生~
院長 三好 彰
私とは古くから交流のある元東京大学医学部耳鼻咽喉科教授の加我君孝先生に私のエッセイ集を贈呈したところ、ご丁寧なお手紙を頂戴しました(図1)。
図1 加我先生からのお手紙(裏面は、鈴木先生の師匠である切替一郎先生の肖像画)
私が、当院の代診も務めて頂いた友人の藤原久郎先生(長崎)と共に、当時、帝京大学教授であった故・鈴木淳一先生(図2)の下で学んでいた頃、加我先生(図3)も同門の兄弟子として師事しておられました。多くを語らず黙々と研究を続ける加我先生の後ろを、それこそ生まれたてのヒヨコのごとく着いて回っていたのが思い出されます。
ちなみに、鈴木先生門下の弟子は数多くいるものの、当院ホームページ「めまいの方へ」で閲覧できる「鈴木淳一先生の幻のウサギの眼振実験ムービー」を頂いたのは私と加我先生のみで、かつホームページに掲載許可を頂いたのは私だけでした。
また、藤原先生に加我先生との思い出を伺ったところ、以下のお話を送って頂きました。
「私が帝京にお世話になったのは昭和56年晩秋の頃です。最初は東京での借家が見つからず、動物研究室の屋根裏にあるベッドで寝泊まりしておりました。当時の医局長が加我先生。
もともと私は朝に強いのですが、早朝5時頃だったでしょうか? 研究室にパッと電気がついて、やがてクラシックの重厚なる音楽が聞こえてきました。さらに馨しいコーヒーの匂いもしてきました。
寝ぼけ眼で下へ降りてみると、加我先生でした。あれ? 先生はさっきまで医局にいたはず……(お住まいは埼玉の朝霞の方と伺っていました)。
私が「朝、早いですね」と声を掛けると、加我先生はコーヒーを味わいながら「夜は医局長などの仕事をしていて忙しいんだ。朝だけが自分の研究の仕事に集中できるからね」と、話してくれました。
私は九州からのお上りさん。加我先生は鈴木淳一先生の高弟、講師四天王の一人でバリバリでした。
加我先生は毎日行われる医局会の議題メモを、B5用紙で配布されていました。忙しかったのでしょう。メモは個性的で走り書きが多く、私には読み辛かったのを覚えています。
そうやって、私の忙しい東京生活が始まったのです。
あの研究室のコーヒーの味が懐かしいですね」(図4)
図2 学会発表に向けて臨床例を検討する故・鈴木先生と私
図3 兄弟子である加我君孝先生
図4 藤原先生いわく、誰よりも大きい私の足音は帝京大医局のデスクからでもすぐに聞き分けられたとか。
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