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2021年5月号(No.315)

夜ノ森と福島原発

院長 三好 彰

 

図01

写真は、2021年4月1日(木)に福島県富岡町の「夜ノ森」で撮影した桜並木です。

今でこそ人の往来する様子が見て取れますが、この町は2011年3月11日(金)の福島第一原発事故の影響によって、JR常磐線の夜ノ森駅以東の地域が帰還困難区域に指定されています。そのため、桜の名所として知られる夜ノ森公園の桜並木は頑丈なゲートによって閉ざされてしまい、人の立ち入りが出来なくなってしまいました。

毎年恒例の桜祭りが復活したのは、震災から6年後の2017年4月のことです。

それまではチャーターしたバスの中からしか見ることの叶わなかった桜が、震災後では初となる歩行者天国の開放により、直接自分の目で見ることが出来るようになりました。

東日本大震災の発災直後、携帯電話などの通信機器が使用不可能となった際、災害対策本部にすら正確な情報が入って来ませんでした。

内陸部は激しい揺れによる地震被害に見舞われ、沿岸部では津波による想像を絶する破壊が引き起こされ、着々と進行する原発事故の状況を知る術は殆どありませんでした。

 

3月11日(金)の21時過ぎ。

災害本部に、福島第二原発からの連絡職員が到着しました。

スタッフは当然、原発の状況について問い質しますが、本人たちにも第一原発の詳しい状況は分からないという状態だったそうです。

そして21時23分、第一原発から半径3キロ以内に避難、10キロ以内は屋内退避の指示が発令されました。

翌12日(土)の朝6時、第一原発から10キロ圏内の住民に対して避難指示が出されたことで、内陸にある川内村へ避難することが決定されました。ただ、状況は刻々と悪化の一途を辿り、その日の内に全町避難が決定されました。

16,000名もの住民を避難させる。

避難先となる川内村へは、中央線すら描かれていない山間の県道112号線を通るしかなく、後は南北に大きく迂回するしか方法がありませんでした。結果、避難住民による渋滞が発生し、平時ならば30分ほどしか掛からない行程に3~4時間を費やしたそうです。

しかし、川内村に避難してからも第一原発の状況は深刻の度合いを増していき、同日15時36分、第一原発1号機で水素爆発が発生します。その爆音は、富岡町に残る役場職員の耳にも届きました。

3月15日(火)、第一原発2、3、4号機にも異常が発生し、原発敷地内の空間線量が軒並み上昇すると、川内村の住民に自主避難の指示が出ました。僅か3日足らずの内に再びの避難に、村民及び避難してきた富岡町民にも動揺が広がります。

国からの指示も二転三転と錯綜し、独自に福島市にある「ビッグパレットふくしま」や友好都市を結んでいる埼玉県杉戸町と直接交渉して、避難先の確保に奔走しました。

どこの誰さんが、一体何処にいるのか。

どの場所に、誰が引率していくのか。

集積された支援物資の整理に配布記録、足りない物もしくは余剰物資の管理、様々な問題が一気に押し寄せ、県職員や施設職員も疲労と不安、混乱の坩堝に叩き込まれたような状況が続きます。

ですが、避難住民の方々にも協力を仰ぎ、自主的な作業分担が行なうようにするなど、少しでも効率的に、少しでも快適に、全員が一致協力して重大な局面を乗り切っていったそうです。

未曾有の大災害から今年で10年目を迎え、未だ家主の戻らぬ家々がひっそりと佇んでいます。

すでに新たな土地で生活を始めている人が大半を占める中、やはり生まれ育った土地で暮らしたいと言う方もいらっしゃいます。

ここまで10年が経ちましたが、これから後何年で“大震災”が収束するのか。

いまだ生き残るための戦いは、道半ばとなっています。

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