2020年4月号(No.302)
はじめに
2020年4月(実際には新型コロナウイルス感染症の影響で同年7月12日)、院長が耳鼻咽喉科学校健診を毎年実施している北海道白老町に、民族共生象徴空間(ウポポイ)(旧・アイヌ民族博物館)が開設しました。
ここ数年、北海道の先住民族であるアイヌ民族に注目が集まっており、アイヌ文化や生活習慣、暮らしぶりなどの情報を目にする機会が増えてきました。
また、時期を同じくして、院長のお知り合いである劇団シェイクスピア・カンパニーを主宰する下館 和巳さまが、シェイクスピアの代表作である「オセロ」をアイヌ民族に置き換えた新時代の演劇「アイヌ・オセロ」を製作し、日本のみならず本場イギリスでも公開されました(院長は、仙台及びロンドン公演を観劇しました)。
そこで、劇団主宰の下館さまより頂いた「アイヌ・オセロ」が出来るまでのエピソードをご紹介いたします。
シェイクスピアとアイヌ、そして三好先生
下館 和巳(しもだて かずみ) (シェイクスピア・カンパニー主宰)
三好先生との出会い
三好彰先生に初めてお会いしたのは2017年の7月27日です。場所は泉中央駅そばの料理店「ウェルカム・トゥ・ザ・ムーン」。
私があの日あの場所にいるためには、まず、ある「思い」がなければいけませんでした。
ある「思い」とは「江戸末期北方警備のために白老にいた仙台藩士三好監物氏の子孫への大いなる興味」です。そして、二人の友人の言葉がなければ、その「思い」は行動になりませんでした。
一人は野本正博さん。白老アイヌ民族博物館の館長さんです。「野本さん、とっても素敵な方だよ」と言って紹介してくれたのは札幌のデザイナーの西野昭平さんで、演出家秋辺デボさんの盟友です。
白老町から始まったご縁
2017年5月8日、白老の館長室で野本さんと話しをしていると、ご自身がデザインされた札幌のデパートの紙袋を見せてくださいました。アイヌの刺繍模様がデフォルメされたハートマークがなんともチャーミングだったことと、野本さんとの会話がボールのように弾んだことで、野本さんのお髭の笑顔が私の心に深く印象づけられました。
私が仙台からやってきたことを知った館長さんの「三好先生、ご存知ですね。白老小学校の児童のために毎年無償で健診に来てくださってるんですよ」という言葉は、恥ずかしながら白老と三好先生のつながりについては全く無知だった私の中に、「三好先生にお会いしたい」という思いを生んだのです。
もう一人は皆川洋一さん。皆川さんは岩手県藤沢町で豆腐屋さんを生業としながら、演出家、脚本家、落語家をこなすマルチタレントでもあって、実は私の主宰するシェイクスピア・カンパニーの役者でもあります。
ある時、皆川さんに三好先生のお話をすると、「三好せんせ? な~んだや、おらほ(黄海)のご領主さまだよ」とまん丸お目目を更に丸くして誇らしげに語り、「今度の会さ連れでいってやっから」と。ということで、ごく自然に、「月(ムーン)の人(マン)」になったのでした。
一体どんな会なのか? どんな人が集まっているのか? 何にも知らずに行った私は、まずはその時のゲストでいらっしゃる國井修先生(世界エイズ・結核・マラリア対策基金 戦略投資効果局長)のご講演に度肝を抜かれたのです(図2)。
シュヴァイツアーの本の影響を受けて、発展途上国で働くことに興味を持ったこと、年間300万人の命を奪っている三大感染病(エイズ・結核・マラリア)克服のために世界中を飛び回っていることなどを、実にクールにそして燃えるように語るのです。
私はこう質問したのを覚えています。 「途上国では、日本やヨーロッパとでは大きく異なって、移動のヘリも飛行機も滑走路さえも危険に溢れているにちがいないのですが、死ぬことへの恐怖はないのですか?」
すると、國井先生は、笑みを浮かべてこうおっしゃいました。
「よく妻に言われるのは、あなた死ぬならちゃんと死んでよ。中途半端な助かりかたされても困るわよ、って」
そして、こう言葉をつづけました。
「死ぬ時は、私がもう必要なくなった時で、生かされているのは、私が必要とされているからです。ですから、死ぬ時はどうあっても死ぬ、生きる時はどうあっても生きる。死は怖くありません」
12年前に亡くなった私の妻は写真家として戦闘機に乗ってソマリアまで撮影に行った人でしたから、途上国で危険を顧みずにいきいきと働く國井先生の姿と言葉に感動しました(図3)。
三好先生と出会って
そして、國井先生のご友人である三好先生もきっと國井先生と同じ心をもっている方にちがいないと思った時に、三好先生にお会いして、一日で三好先生を理解するためには、まさに國井先生がお話をされる今日でなければならなかったと私は思いました。
私は、美女でもないのに(笑)、普通の生活でこんなにジッと人を見ていたことはないような気がします。懇親会で、私は三好先生からだいぶ離れた席に座っていたので、逆に立ち姿もお話をしている姿もよく見えました。
まず、お辞儀の角度が深い。つまり深々とお辞儀をされる。あげた顔は笑っている。口角があがっているだけではなくて、目が笑っている。ほんとうに有難いという気持ちが全身に表れている。
そうしながら一人でベラベラ喋っている人もいる(私などはその典型)のですが、三好先生は人の話に熱心に耳を傾けているのです。
そして、相手の話を聞きながら時折グッと目を大きく開くので、一体どんな話をしているのだろうと、興味がわくのです。
隣に座らせていただくことになって、顔の表情を間近で観察させていただくことができるようになってからは、私は益々のめり込んでいくことになります。
まず濃く太い眉、高いお鼻、大きな目と口、ふくよかな耳、張りのある頬が顔のカンバスの中で、実によいバランスで魅力的に配置されているのです。そして、一つ一つが身体の動きと連動して、実に大きく動くのです。
その要になっているのが目で、三好先生の表情に、比類のない豊かさを与えているのです。聞き手の目をまっすぐに見て、その人の言葉に対して、言葉というよりはむしろ声で反応される。その声にもきちんとグラデーションがあって、一瞬の低音から始まって、中音に上り、一気に高音に上がるのです。
私には、三好先生がとても潜在力の高い優れた役者に見えて、いつか口説いて舞台に出ていただこうと、秘かに思いました。 しかし、いつまでも潜められず、送っていただいた季刊誌の御礼のお葉書の中に、「いつか舞台に」と記しましたところ、「『オセロ』のラストシーンで!」と。そしてカッコつきで、「せりふのないデズデモーナ(オセロの妻で夫に絞殺される)の死体役で!」とユーモアたっぷりのご返事をいただきました。
仙台公演で再会
ロンドン公演を目前にして三好先生にエルパーク仙台で行われたアイヌを主人公とした『旺征露(おせろ)』(シェイクスピア原作の『オセロ』を翻案したものです)を見ていただいたのは、昨年の1月です。その後すぐに、「なにか書いてください」と原稿の依頼を受けて「喜んで」とご返事を差し上げてから、もう1年以上になります。
ですから、私のこの拙文は、遅れに遅れてやっと掲載されたまったく不届きな文章です。そのために、ロンドン公演直前の今、書かせていただいていることにも何か不思議なものを感じます。
つづく
下館さまのご著作