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みみ、はな、のどに関する病名、症状などの用語集

イスラエル訪問レポ9 総務課 青柳 健太

●はじめに

 2018年4月26日(木)から5月5日(土)にかけて、院長と私は中東のイスラエルに行ってきました。  ここでは、数千年の歴史が根付くイスラエルについて、シリーズでご紹介いたします。

〇前号のあらすじ

 イスラエル最北部のゴラン高原から、地中海沿岸の港町ハイファ、古代ローマの遺跡カイザリアなどを巡り、エルサレムへと戻ってきました。
 エルサレムでは、アテンド役のセリアさんにイスラエル外務省へ表敬訪問を行い、元駐日大使エリ・コーヘンさんとも面談して貴重な中東戦争の従軍体験などのお話を伺いました。

●5月3日(木)、8日目 エルサレム

 長い様で短かったイスラエル滞在の最終日です。この日はエルサレム市内にあるエルサレム美術館やホロコースト記念館、弾薬の丘などを見学して、夜11時出発のフライトで日本に戻ります(図1)。

(図1) (図1)最後のエルサレム探索

〇イスラエル博物館

 国立博物館であるイスラエル博物館には、死海地方のクムランで発見された死海文書の写本が収められています。
 この死海写本は、約600を超える巻物がほぼ完全な形で残されており、とても紀元前に書かれた物とは思えないほどの状態で保存されていたことから、20世紀最大の考古学的発見と言われています。
 その写本が収められている死海写本館は、発見当時に写本が入っていた壺を模した玉ねぎ型の形をしています(図2)。館内は空調によって完璧に温度・湿度が管理されており、写本が劣化しないように弱めの照明が使われています。
 写本は展示場のちょうど中央にある円形の展示ケースに入っており、ぐるっと周回しながら閲覧することができます。
 文字を読む解くことは出来ませんが、かなりの文章が書きこまれており、それら1つ1つを研究・分析する人の苦労が偲ばれます。

(図2) (図2)イスラエル博物館の写本館

〇古代エルサレムのジオラマ

 写本館の外には、第2神殿時代(紀元前538~紀元後70年)のエルサレムを50分の1に縮小して制作されたジオラマがあります(図3)。
 このジオラマは、故アビ・ヨナ教授という考古学者が「ユダヤ戦記」という文献や発掘などから得た成果をもとに製作されました。
 当時のエルサレムを再現した模型には実際の建築材として使われる石灰岩や大理石、金などが使われており、その細部にまで渡る作り込みは製作者のこだわりが見て取れます(図4~6)。
 写真手前の凱旋門の様な建物が神殿で、その周囲(東西北)を城壁の様な柱廊が囲っています。唯一、南側には赤い屋根のバシリカと呼ばれる長方形の建物があり、ここでは献納物の買い物や集会所として使われていたそうです。
 現在の「嘆きの壁」と呼ばれている場所は、バシリカの奥側にある外壁の部分を指しており、ローマ帝国によって破壊された第2神殿の名残です。
 また、博物館の入口にはお土産コーナーが併設されており、洋服や小物、絵などが販売されています。そのどれもが思わず魅入ってしまうようなデザインの物が多くあり、ついつい長居をしてしまいそうになります。

(図3) (図3)第2神殿時代のエルサレム

(図4) (図4)住民? のトカゲ

(図5) (図5)石灰岩や大理石が使われています

(図6) (図6)神殿にかかるアーチ状の橋付近が「嘆きの壁」です

〇ホロコースト記念館

 新市街の西側にイスラエル建国の父、テオドール・ヘルツルの眠るヘルツルの丘と呼ばれる場所があります。
 そこには、第2次世界大戦中にナチス・ドイツによって虐殺されたユダヤ人たちを慰霊するための施設「ヤド・ヴァシェム」があります(図7)。
 エントランスホールを抜けると、三角柱を横倒しにした形の記念館が斜面から飛び出るような形で建てられています(図8)。
 建物の正面には高さ30メートルにも及ぶ円柱があり、そこには「忘れるな」という意味のヘブライ語が刻まれています。
 記念館の内部はホロコーストに至る経緯や、犠牲者の遺品、当時の映像などが時系列に沿って展示されています。
 また、記念館の最後にはThe Hall of Namesと呼ばれる円形のメモリアルホールがあり、ホロコーストの犠牲者600万人のうち、約200万人以上の個人情報が収められています。
 犠牲者の名前や写真が壁一面にびっしりと記録されており、その余りにも多すぎる記録の量に心胆を寒からしめる思いがしました。
 ちなみに、院長は2017年11月に、ホロコーストの代表的な史跡であるポーランドのアウシュヴィッツ強制収容所跡を訪れており、現地の情景が生々しく思い出されるそうです。

(図7) (図7)ホロコースト記念館の一施設

(図8) (図8)特徴的な形をした記念館

〇弾薬の丘

 エルサレム旧市街を一望できるオリーブ山、そのほぼ真北にスコープス山と呼ばれる丘陵地帯があります(図9)。
 この山は、エルサレムの長い歴史の中で、ローマ帝国軍や十字軍などの外国軍によるエルサレム包囲の際、必ず占領される重要な拠点となってきました。
 標高800メートル程の山ですが、山頂からエルサレム市街が一望できる絶好の観測位置にあるからです。
 そのスコープス山から西に張り出した尾根の一部が弾薬の丘です(図10)。
 イスラエルが領土を一気に拡大するきっかけとなった第3次中東戦争の際、ヨルダン軍の要塞が築かれたこの弾薬の丘ではイスラエル軍との間で激しい戦闘が起こりました。

(図9) (図9)エルサレムの全景(手前がオリーブ山)

(図10) (図10)弾薬の丘の記念館

〇エルサレムを巡る戦い

 イスラエル軍は、エルサレムを中心として、戦車を主力とした機甲部隊が北側から時計回りに進軍し(図11、12)、空挺部隊がエルサレム市街から東のオリーブ山方面へ、エルサレム防衛を受け持つ第14エルサレム旅団が南へ進軍しました。
 対するヨルダン軍は、戦略上の要衝であるエルサレムの一帯のビルや拠点を鉄筋コンクリートで補強した防御拠点に造り変え、それらを塹壕でつないで周囲を鉄条網と地雷を敷設。鉄壁の防御網を作り上げていました(図13)。
 弾薬の丘には、イスラエルの空挺旅団隷下の一個大隊が攻略に向かいましたが、ヨルダン軍の決死の防戦にあい陣地のあちこちで兵士同士が肉薄する白兵戦が行われたそうです。
 戦闘は4時間以上に渡って続けられ、双方に大きなダメージを与えつつもイスラエル軍がオリーブ山を含む一帯を占領しました(図14)。
 そして、部隊を再編成した空挺部隊がエルサレム旧市街へと突入し、嘆きの壁を始めとする神殿エリア一帯を確保しました。
 ヨルダン軍は多くの犠牲を払ってヨルダン川の東側まで撤退し、6日間戦争とも呼ばれた第3次中東戦争が終結しました。

(図11) (図11)北側から迂回するイスラエルの機甲部隊

(図12) (図12)イギリスのセンチュリオン戦車を
改造したショット戦車

(図13) (図13)弾薬の丘の地図

(図14) (図14)オリーブ山からエルサレムを望む
イスラエル軍

〇記念館で戦いを振り返る

 館内には、戦争当時の状況が時系列で紹介されており、白黒の動画や写真、説明資料などが展示されています(図15、16)。
 様々な書籍や関係者の証言などとあわせて見みると、アラブ諸国側にも相互不信や国同士のパワーバランスなどが作用しており、イスラエルとの民族的な対立以外の背景も大きかったことが感じられました。
 弾薬の丘には戦争当時の塹壕などが今でも残されており、随所に弾痕が散見されるなど激しい戦いの傷跡が残されていました(図17、18)。
 館外には、実際に使用されていたのであろうイスラエル軍のM1スーパーシャーマン戦車(図19)やM5ハーフトラック(図20)が置かれており、子ども達の良い遊び道具になっていました。
 これらの車両はアメリカから中古車を輸入した物で、自国生産が厳しいイスラエルにとっては国防の要となる貴重な戦力でした。
 アメリカでは、発達した自動車産業の技術を応用して短時間で大量に軍用車両を作る技術がありました。
 イスラエルに供与されたM1スーパーシャーマン戦車も、金型に素材を流し込んで作る鋳造方式をとっているので大量生産が可能になっています。
 こうした戦跡には、イスラエル軍の若い兵士達の姿も見受けられました。自分たちの先人がどのような思いで戦い、散っていき、そして何を残したのか。忘れてはならない歴史として語り継がれているようでした(図21)。

(図15) (図15)シナイ半島でエジプト軍と
対峙するイスラエル機甲部隊

(図16) (図16)弾薬の丘で戦死した兵士の名前

(図17) (図17)一人が通る
のがやっとの塹壕

(図18) (図18)トーチカの銃眼

(図19) (図19)子ども達の遊び場と化した
M1スーパーシャーマン

(図20) (図20)ディーゼルエンジンに
換装したM5ハーフトラック

(図21) (図21)兵士たちの見守る塹壕を
通る青柳(汗)

〇帰国前の腹ごしらえ

 弾薬の丘を後にした一行は、一度ホテルへと戻って早めの夕食を取りました(図22)。
 帰国便は夜中11時にベン・グリオン空港を飛び立ち、行きと同様に一度ソウルで乗り換えを行い、夜8時に成田空港に到着します。
 帰りの便では、私は非常口に接する最前列の席だったため、比較的自由に動きが取れ大変助かりました。  チケットを取ってくれた菅野秘書には大感謝です(ペコリ)。

(図22) (図22)ホテルでの最後の食事

●さいごに

 全9回にわたってご紹介したイスラエル訪問レポはいかがでしょうか?
 今回のイスラエル訪問にあたって現地との調整をお願いしたセリアさん、ご一緒した参加者の皆様、現地ガイドのエミコさん、そして貴重な機会を頂きました院長に心より感謝申し上げます。
 また、お付き合い頂きました読者の皆様にも重ねて御礼申し上げます。
 ぜひ、機会があればご自身の目と肌でイスラエルに触れてみて下さい。きっと新鮮な衝撃が、皆様をお出迎えしてくれると思います(図23)。おわり

(図23) (図23)旅中にお世話になった運転手のアワッドさん