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みみ、はな、のどに関する病名、症状などの用語集

イスラエル訪問レポ4 総務課 青柳 健太

●はじめに

 2018年4月26日(木)から5月5日(土)にかけて、院長と私は中東のイスラエルに行ってきました。
 ここでは、世界三大宗教の聖地であり数千年の歴史が根付くイスラエルについて、シリーズでご紹介いたします。

〇前号のあらすじ

 世界最古の港町ヤッフォを散策した一行。オスマン朝時代の砦を利用したレストランで舌鼓を打つ一行、しかし、あるメンバーがスリにあってしまいお財布を丸ごと紛失してしまいます。
 警察署にて被害届を出し、体力を使い果たしてホテルに戻りました。

●4月28日(土)、3日目 エルサレム

 今日もエルサレムの空には薄雲が張るも、熱気を与える太陽が存在感を増していました。
 本日はエルサレム市街を中心に回ります(図1)。昨日のアクシデントの影響もあり、少し予定を詰めたスケジュールになっていました。

(図1) (図1)60号線を境に分かれるエルサレム

〇オリーブ山

 エルサレムの東側にあるオリーブ山は、旧・新約聖書にも登場する丘陵地帯です(図2)。標高800メートルほどとそこまでの高さはありませんが、古くからオリーブの生産地として伝わっていたのでオリーブ山と呼ばれるようになりました。
 ここには、イエス・キリストにまつわる教会が複数建てられており、磔刑に処される前のイエスが歩いたとされる階段も現存しているそうです。
 また、エルサレム旧市街を一望できる景勝地でもあるので、多くの巡礼者や観光客が訪れます。
 多くの人がオリーブ山を目指して集まってきますが、山頂までの道は一本道となっているため、早朝に来ないと確実に渋滞につかまります。
 順調に行けば30分程でオリーブ山の山頂に到着します。
 展望台からは、エルサレム旧市街とかつての第1・2神殿上に建てられたイスラム教の「岩のドーム」が見られます(図3)。

(図2) (図2)オリーブ山から見たエルサレム市街

(図3) (図3)黄金色に輝く岩のドーム

〇最古のユダヤ人墓地

 視線を手前に移せば、オリーブ山の斜面に並んだ世界最古のユダヤ人墓地が一面に並んでおり、紀元前1世紀から西暦200年頃のお墓がある事が知られています(図4)。
 お墓の正確な数は分かっていませんが、約15万基はあると言われているそうです。
 西暦2世紀頃までは、亡くなった方は一度土葬された後に骨壺に納骨され、また別の場所に安置されたのだそうです。

(図4) (図4)数えきれないお墓が並ぶオリーブ山

〇イエスも歩いたケドロンの谷

 オリーブ山の山頂から西側に降っていくと、旧市街との間にはしる渓谷「ケドロンの谷」があります(図1右下)。
 この谷は南部にある死海まで続いている渓谷で、イエスがエルサレムと近隣の町ベタニアを往来する際に何度も横断したと言われています。
 そしてケドロンの谷を渡ると神殿を取り囲む城壁がその威容を誇っており、城壁を超えると緑地に囲まれた岩のドームが陽の光を浴びて黄金色に輝いています。
 背景にはエルサレム旧市街の低層建築物と近代的なエルサレム新市街の高層ビル群が見えます。双方が建築された年代には数千年もの開きがありますが、それを一目で展望できるのは、非常に貴重な光景なのだと実感できました。

〇主の涙の教会

 オリーブ山の斜面に広がる墓地を眺めながら細い石の道を下って行きます。途中、わき道にそれた所に「主の涙の教会」が建っています(図5)。
 この教会の由来は、イエスの弟子ルカによる福音書の記述に基づいて1955年に建てられました。
 その記述とは、イエスがエルサレムを眺めた際、その滅亡を予言し涙したと言うものです。

(図5) (図5)主の涙の教会

〇ゲッセマネの園

 ケドロンの谷の目前にあるゲッセマネの園は、ヘブライ語で油搾りを意味する言葉です(図6)。園内にはオリーブの木が所狭しと植生しており、中には樹齢数千年のオリーブの木もあるとか。
 イエスはヘロデ王に処刑される前日、この庭園の中で祈りを捧げていたと言われています。

(図6) (図6)油搾りを意味するゲッセマネの園

〇万国民の教会

 ゲッセマネの園に隣接して建てられているのが、この万国民の教会です(図7~9)。
 教会内は原則会話が禁止されており、多くの巡礼者が荘厳な雰囲気の中で祈りを捧げていました。特に祭壇前に置かれているゴツゴツとした岩床は、イエスが祈りを捧げていた場所だと言い伝えられています。

(図7) (図7)万国民の教会の外観

(図8) (図8)教会内には讃美歌が流れていました

(図9) (図9)イエスが祈りを捧げたと言われる岩床

〇イエス聖誕の地ベツレヘム

 イエスが生まれたとされるベツレヘムはエルサレムの南10㎞の場所にある町です。古代イスラエルの王ダビデが生まれた町でもあります。
 一行は、かつてヨルダンとの国境線(停戦ライン)とされた60号線を南下して、イエス・キリスト生誕の地ベツレヘムに向かいます。
 町の外周は隔離壁に覆われており、町に入るにはゲートを通る必要があります(図10)。

(図10) (図10)ベツレヘムのゲート

〇世界一眺めの悪いホテル

 町の北側から中心街に向かう途中、隔離壁から僅か4メートルしか離れていないホテルがありました(図11)。
 The Walled Off Hotelと言う名前のホテルで、その全室からは隔離壁と監視塔を見る事が出来るのだそうです。泊まる人がいるのか……と思われますが、中には一泊10万円以上もするスイートルームもあるそうです(最安は3千円程度)。
 このホテルは、イギリス出身の有名なアーティストであるバンクシー(本名不明)が出資しており、ベツレヘムの各所にはバンクシーの手掛けたウォールアートが残されています(図12)。

(図11) (図11)世界で一番眺めの悪いホテル

(図12) (図12)平和の象徴ハトが防弾チョッキを着ています

〇イエスの生まれた聖誕教会

 イエスが降誕したとされる洞穴の上に建てられたのが聖誕教会です。正確には、ローマ帝国皇帝のコンスタンティヌス1世(306~337年)の母であったヘレナが、その様に取り決めたと言われています。
 最初期の教会は西暦325年に建てられましたが、十字軍によって外敵を防ぐための要塞として改修されました。
 外広場から教会内に入るには「謙虚のドア」と言われる高さ120㎝の低い入口を通ります。まるで日本の茶室に入るための入口の様です。
 石造りの教会内は、外気温の高さとは裏腹に冷輻射によってひんやりとしています。本来であれば静謐な雰囲気が漂っているところですが、観光客がまるで満員電車のように詰めかけており、とても賑やかな状況です(図13)。
 入口から祭壇に至る身廊と呼ばれる通路の一部の床が開放されており、建築当時の物とされるモザイク床を見る事が出来ます(図14)。
 祭壇には、部屋を区切るための聖障と呼ばれる壁があります(図15)。木製のこの壁は、非常に細かい装飾がそこかしこに彫られており、聖書などにおける出来事を描いた絵であるイコンが組み込まれています。
 その聖障の真下にはイエス降誕の場所とされる部屋があります(図16、17)。祭壇横の人一人がやっと通れるくらいの狭い入口をくぐり、暗い階段を降りると、星が描かれた床に丸い穴が開いています。多くの人がその穴をのぞき込み、祈りを捧げていました。

(図13) (図13)人で埋め尽くされた聖誕教会の中

(図14) (図14)約1700年前のモザイク床

(図15) (図15)非常に細かい装飾の施された聖障

(図16) (図16)聖障の真下に通じるトンネル

(図17) (図17)イエスが降誕したとされる場所

〇聖書を訳したヒエロニムス

 聖誕教会に隣接する聖カテリーナ教会の前には、ヘブライ語で記された聖書をラテン語に翻訳することに生涯を捧げた聖ヒエロニムスの像があります(図18)。
 像の足元には、翻訳作業を手伝った女性パウラを模した骸骨があります。彼女の死後、ヒエロニムスは彼女の骸骨をそばに置いて翻訳作業を続けたそうです。
 ヒエロニムスの翻訳した聖書「ブルガタ版ラテン語聖書」はカトリックの公認聖書に指定され、キリスト教が世界中に広まった要因とも言われています。

(図18) (図18)聖カテリーナ教会と聖ヒエロニムスの像

〇昼食、アルメニア料理 「ブルグールジ」

 このお店はアルメニア人が経営しているそうです(図19)。
 必ず出てくる前菜類を、ピタという中が空洞になっている円形のパンに詰めて食べます(図20~22)。
 また、このお店で飲んだ「ゴールドスター」というイスラエル産のビールは口当たりが良くて飲みやすいです(図23)。

(図19) (図19)アルメニア料理店「ブルグールジ」

(図20) (図20)ピタに挟む前菜類

(図21) (図21)鶏肉の牛肉のトマト煮

(図22) (図22)インゲン豆のトマト煮

(図23) (図23)イスラエルの地ビール「ゴールドスター」

〇鶏鳴教会

 エルサレム旧市街を囲む城壁。その内外を繋ぐ8つの門のうち一番南にあるシオン門外のやや南東に、鶏鳴教会と呼ばれる教会があります(図24、25)。
 なぜ鶏が鳴くと書くのか……。これはイエスの弟子であるルカの福音書に理由が書かれています。
 ゲッセマネの園にいたイエスはヘロデ王により捕らえられ、鶏鳴教会の地下牢に留置されます。
 イエスは、弟子ペテロが自身へ罪が及ぶことを恐れるあまり、鶏が鳴くまで、つまり朝になるまでにイエスの事を3回「知らない」と言うだろうと予言しました。
 その予言通り、ペテロはイエスの事を知らないと3度にわたって発言して難を逃れたのです。

(図24) (図24)鶏鳴教会の外観

(図25) (図25)弟子ペテロが「イエスを知らない」と言ったシーン

〇最後の晩餐の部屋

 レオナルド・ダヴィンチの絵画「最後の晩餐」を見たことがある人は多いと思います。しかし、実際の晩餐会場となった部屋は絵に描かれるような大広間ではなく、少し手狭な印象の個室で開かれたのだそうです(図26)。
 別名ペンテコステ(五旬節)の部屋とも呼ばれており、イエスが亡くなった50日目、弟子たちに聖霊が降りた場所とも言われているそうです。

(図26) (図26)意外とこぢんまりとした最後の晩餐の部屋

〇園の墓

 旧市街8つの門の内、一番賑わっているのが北のダマスカス門です。
 その門のさらに北にある園の墓と呼ばれる場所は、イエスが処刑されたとされるゴルゴダの丘、その本来の場所ではないかという説があります(図27)。
 一般的にゴルゴダの丘とされる場所は、旧市街の西側に造られた聖墳墓教会のある場所だと言われています。しかし、この園の墓には人の顔のように見える岸壁があり、ゴルゴダという言葉も骸骨と言う意味を持っていることから、そのような説が生まれたようです。

(図27) (図27)ゴルゴダの丘とされる園の墓

 まる1日を掛けた視察で、頭の中は混乱状態になりました。お昼が遅かった事もあり、この日の夕食は辞退して床に就きました。
 次号では死海地方をご紹介します。 

つづく