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みみ、はな、のどに関する病名、症状などの用語集

イスラエル訪問レポ2 総務課 青柳 健太

●はじめに

 2018年4月26日(木)から5月5日(土)にかけて、院長と私は中東のイスラエルに行ってきました。
 ここでは、世界三大宗教の聖地であり数千年の歴史が根付くイスラエルについて、シリーズでご紹介いたします。

〇前号のあらすじ

 イスラエルとユダヤ民族の概要と、約半日のフライトによる下半身の痛みに耐え、無事にイスラエルの商都テルアビブにあるベン・グリオン空港に到着しました。

●4月27日(金)、2日目

 エルサレムの朝。早朝はやや肌寒さを感じるものの、深呼吸をすると体中を心地よい街の空気が巡っていきます。
 エルサレムでの拠点となる「セルゲイパレスホテル」は、1889年にロシア正教の巡礼者が宿泊するための施設として建てられました。
 ホテルとしての改装がなされていますが、元々は砦としての機能も果たすべく周囲を建屋に囲まれており、中心部の庭園には様々な植物が植えられています(図1)。
 ロシア正教の巡礼者はとても敬虔な信者で、食事の前に礼拝をするための教会も併せて建てられました(図2)。
 現在、建屋の一部は開拓当時の写真などを飾る資料館になっており、1800年代後半に撮影された貴重な写真が数多く展示されています(図3)。

(図1)ホテルの庭園(中庭) (図1)ホテルの庭園(中庭)

(図2)巡礼者が食事前に礼拝をおこなう教会 (図2)巡礼者が食事前に礼拝をおこなう教会

〇朝食「ホテル レストラン」

 ホテルの庭園の一角に、30名程が入れるレストランがあります。簡易なビュッフェ式のメニューが並んでおり、少し軽めの物をチョイスして頂きます(図4、5)。
 茶色いペースト状の物は「フムス」と呼ばれるヒヨコ豆のペーストです。イスラエル料理では定番の食品で、「ピタ」と言うパンに挟み込んで食べます。
 白いペースト状の物は「ヨーグルト」ですが、甘みはなく少し粘性のあるクリームチーズに近い印象です。

(図3)1909年に北部の街ナザレへ移動する人々 (図3)1909年に北部の街ナザレへ移動する人々

(図4)チーズやオリーブのピクルスなどが並びます (図4)チーズやオリーブのピクルスなどが並びます

(図5)軽めの朝食 (図5)軽めの朝食

〇エルサレムからテルアビブへ

 朝食をとった一行は、専用車に乗って商都テルアビブへと向かいます(図6)。
 エルサレム市街の中央を南北に走る国道60号線は、北部の町ナザレから中南部の町ベエルシェバを結ぶ幹線道路です。
 この国道60号線は、1949年に終結した第一次中東戦争のグリーンライン(停戦ライン)に指定されており、ヨルダンとイスラエルの国境線となっていました(図7)。
 この道を境にして、東側は嘆きの壁などに代表される神殿地帯のある旧市街(旧ヨルダン領、現パレスチナ自治区)、西側はイスラエルの公官庁やビジネス街のある新市街です。
 この停戦ラインは、1967年の第三次中東戦争(6日間戦争)の終結とともにイスラエル領となり、現在ではパレスチナ自治区との境にある主要道路として活用されています。
 私たちの車は、右手にパレスチナ自治区、左手にイスラエルを眺めつつ北上し、市街の北を走る443号線からテルアビブのある北西へと進路を変えます(図8)。

〇パレスチナの住居

 車窓には、丘陵地帯に立ち並ぶ石造りの家々が見えます(図9)。
 パレスチナの人達が住む家は、家族が増えても良いように屋上部分が拡張する途中で止まっています。そのため、鉄筋などが見えた状態で放置されているという、一見すると竣工前の建物のように見えます。
 また、屋上には飲料水を貯める黒いタンクが設置されています。
 何故かと言うと、飲料水はイスラエルから送られて来るのですが、水道代を払わない人がいるためにちょくちょく水道が止まるのだそうで、一度タンクに水を貯めてから使用しているのだそうです。

(図6)車で約1時間かかります (図6)車で約1時間かかります

(図7)60号線で分かれる新旧エルサレム市街 (図7)60号線で分かれる新旧エルサレム市街

(図8)パレスチナ自治区との境に造られた隔離壁 (図8)パレスチナ自治区との境に造られた隔離壁

(図9)手前の柵には高圧電流が流れているそうです (図9)手前の柵には高圧電流が流れているそうです

〇商都テルアビブ

 テルアビブは20世紀に生まれた新しい街で、元々は荒れ果てた砂丘しか無い土地でした。
 都市人口は43万人ですが、都市圏を含めると100万人が住むイスラエル第2の都市です。

〇テルアビブの興り

 1909年、テルアビブのやや南にあるヤッフォという古い港町に住んでいたユダヤ人の60家族が、住みやすいユダヤ人の町を造るために移住してきたのが町の興りです。
 そして、1930年代のヨーロッパにおいてナチス・ドイツが台頭してくると、多くのユダヤ人が迫害を逃れるためにパレスチナ地域に戻って来ました。
 その中には、ドイツのワイマールという都市にあった有名な建築学校バウハウスで、建築学を学んだ人達が多くおり、未だビルも建っていないテルアビブの街造りに大きく貢献しました。
 今でも、そのバウハウス建築の特徴ともいえる白い建物がテルアビブには6000軒ほど残されており、2003年には「白い都市」として世界遺産に登録されました。

〇テルアビブの由来

 テルアビブ(Tel Aviv)とはヘブライ語の2つの単語からなっています。
 テルは「遺跡」、アビブは「春(穀物が成る時期)」と訳されますが、俗称として「春の丘」と呼ばれます。
 これは、オーストリアのジャーナリストであるテオドール・ヘルツルの著書「アルトノイラント(新しくて古い国)」にて、ユダヤ人の帰属について書かれた一説が建国に繋がったと言われており、古い歴史を持つユダヤ人にとっての新しい国、つまり春の訪れを言い表しているそうです。

〇故ラビン首相の記念碑

 故イツハク・ラビン氏はイスラエルの首相として、それまで険悪な関係だったアラブ諸国との和平を進めた人物です。
 その功績によりパレスチナ解放機構(PLO)の議長であった故アラファト氏などと共にノーベル平和賞を受賞しました。
 しかし、1995年11月4日にテルアビブで開催された平和集会の出席中に、ユダヤ人青年による至近距離からの銃撃を受けて亡くなりました。
 その暗殺事件のあったテルアビブ市庁舎の敷地にはラビン氏を偲んだ記念碑が建てられており、年配の方や課外授業の学生などが訪れ、黙とうを捧げる様子が見受けられました(図10)。

(図10)故ラビン首相が暗殺されたテルアビブ市庁舎前 (図10)故ラビン首相が暗殺されたテルアビブ市庁舎前

〇パレスチナ自治区の実情

 ガイドさんの話では、現在のパレスチナ自治区の実情は日本で言われているのとはまた違う状況だと言います。
 前号で触れましたが、パレスチナとは地域の名称のことで、そこにはもともとユダヤ人も含む多様な民族が住んでいました。
 そのため一概にパレスチナ人と言っても、単一の民族を指しているのではなく、その地域に住む人たち全体をパレスチナ人と呼んでいます。
 そして、パレスチナ自治区を治めているのがマフムード・アッバス議長の率いるパレスチナ解放機構(PLO)です。
 しかし、同じパレスチナ自治区として有名なガザ地区はハマスと呼ばれる別組織(政党)が治めており、同じ名前の自治区でも全てに共同歩調をとっている訳ではないそうです。
 そのため、例えばガザ地区でデモや騒乱があったとしても、ヨルダン川西岸を主体とするPLO側のパレスチナ自治区の人達にとっては、まったく別の出来事として捉えられている面もあるそうです。
 一般市民としては、トップ同士が争っているために庶民生活に支障をきたしている。本当にパレスチナの人たちの事を考えているのか分からない、という意見も多くあるそうです。

〇カルメル市場

 テルアビブの中心地のやや北側にあるカルメル市場は、庶民の生活・食料品を数多く取り扱う野外マーケットです。
 今日は安息日と呼ばれる休日にあたる日なので、15時前にはお店が閉まってしまうそうです。そのため、マーケットの中は人で埋め尽くされており、店員の掛け声も相まって、相当な活気を感じることが出来ました(図11~15)。
 現地の味を確かめるため、フルーツジュース屋にてザクロジュースを買いました(図16)。
 彩り鮮やかなザクロを半分に切り、搾り器に乗せて皮ごと果汁を絞ります。その味は、皮に含まれる渋みと合わさってグレープフルーツに近い印象でした。
 次号は、紀元前から栄える港町ヤッフォに行きます。古代の街並みを散策するメンバーに、突然襲い掛かるハプニングが……!? 

つづく

(図11)カラメル市場の喧騒 (図11)カラメル市場の喧騒

(図12)ナッツを扱うお店 (図12)ナッツを扱うお店

(図13)バナナ一房で約200円(5.9シェケル)バナナ一房で約200円(5.9シェケル) (図13)バナナ一房で約200円(5.9シェケル)

(図14)物凄く甘い匂いが立ち込めるゼリー屋さん (図14)物凄く甘い匂いが立ち込めるゼリー屋さん

(図15)スポーツショップ (図15)スポーツショップ

(図16)大きな実を絞ったザクロジュース (図16)大きな実を絞ったザクロジュース