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みみ、はな、のどに関する病名、症状などの用語集

2017年白老健診旅レポ(2) 看護課 浅野 美紀

 前号に続き前号の第1弾に引き続き、北海道白老町の学校健診レポートをご紹介致します。

●7月6日(木)

 朝から快晴の白老町。さて健診の始まりです。
 町内にある虎杖小(図1)、白翔中、萩野小、白老小を回り(小1・小4・中1)計218名の生徒の健診を行いました。皆さんの元気な挨拶に迎えられ、パワーを頂きました。
 健診は午前で終了し、午後はアイヌ民族博物館と仙台元陣屋資料館をご案内して頂きました。

○アイヌ民族博物館

 入口にはポロトコタンという文字が見え、大きなコタンコロクル像(長老の像)が迎えてくれます(図2)。
 園内には大きなポロト湖があり、茅葺きの家「チセ」が立ち並び(図3)、博物館、植物園、飼育舎などがあります。
 まずは北海道犬とヒグマの飼育舎へ。
 北海道犬はもともとアイヌの狩猟犬で、国の天然記念物です、某携帯会社のCMでとても有名になりました(図4)。
 ヒグマは、アイヌが最も尊ぶ神「カムイ」です。こちらでは、えさやり体験ができます(図5)。
 次に、チセの中でアイヌ文化の解説と古式舞踊(図6)を見学しました。鶴の舞の踊りや、ムックリ(口琴)の演奏は迫力があり、感動しました(図7)。
 その後、アイヌの伝統工芸などの展示(図8・9)を見学して、博物館へ向かいます。こちらでは、アイヌ民族の文化がわかりやすく展示されています。

(図1)115年の歴史を持つ虎杖小学校 (図1)115年の歴史を持つ虎杖小学校

(図2)巨大なアイヌ長老の像 (図2)巨大なアイヌ長老の像

(図3)茅葺き屋根の家「チセ」 (図3)茅葺き屋根の家「チセ」

(図4)真っ白な毛並みの北海道犬 (図4)真っ白な毛並みの北海道犬

(図5)熊にエサをあげる成田さん (図5)熊にエサをあげる成田さん

(図6)迫力の古式舞踏 (図6)迫力の古式舞踏

(図7)アイヌ民族の楽器ムックリ (図7)アイヌ民族の楽器ムックリ

(図8)アイヌ民族の衣装 (図8)アイヌ民族の衣装

(図9)女性は装飾を、男性は武具を身に付けます (図9)女性は装飾を、男性は武具を身に付けます

○アイヌとは?

 日本に暮らす先住民族の一つで、独自の言語と文化をもっています。東北地方の北部から北海道、千島列島(北方四島とその北の島々)、樺太(今のサハリン)などの地域に古くから暮らしてきました。現在でも北海道を中心に、数万人が暮らしているそうです。
 さて、ここでアイヌ語入門です。北海道の地名の80%近くはアイヌ語からきており、白老・札幌・登別・室蘭などがそうです。他にはししゃも、昆布もアイヌ語だと知って驚きました。
 この博物館の名前の由来も、ポロ(大きい)ト(湖の)コタン(集落)と言う親しみやすい名前ですね。
 挨拶では、こんにちは(イランカラプテ)、ありがとうございました(イヤイライケレ)、またお会いしましょう(スイウヌカラアンロー)などがあります。
 私も実際に話してみましたが、舌を噛みました(笑)。

○アイヌと和人の歴史

 北海道では1万年前の人の骨が見つかっており、その時代にはアイヌの祖先が住んでいたとされています。
 もともとのアイヌは物々交換により交易を行う狩猟採集民族でした。自然環境を良く知り、そこから手に入る魚や海草、動物の皮と肉、ワシの羽根などによって周囲の民族と取引してきました(図10)海での狩りの様子。
 また、いくつもの民族を介して中国製品を手に入れ、それを本州(和人)に売る「仲介交易」を行っていました。
 しかし、函館付近の和人勢力が拡大して松前藩となると、アイヌの交易には多くの制約が課されるようになり、多くの不正が行われるなどとても悔しい思いをしたようです。

(図10)海での狩りの様子 (図10)海での狩りの様子

○明治期のアイヌ

 明治時代になると、日本政府はそれまで蝦夷地と呼んでいた場所を、新たに「北海道」という名前にして、植民政策を始めました。
 アイヌは日本国民とされましたが、制度上でも様々な不平等があるようです。
 そうした中でもアイヌ民族の歴史を現代に伝え、未来に残すという取り組みをされています。そして、アイヌの人々と深く関わった人物もいました。
 その人の名前は、松浦武四郎です。

○北海道の名付け親・松浦武四郎(図11)北海道の名付け親・松浦武四郎

 1818年(文化15年)生まれ。江戸時代末から明治期に活躍した探検家です。
 長崎でロシアが勢力を広げるために蝦夷地を狙っていることを知り、自ら蝦夷地を調べてその様子を多くの人に伝えようと決意。6度に渡る蝦夷地の探査を通じてアイヌの人々とも交流を深め、蝦夷地の詳細な記録・地図を残しました。
 1869年、明治政府の一員となった松浦武四郎は、蝦夷地に代わる新たな名称として「北加伊道」を含む6案を提案しました。
 「カイ」とはアイヌの古言語で「この地に生まれた人」という意味を持つそうです。政府はこの案をもとに「北海道」と命名しました。
 来年2018年は、北海道の命名から150年の節目を迎えます。

(図11)北海道の名付け親・松浦武四郎 (図11)北海道の名付け親・松浦武四郎

○生まれ変わるアイヌ民族博物館

 アイヌ民族博物館は来年閉園し、2020年に「国立アイヌ民族博物館・国立民族共生公園」として生まれ変わります。新たな博物館が楽しみです。
 アイヌの歴史を学んだところで、次は仙台とゆかりの深い「仙台藩白老元陣屋資料館」に向かいます。

○仙台藩白老元陣屋資料館(図12)仙台藩元陣屋資料館の入口

 1856年、幕府の命令で蝦夷地を外国から守るため、仙台藩は白老に元陣屋を設置して警備にあたりました(図13)仙台藩の守備範囲。
 その元陣屋の場所を決定したのが、院長の5代前のご先祖様である三好監物(図14)院長のご先祖様・三好監物です。
 資料館では多数の展示物の見学や説明を聞き、鎧兜の試着もしました(図15)鎧を着こむ成田さん。
 その当時の人達は大変ご苦労されたのだと思いました。

(図12)仙台藩元陣屋資料館の入口 (図12)仙台藩元陣屋資料館の入口

(図13)仙台藩の守備範囲 (図13)仙台藩の守備範囲

(図14)院長のご先祖様・三好監物 (図14)院長のご先祖様・三好監物

(図15)鎧を着こむ成田さん (図15)鎧を着こむ成田さん

●7月7日(金)

 白老滞在の最終日。竹浦小、白老中の健診を終え、昼食を摂り帰仙となりました。
 昨年より生徒数は減少しているものの、皆様元気良く伸び伸び育っていると感じました。
   お世話になった白老町の皆様、澄川先生ありがとうございました。貴重な経験をさせて頂いた院長先生、スタッフの皆様に感謝します。