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みみ、はな、のどに関する病名、症状などの用語集

fmいずみラジオ797 3443通信|スギ花粉症の予防(4)

◆番組情報
fmいずみ797「be a live」にて 毎月第1・3火曜10:20~10:30まで放送中‼

An.:…江澤アナウンサー、Dr.:…三好院長]

fmいずみ ラジオ3443通信 スギ花粉症の予防(4)目次

200 日本人の免疫機能

An.:  三好先生前回は、スギ花粉症という現代の日本人の国民病がですね。
 つまり、私たちは一般に病気というものは、人間の体すなわち人体に弱い部分があってウィルスやバイ菌の侵入に耐えられなくなって、そして発病すると考えがちでした。
Dr.:  そのとおりです。江澤さん。
An.:  しかしスギ花粉症については、考え方はまるっきり逆に切り替えて理解しないと、ワケが分からなくなる。そういうお話を、三好先生から教えて頂きました。
 むしろ現代では、人体の防御能力。それを免疫機構と称するんですけれど。
 食生活の改善に伴って、体内の免疫機構は十分以上に働くようになっている。
Dr.:  「風立ちぬ」の、動物性蛋白質が極端に不足していた時代と、スギ花粉症が国民病となった1979年の、人間の体格の変動がすべてを物語っています。
An.:  先生、手元にそのデータがありますが、堀辰男の活躍した時代の1940年代。18歳男子の平均身長は163センチで、女子のそれは153センチです。
Dr.:  それじゃ、スギ花粉症全盛期のそれは?
An.:  1980年代の、18歳男子の平均身長は170センチで、女子のそれは158センチです。センセ、男子は40年間に7センチ、女子は5センチも背が高くなっていますよ!
Dr.:  身長もひとつの目安ですが、体重も人体の栄養環境と無縁ではありません。
An.:  センセ・センセ!  一時期この日本でも、「肥満児」という言葉が、話題になりましたよねぇ。
Dr.:  たった今、fmいずみのスタジオにはその統計調査結果を、持ってきてはいないんですけれども・・・・・・・。
An.:  「風立ちぬ」では、肥満児の話題が見当らなかったことは確かなような(笑)。
Dr.:  江澤さん。人体の免疫機構の強さは、身長や体重に関連していると考えてよさそうですね。
 これはやはり、食生活の変化したためと、江澤さんはお考えでしょうか?
An.:  堀辰男の時代の日本の食生活について、私はよく知らないんですけれども。
 でも、「風立ちぬ」には、ビーフステーキを食べるシーンは出て来なかったような、そんな気分です(笑)。
Dr.:  それに対して、スギ花粉症華やかなりし現代の18歳の男子・女子は、動物性蛋白質の多く入った食事、具体的にはカレー・ハンバーグなどには馴染みが深いはずです。
An.:  江澤でさえ、お肉のない青春なんて、考えられませんでした(笑)。
Dr.:  江澤さん。今ではヤングの街にはお馴染みの「マクドナルド」。
 江澤さんは、もちろんご存じですよね?
An.:  三好先生。お昼の時間帯を挟んだこの収録に、そういう話題は残酷ですよ(笑)。
Dr.:  日本で初めてマクドナルドのお店ができたのは、いつ・どこで、だったでしょうか?
An.:  江澤は、こういう話題には詳しいんです(笑)。
 1971年7月20日、日本の繁華街の中心地の1つ、銀座4丁目の三越の1階に、突如出現したんです。
 それまで銀座はおしゃれの街で、歩きながら食べ物をほおばる。ましてやコーラを片手に、ですからね。
 そんなお行儀の悪い人たちを、見かけることはなかったんですけれども。
 なにしろ、銀座の流行は瞬時にして日本全国を駆け巡る、そういう時代でしたから。
 あっという間に、日本人すべてが「マックにコーラ」に染まってしまったんです。
Dr.:  ケンタッキー・フライドチキンも、同じ頃日本で発売されましたから・・・・・・。
An.:  商店街のあちこちで、真っ白な出で立ちのカーネル・サンダース人形にお目にかかるようになって(笑)。
Dr.:  日本でも、動物性蛋白質や動物性脂肪が日常的な食生活に、ごく普通に添えられるようになります。
An.:  そういう原因があって、日本人の免疫機構を充実してきたんですねぇ(笑)。
Dr.:  他方、日本人の生活環境は清潔になる一方です。
 日本という国全体が、一斉に都会化していったのはいつ頃だったか、江澤さんは想像がつきますか?
 例えば東京で高速道路が建設され、東海道新幹線が東京・大阪を結び、高層建築が町中にあふれるようになった時代。
 その時期に、上水道・下水道が完備し、人体への感染源となる要因が激減した時代なんです。
An.:  江澤は生れ付き清潔な人生を歩んできたような・・・・・・そんな気がするんですけど。ってことは、先生のお話の時代のその後になって、江澤はこの世に生を受けているんですね!
Dr.:  2020年の東京オリンピックが、もはや目の前ですけれど。実は私が触れた大変化の季節は、1964年の東京オリンピックのことでした。
 私はオリンピックの開会式に合わせて、急いで発注したカラーテレビで、その模様を見た覚えがあります。色の微調整がうまくいかず、日本選手団の真っ赤なブレザーが微妙な色に見えたことを、思い出します。
 仙台市からは、私の所属する「仙台少年少女合唱隊」の指揮者だった、福井文彦先生の作曲した「東京オリンピックの歌」が実行委員会に採用され、徹底的に練習させられました。
An.:  先生、それはどんな歌?
Dr.:  ♪〜この日のためにみがいた技と、この日のためにきたえた体。聖歌のもとに、悔いなく集う、われら若人、若人われら。感激の頬紅に今集う、東京オリンピック、オリンピック歌え~♪
An.:  へぇ~。江澤は初めて聞きました。
 そういう時代があったんですねぇ(笑)!
Dr.:  江澤さん。私は歴史上の人物ですか?
An.:  (笑)先生なら、歴史に残りますよ、絶対(笑)!?
Dr.:  と言うわけで、話は次回に続きます。
Dr.An.:  本日は、ありがとうございました。
この日のために この日のために