3443通信 オンライン  
みみ、はな、のどに関する病名、症状などの用語集

バルト三国ツアースナップ集6 ~杉原千畝を巡る旅~ 三好 彰

今回でバルト三国ツアーの記事は最終回を迎えます。半年間を通じてお読み頂きまして誠にありがとうございます。

●8月19日(金)

○タリン → ヘルシンキ

 いよいよ本ツアーの目的地であったバルト三国を離れ、一路フィンランド湾を渡ってフィンランドの首都ヘルシンキへと向かいます。

○フィンランド

 北欧に位置するフィンランドは、東にロシア、西にスウェーデン、北にノルウェーと国境を接しています(図1)。
 国のいたるところに氷河で削られてできた湖が点在し、風光明媚な景観がそこかしこで臨めます。
 そんな自然豊かな国ですが、国の重要産業はハイテク産業を基幹としており、携帯電話のNOKIAやパソコンの基本ソフトであるLinuxを開発した企業があります。
 国の人口は約500万人と日本の福岡県とほぼ同じ位の人口です。
 日本で有名なフィンランドに関する物と言えば、フィンランドの作家トーベ・ヤンソンの「ムーミン」です。
 あの愛らしい姿のムーミンは、北欧の民間伝承に登場する妖精の一種であるトロールと言われています。
 トロールと言えば、同じく欧州イギリスの作家J・R・R・トールキンの「指輪物語」にも登場します。この物語のトロールは体格が非常に大きく可愛げの欠片もない風貌をしているため、主に敵役として認識される事が多い妖精です。
 ムーミンの日本語訳は、第二次世界大戦中に在フィンランド公使館武官として赴任していた小野寺信の妻・百合子氏が手掛けて日本中に広まりました。
 小野寺夫妻は、このレポートでご紹介してきた外交官・杉原千畝と同様に、情勢荒れ狂う欧州においてソ連の情報収集を行い、ソ連の対日参戦などの極めて貴重な情報を日本に送り続けた人物です。

(図1) (図1)

○サンタクロースの国?

 毎年12月になると、町中が赤や緑の煌びやかなネオンに包まれ、そこかしこのお店からはジングル・ベルの曲が聞こえてきます。
 特にこの時期の子どもたちは、良い子にしているとサンタクロースからプレゼントが貰えると胸をときめかせ、その姿を一目見ようと夜遅くまで寝ずの番をする……そう、クリスマスの事です。
 現在、サンタクロースに関する逸話や施設は世界中にありますが、フィンランドにもサンタクロース村というアミューズメントパークがあります。

○サンタクロースの起源

 今でこそ「うちがサンタの国だ! 」と声を挙げる国や町が多くありますが、その起源とされる人物は寒い北の国ではなく、今から1700年程前のトルコの首都イスタンブールから南へ600㎞。地中海に面したパタラ(旧名)という町で生まれた1人の男の子でした。
 名前はニコラス。
 のちに、その誠実な人柄と貧しい人たちに対する献身的な奉仕の噂が広がり、若くしてミラの町の司教に任じられました。
 そして数々の奇跡を起こしたニコラスの話はローマ帝国中に広まり、危機の際はニコラスへの祈りを捧げたそうです。
 ニコラスの死後、生前の信仰心や思いやり、彼の起こした奇跡についての話が広まり、いつしか人々は彼のことを聖ニコラスと呼ぶようになりました。
 聖ニコラスが、貧しい人に金貨や贈り物を置いていくという逸話から、彼が亡くなった12月6日を聖ニコラスの日として祭るようになりました。
 聖ニコラスは欧州各地で名前を変えて語り継がれました。イギリス、フランス、イタリアでは「ファザー・クリスマス」、オランダでは「シンタクラース」、ドイツでは「クリストキント」として広まります。
 それが大西洋を渡ってアメリカへ移住した人たちへと繋がり、1822年、ニューヨーク在住の大学教授クレメント・クラーク・ムーアが、アメリカ史上でもっとも有名な聖ニコラスの目撃談を詩にして発表しました。
 その詩のタイトルである「聖ニコラスの訪問」が、時を経て「クリスマスのまえのよる」などと変化していき、12月24日(ギリシャ正教における最も重要な祈りである聖体礼儀の前日)にサンタクロースがやってくるというイメージが定着しました。

○首都ヘルシンキ

 晴天に恵まれたツアー最終日。穏やかな海面が広がるフィンランド湾を、多くの乗客を乗せたフェリーがゆっくりと進んでいきます(図2)。
 ヘルシンキの港には、バルト海クルーズに使う大型客船も停泊していました。
 さて、フィンランドの首都であるヘルシンキは人口60万人、首都圏を含めた人口は、国全体の約4分の1にあたる140万人が生活しています。
 地球上の100万人以上が住む町としては最北の町だそうで、フィンランド国内でも大きな都市は南部に集中しているようです。
 日本では数えるほどしかない路面電車も、この国では地下鉄以上に使われている重要な交通機関です。
 その導入の歴史は早く、1900年頃に馬車鉄道から電車へと移行されたそうです。
 現在も走っている電車の中で一番古い車両は、NrI型と呼ばれる1973年製造の車両です(図3)。その光景は異国の情景ながら、どこか懐かしさを覚えてしまいます。
 午後に日本へ帰国するフライトに搭乗する関係上、ヘルシンキ観光は簡便になってしまいました。

(図2) (図2)

(図3) (図3)

○生神女就寝大聖堂(図4)

 ヘルシンキ市内にあるウスペンスキー大聖堂は、国教であるフィンランド正教の施設です。
 フィンランド湾を就航するフェリーの発着場のあるカタヤノッカ半島の丘に建っています。周囲が白を基調とした建物が多い中、その赤レンガ様式の重厚さが目を引きます。
 特徴は、聖堂内の壁一面に飾られたイコノスタシス(聖障・図5)です。これは聖人や聖書のできごとを描いた絵画“イコン”で覆われた壁のことです。

○ヘルシンキ大聖堂(図6)

 ヘルシンキのほぼ中央に位置するヘルシンキ大聖堂は、1917年のフィンランド独立以前は前述のニコラスを祀った聖ニコラス教会と呼ばれていました。
 正面の大きな階段では、地元の人や観光客の憩いの場所として、多くの人たちで賑わっています。
 現在の聖堂外観の補修工事が行われている様で、建物左側面には工事用の足場が組まれており、内部の見学は出来ない状態でした。

○サンタエピソード

 最後に、サンタの国フィンランドならではの小話を一つご紹介します。
 私が日本にいる家族へのお土産を買うため、街で買い物をした時のお話です。
 良い物を見つけた私は、店員に商品を渡しました。その時、私は心づけも含めて10ユーロ多く支払いました。
 すると店のお婆さんは「Why do you pay always 10 more Euros?(どうしていつも10ユーロ多く支払うんだい? )」と聞くのです。
 私は家内と娘のために、このお店で2回買い物をしたのでした。
 そこで私は「Becouse my another name is“Saint Nicholas”(私の別名は“サンタクロース”って言うのさ)」と答えました(笑)。

○まとめ

 今回のバルト三国ツアーは、バルト三国を取り巻く情勢への興味とふとしたきっかけから始まった旅でした。
 そして、その翌月に実施した中国アレルギー調査旅行で訪れた内モンゴル自治区も、杉原千畝という一つのキーワードによって繋がる事実が書籍を読み進める事で確認できました。
 真実とは、本人の意図しないタイミングで解明される事が往々にしてあるのだと、今回の旅で改めて実感する事ができました。
 かつての日本が、西洋列強との生存競争に死力を尽くしてもがいていた時代、杉原千畝を始めとした影の主役たちの知られざる活動について、近年その実態が少しずつ周知されるようになってきました。
 今回、本誌の別記事である中国アレルギー調査レポでご紹介した白石仁章氏の「諜報の天才 杉原千畝」には、次のような記載が。
 曰く、諜報員とは決して娯楽映画のように派手なアクションを行う人達を指すのではなく、その人間性をもって様々な人たちとの関係性を作り、そこから得られる情報を基に未来を予測する人たちである、と紹介されています。
 某有名映画のような、その力をもって都合の良い未来へと誘導する事は「謀略」と呼ばれるのだそうです。
 そして、その諜報能力の高さから対ソ連の情報収集の要となった杉原千畝は、自身のキャリアに傷がつく可能性があるにも関わらず、人道的見地と将来的なユダヤ人の日本に対する影響力を見据えて、2000枚を越すビザをユダヤ人難民に対して発行しました。
 残念なことに、戦後に杉原はその能力を活かす場から志半ばに退いていきます。
 歴史にifはありませんが、もし杉原らの得た情報が有効に活用されていたとしたら、今日とはまた違う日本になっていたのかも知れません。
 しかし、歴史は繰り返すという言葉もあるように、私たちは先人の残してくれた教訓を正しく理解し、それを応用して未来へと繋げていかなければならないのです。
 一度無くした物は簡単には治らず、手に入らず、復元することが困難になります。
 今までとは異なる動きを見せ始めた国際情勢は、日本にどのように影響を及ぼし、日本の決断が世界にどのような影響を及ぼし得るのか。
 真剣に考えなければならないのだと思います。

おわり