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みみ、はな、のどに関する病名、症状などの用語集

2016年 白老健診旅レポ② 医事課 伊藤 紅美

はじめに

ピリカメノコ ピリカメノコ

 前号に引き続き、白老健診の旅レポートをご紹介します。

仙台藩白老元陣屋資料館

 滞在2日目の健診終了後、白老ポロトコタン(アイヌ民族博物館)に続き、仙台藩白老元陣屋を案内して頂きました(図1)。

 道内最大の元陣屋跡は、国指定の史跡公園として一般開放されていて、先人の業績を伝えています。元陣屋の「元」は「本」の意味で「元陣屋」は「本陣」ということです。
江戸時代……当時の北海道は蝦夷地と呼ばれていました。

 1856年、ロシア勢力の南下に備えるよう幕府は蝦夷地に近い東北7藩に分割警備を命じました。一番大きな仙台藩は蝦夷の南約3分の1を守備範囲として定められました(図2)。

 その拠点として築いたのがこの白老陣屋です。自然の地の利を生かし、両脇を川で挟み、丘陵を背にして塀と土塁を円形に囲み、二重の堀を備えています(図3)。幕府の命では元陣屋を苫小牧に指定されましたが、この自然の地の利を生かせることに加え、函館に近く行き来や情報交換の利便を考慮して、白老に元陣屋を構えることになったそうです。

(図1)陣屋跡の記念碑 (図1)陣屋跡の記念碑

(図2)北海道の3分の1を占める守備範囲 (図2)北海道の3分の1を占める守備範囲

(図3)陣屋の全景模型 (図3)陣屋の全景模型

 この実地調査に派遣されたのが仙台藩士・三好監物で、院長の5代前のご先祖様です(図4)。仙台藩からは約120名がこの陣屋に駐在していたそうで、今で言えば出張……。いや単身赴任といったところでしょうか。北海道の厳しい寒さに耐えきれず、命を落とす方もいたそうです。

 飛行機や新幹線がないこの時代に2ヶ月かけて歩いて行き来をしていたことも想像を絶するものだと思います。

 仙台藩士たちは白老にいたアイヌの人たちとも交流があったようで、共存を目指して対等な交流を行っていたとされているのだそうです。アイヌの方々と共存を目指そうとしない藩もあったようで、そのことからも仙台人の優しさを知ることができます。近くに仙台から移した塩釜神社(図5)・愛宕神社があることからも仙台を思う先人の気持ちを感じることが出来ました。

 資料館に入るとまず目に飛び込んでくるのが伊達の兜(図6)。当時の生活が垣間見えるような展示や、当時の絵図面、古文書、武具などの歴史的資料が多数展示されているほか、VTR資料もあり、分かりやすく勉強させて頂きました。

(図4)院長の5代前のご先祖・三好 監物 (図4)院長の5代前のご先祖・三好 監物

(図5)塩釜神社跡 (図5)塩釜神社跡

(図6)館内入ってすぐに鎮座する鎧 (図6)館内入ってすぐに鎮座する鎧

 資料館を出て少し歩くと、約160年歴史を見守ってきた赤松の老木があります(図7)。資料館で歴史を学んだ後に見るこの木はとても感慨深いものがあります。

 今では土塁と堀が残されているのみで、本陣などの建物はありません。残されている資料では明確な再現が難しいのと、再現性が高くないと資金や援助を得るのが難しいのが現状だそうです。

 現在、きれいに整備されて自然豊かな緑の中にわずかな基礎が残されているのみですが、ここで大変な時代を過ごした先人に思いを馳せるのもとても良い機会になると思いました(図8)。

 この歴史的背景から現在、白老町と仙台市は歴史的姉妹都市となっており、白老小学校と片平町小学校は姉妹校となり交流があります。

 この毎年の白老学校健診も歴史的関係がご縁となり、耳鼻科医のいない白老へ院長が健診をするようになってから約30年になります。

 今回同行させて頂く事ができ、白老と仙台をより身近に感じることができました。白老町の子供たちは明るくて、どの学校の生徒さんもきちんと丁寧な挨拶をしてくれて感動しましたし、パワーをもらいました。このような機会をいただき、院長はじめ、澄川先生、白老町の方々に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。

(図7)歴史を見続けた赤松 (図7)歴史を見続けた赤松

(図8)今や緑の生い茂る陣屋跡 (図8)今や緑の生い茂る陣屋跡