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復興特集 被災地住民がイスラエル大使館を表敬訪問

 2016年5月15日(日)から16日(月)にかけて、宮城県亘理町などの住民約50名が、イスラエルによる東日本大震災への復興支援の御礼として、駐日イスラエル大使館を表敬訪問しました。
 当院では、今回の企画者であるイスラエル親善大使で音楽家のセリア・ダンケルマン(NPO法人 セリアの会 代表)様の活動を応援しております。

復興支援のきっかけ

 2011年3月11日(金)に発生した東日本大震災の4日後、当時の駐日イスラエル大使だったエリ・コーヘン氏の要請により、セリア様を初めとする高速イスラエル救助捜索チームが、被災地である千葉県、福島県、宮城県を訪問してコーディネーターとして活動されました。
 震災の初期対応が終わると、セリア様はイスラエルの国際人道援助フォーラム・イスラエイド(IsraAID)のスタッフと共に、被災地住民の心のケアを中心とした活動にシフト。この5年間、宮城県各地の仮設住宅や保育所、教育機関などで音楽・絵画・スポーツを通じて住民同士のコミュニティ作りを実施してきました。

歓迎レセプション

大使館への訪問を控えた前日、日本橋にある居酒屋「たいこ茶屋」は熱気に包まれていました(図1~3)。

(図1)前日のたいこ茶屋 (図1)前日のたいこ茶屋

(図2)まぐろと嵯峨さん (図2)まぐろと嵯峨さん

(図3)まぐろを待つ参加者 (図3)まぐろを待つ参加者

 店主の嵯峨様は、地元ではとても有名な「ガッツおじさん」として知られています。毎朝駅頭に立って道行く人たちと拳をコツンと突き合わせてガッツをお裾分けしており、その様子はテレビでも放映されていました。
 嵯峨様は、復興支援の一環として築地の黒マグロを1本丸ごと購入して被災地に運び、その場でさばいて住民に無料提供する活動を続けられています。
 その購入資金は、お店で毎日行っている黒マグロの解体ショーにて、各部位をお客さんが競り落とす形で確保しておられます。
 宮城からのツアー参加者約50名と、お店の常連客を併せて100名近くの人が、テーブルに並ぶ新鮮な魚介類に舌鼓を打ちます。
 その店内に、音楽家でもあるセリア様の弾くエレクトーンの、魅惑的な音色が響きます(図4~6)。

(図4)セリア・ダンケルマンさん (図4)セリア・ダンケルマンさん

(図5)セリアさんの友人の舞さん (図5)セリアさんの友人の舞さん

(図6)嵯峨さんの娘さん(長女) (図6)嵯峨さんの娘さん(長女)

イスラエル大使館を訪問

 翌日、うす曇りの東京はやや涼しく、外を出歩くにはちょうど良い気候となりました。
 イスラエル大使館は東京都千代田区にあります。ちょうど皇居の真西にあり、最寄り駅は東京メトロ有楽町線の麴町駅です。
 大使館に入るには、本来は館員でさえチェックに時間が掛かるそうです。さらに民間人は、携帯電話やカメラ等を入口で預けなければなりません。

 しかし、今回セリア様のご尽力により訪問者50名近い人たちは、ごく簡単なチェックだけで入場する事ができました。
 私は3443通信の取材という名目でカメラ等の持ち込みも特別に許可を頂きました。
 大使館の敷地内は日本にあって日本ではない場所、いわゆる治外法権が保障されているので外国にいるのと同じ意味を持ちます。特にこの時期は、伊勢志摩サミットを目前に控えていたので、テロ等に対する警戒が非常に厳しくなっていました。
 私たちは大使館内のホールにて、イリット・サヴィオン=ヴァイダーゴルン公使とヨナタン・レベル広報官と面談し、イスラエルという国の説明を受けました(図7)。

(図7)公使におみやげを手渡す青柳(イスラエル大使館HPより) (図7)公使におみやげを手渡す青柳(イスラエル大使館HPより)

イスラエルの地理

(図8)イスラエルはどこに? (図8)イスラエルはどこに?

今年で建国68周年を迎えるイスラエルは、アラビア半島の西端にあり、地中海と紅海に面しています(図8)。
面積は日本の四国と同じくらいで、夏はとても暑く、冬でもある程度は暖かいそうです。
北にレバノンとシリア、東にヨルダン、南にエジプトと国境を接しており、国土のおよそ半分が半乾燥地帯です。しかし森林の広がる高原地帯や、肥沃な緑の谷、亜熱帯に属するヨルダン渓谷、山岳地帯と砂漠など、あらゆる気象条件がそろった土地でもあります。

気 候

国土の60%が砂漠という事もあり全体的に降水量は少なく、毎年11月から4月にかけての雨季に、北部で年間50~70㎝、南部では2.5㎝ほどの降水量しかありません。
その為、この土地では昔から生活用水の確保が最重要とされ、古代ローマ時代(紀元前312年~3世紀頃)に建設された水道橋が残されています(図9)。  現在は、世界屈指の浄水技術を開発した事により、海水をろ過して水を生産。海外へ輸出を行えるまでになりました。

(図9)カイザリアの導水橋 (図9)カイザリアの導水橋

人 口

人口は約841万人(国内)で、実は国外に住むイスラエル人の方が多いそうです。居住する民族の75%はユダヤ人で、それ以外にもアラブ系等(25%)の人たちも住んでいます。  総人口の約10分の1にあたる79万人が、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などの多くの宗教の聖地であるエルサレムに住んでいます。

言 語

公用語は主にヘブライ語とアラビア語が使われており、観光客向けに標識などは英語も掲示されています。

観光名所

イスラエルの土地には、紀元前から様々な民族が居住していました。その長い歴史を裏付けるように、この地には数多くの遺構が残されています。  
その中でも、イスラエル第1の都市であるエルサレムには、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の宗教的な聖地とされる場所が集中しており、約220もの歴史的建造物が世界遺産に登録されています。
例えばエルサレム旧市街にある「嘆きの壁」は、ローマ軍に破壊されたユダヤ教の神殿の壁で、信者はここでお祈りを捧げています(図10)。
イエス・キリストが磔にされた「ゴルゴダの丘」とされる丘には、キリスト教の聖墳墓教会(図11)が建てられています。  また、市街を見下ろすオリーブ山からひときわ目立つドーム状の建物は、イスラム教の預言者ムハンマドが昇天した「岩のドーム」です(図12)。

(図10)嘆きの壁 (図10)嘆きの壁

(図11)聖墳墓教会 (図11)聖墳墓教会

(図12)岩のドーム (図12)岩のドーム

イスラエルの興りとユダヤ民族

イスラエルという国が出来上がるまでには、ユダヤ民族の長きに渡る旅の歴史がありました。
紀元前1700年頃、アブラハムという人物がユダヤ民族の始まりだと言われています(キリスト教、イスラム教の父祖とも言われています)。
アブラハムの一族はカナンの地、現在のパレスチナ地方に住んでいましたが、飢饉の影響でアブラハムの孫ヤコブは、一族と共にエジプトへと渡ります。
紀元前1280年頃、モーセがユダヤ民族を率いて紅海を渡り、元々の居住地であるカナンに戻ります。
そして紀元前1020年、初代サウル王が即位しイスラエル王国が誕生します。そして2代目ダビデ、3代目ソロモンと代が変わりイスラエル王国は黄金時代を迎えます。  
しかし、ソロモン王が崩御すると、その繁栄に翳りが見え始めました。王国は南北に分かたれ(イスラエルとユダ)、お互いの覇権を争って弱体化していき、両国はそれぞれアッシリアとバビロニアに滅ぼされてしまいました。  
その後、この地はペルシア帝国、アレキサンダー大王、ローマ帝国と支配者が変わり、西暦1789年に起きたフランス革命でユダヤ人が市民権を獲得する時代まで、苦渋の時代を過ごしました。

主権回復への道

1917年、当時イギリスの外務大臣バルフォア卿によるバルフォア宣言によって、パレスチナ地方にユダヤ民族のナショナル・ホームを実現すると言う発表がなされました。  そして、第2次世界大戦の終結から3年後の1948年、国連主導の下でイスラエル建国が宣言されました。  ユダヤ民族の国家が故郷である土地に再建されるまで、約2000年の時が掛かりました。 日本とイスラエルの関係  1952年、日本とイスラエルは国交を結びました。戦後の日本にとって、中東では初めての国交を樹立した国がイスラエルだったのです。  しかし、それ以前にも日本とユダヤ民族との縁は、遠くヨーロッパの舞台にありました。

日本のシンドラー

その人は、ヒトラー率いるドイツが、ソ連と不可侵条約を結んだ直後の1939年に東欧のリトアニアの日本総領事館に赴任しました。名前は杉原千畝。1900年1月1日に岐阜県八百津町で生まれた杉原は、19歳の時に満州(現在の中国東北地方)ハルビンに留学。後に満州国外交部の特派員として、ソ連から満州鉄道の譲渡交渉でその能力をいかんなく発揮。その手腕から、ソ連は杉原を「ペルソナ・ノン・グラータ(好ましからざる人物)」と見なし、ソ連への入国を拒否しました。
 その後、東欧のリトアニアに赴任した杉原は、ヒトラー率いるナチス・ドイツのポーランド侵攻を目の当たりにします。
 当時のポーランドはヨーロッパ最大のユダヤ人居住国でした。ナチス・ドイツの迫害から逃れる為、同国内のユダヤ人は国境を接するリトアニアへと避難しました。

日本経由を許可する通過ビザ

1940年6月、ソ連がリトアニアに進駐すると、領事館には日本経由で他国へと避難するのに必要なビザ(訪問国への入国許可省)を求める難民が押し寄せて来ました。
 ドイツ同様にユダヤ人に対して圧力の強いソ連がリトアニアを占領すれば、避難してきたユダヤ人難民の逃げ場が無くなります。
 危機感を覚えた杉原は、日本外務省の意向とは別に、独断でユダヤ人難民に対してビザを発給しました。
 その数は約2200枚。1家族に1枚必要であった事から、杉原の発行した「命のビザ」によって救われた人は、およそ6000人にのぼりました。  近年、その名が広く知れ渡るようになり、2015年には俳優・唐沢寿明を主演とする映画「杉原千畝」が幕を切りました。撮影の殆どをポーランドで行った本作は、その圧倒的な映像のリアリティと迫力で、観る人はその時代に引き込まれるような感覚になります。

更に深まる両国の関係

このように歴史的な縁に加えて、近年ではビジネス面での繋がりも更に強くなってきました。イスラエルの主要産業は、先に述べた水のろ過技術による灌漑農業技術や、製薬産業、サイバー技術の開発などに重きを置いています。
 しかし、その性質は従来の他企業と開発競争を行うような物ではなく、すでに完成された製品に対して、問題点を見つけ出してより良いソリューションを提供するのを主眼としています。その為、余計な摩擦を生むことなく良好な関係を維持しているのが特徴との事です。
 イスラエルという国名を知ってはいるけれど……。詳しくはよく知らないという方は決して少なくないと思います。
 本誌では、セリア様をはじめとして多くの方々の協力を頂きながら、より広く多くの情報を提供して参ります。
 最後に、イスラエル大使館訪問にあたりご尽力と情報提供を頂きました皆様、貴重な機会を与えて頂いた院長に深く感謝申し上げます。