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みみ、はな、のどに関する病名、症状などの用語集

2014年総火演レポ~富士山が見守る大演習~秘書課 高橋綾

 2007年に参加したチベット調査から数えて、かれこれ7回目となる中国の旅。今回は中国の東北地方で、かつて満州と呼ばれた地域を訪れました。


満州の歴史

(図1)満州族のガイドさん (図1)満州族のガイドさん (図2)満州国皇帝時代の溥儀 (図2)満州国皇帝時代の溥儀

  満州とは、元々満州語の民族名であるManjuに漢字をあてた言葉と言われています。そして、その地域に住んでいたのが満州族(旧・女真族)です(図1)。

 満州族は、1636年に現在の東北部から中国・モンゴルを含んだ広大な範囲を治めた、中国最後の王朝「清」を建国しました。皇帝は、映画『ラスト・エンペラー』でも有名な愛新覚羅溥儀で、後の満州国皇帝でもあります(図2)。

 この地域がなぜ、様々な国の動乱に巻き込まれてしまったのか。そこには3つの国による覇権争いが関係してきます。

●眠れる獅子の国・清

 1つ目は、アジアの眠れる獅子と評された大国・清です。先ほども述べたように、清の母体は満州が発祥です。首都も現在の瀋陽(後に北京)に置かれていましたので、東北部は清の中心的な地域でした。

●欧州最大の陸軍をもつ北方の超大国ロシア

 2つ目は、北の超大国ロシア帝国です。この国には長年抱き続けた悲願がありました。それは年間を通して凍らない不凍港の獲得です。
 ロシアの海は、北極海やバレンツ海・オホーツク海など、冬になると氷が張って船の運航が出来なくなる海が多く、南の土地に比べて海の交通が非常に不便でした。
過去数百年に渡り、南に領土を拡張する南下政策を掲げて、ヨーロッパ・中東・アジアの各地域で衝突が起こりました。特に、太平への足がかりとなる朝鮮半島は、是が非でも獲得したい地域でした。

●近代化著しい東洋の小国・日本

 3つ目が、極東の小国・日本です。
 日本は、欧州列強からの圧力が高まり200年続いた鎖国体制が崩壊します。当時の欧州列強は清を含むアジア諸国を競うように植民地していき、その権益を欲しいままにしていました。日本も早急に近代化を行なわなければ、遠からず植民地化される恐怖に慄いていました。

●ロシアの南下政策に振り回される国々

(図3)日露戦争で活躍した戦艦三笠 (図3)日露戦争で活躍した戦艦三笠

 そんな時期、ロシアが清との間に不平等条約である北京条約を締結。日本海に面した沿海州を獲得し、その港町に「東方を支配せよ」という意味を持つ都市ウラジオストックを建設しました。いよいよ強大なロシアが日本に迫ってきます。

 日本は、朝鮮半島をロシアに対する防波堤とするべく、日清戦争(1894年)と日露戦争(1904年)の2つの戦争を通じ、朝鮮半島の権益獲得を目指して戦いました(図3)。

 日清戦争で予想外の大勝を収めた日本は、遼東半島を含む朝鮮半島の権益を確保します。
 しかし、これに激しく反応したのは、清の衰退に合わせて領土分割を狙っていたロシアを含む欧州列強でした。ロシア、フランス、ドイツの三国干渉(1895年)により圧力を受けた日本は、清に遼東半島を返還します。
 その勢いに乗じたロシアは、遼東半島の南端にある天然の良港・旅順を清から租借地として獲得。難攻不落の要塞港を築いていきます。
 清への影響力を強めるロシアに対して、同じく権益獲得を目論んでいたイギリスは、日英同盟を結んでこれに対抗します。
 これを好機と見た日本は、日露戦争でロシアとの直接対決に臨み、陸上・海戦で奇跡的な勝利を収めます。

 ロシアは、洋上戦力の回復不可能なダメージと、労働者階級による革命運動への対応。それに対して日本は、国力をこの戦争に注ぎ込んだ事による経済の疲弊が深刻化。
 両国ともにこれ以上の戦争継続は難しく、アメリカを仲介として1905年にポーツマス条約を結び、停戦しました。
 この2つの戦争により日本は、朝鮮半島と満州における権益を獲得し、大陸への影響力を増していきます。
 しかし、1945年の大東亜戦争の終末期、日ソ中立条約を突如破棄したソビエト(ロシアの後継国)の参戦により、満州をはじめ北方領土や千島列島が占拠されました。満州は後に中華民国に返還され、現在は中華人民共和国の東北地方にあたります。
 このように、満州という地域は大国による領土拡張の中心的な位置を占め、その重要性は日本の近代史において外すことの出来ない要素であったと言えます。
 さて、そんな歴史的にホットな土地へと足を踏み入れて行きます。

9月12日(金)~新潟からハルビンへ~

(図4)広大な畑(図4)広大な畑

2 さて、ハルビンへは新潟空港からの直行便を利用します。前日の内に新潟入りしていた私たちは、調査旅行に参加される稲福繁先生(愛知淑徳大学)、稲川俊太郎先生・清水崇博先生(愛知医科大学)、中村雅美さま(医学ジャーナリスト協会)と空港で合流。中国南方航空が運航するCZ616便で海を渡ります。
 窓から外は、地平線の彼方まで穀倉地帯が広がっています(図4)。ロシアとアムール川で接する黒龍江省は、大豆・小麦・トウモロコシ(飼料用)・ジャガイモなどを生産しています。特に高粱と呼ばれる紅いトウモロコシは、以前は食用として栽培されていましたが、現在は高粱酒と言われるアルコール度の高い蒸留酒の原料として多くが利用されています。
 また、お米の栽培も盛んで、特に黒龍江省産のコシヒカリは、中国で一番美味しいお米なのだそうです(ガイドさん談)。ちなみにお値段は日本の3分の1。主婦の味方です。

●異文化の坩堝ハルビン


(図5)ハルビン市街(図5)ハルビン市街

 黒龍江省の中心都市ハルビン(中国名・ハルピン)は、ロシア国境から400㎞ほど離れています。
 かつての帝政ロシアが、朝鮮半島の権益を獲得するのを目的として、満州の主要都市を繋いで横断するための東清鉄道を建設。その路線が集合するハルビンは、交通の要衝としてロシア人が大量に流入し、急激な経済発展が起こりました。
 その当時に建てられたロシア建築物が市内の随所に立ち並び、中国とは思えない一種独特な雰囲気を醸し出しています(図5)。

●夕日に焼ける松花江と旧ヤマトホテル

(図6)旧ヤマトホテル (図6)旧ヤマトホテル (図7)ホテル内観 (図7)ホテル内観

 午後に到着した一行は、一度ホテルへチェックイン。この日泊まるホテルは、かつて南満州鉄道㈱が経営したヤマトホテル(現・龍門大厦貴賓楼)です。この高級ホテルブランドは、満州鉄道沿いの主要都市であるハルビン・長春・瀋陽・大連などに建設され、当時から政府の主要人物が泊まる招待所として利用されてきました。建物自体も当時の建築様式の面影をそのまま残し、歴史ドラマのワンシーンそのままの雰囲気が味わえる数少ない場所です(図6・7)。

 さて、司馬遼太郎の『坂の上の雲』の世界を味わった後は、市外北部を流れるアムール川最大の支流・松花江(別名スンガリー川)を見に行きました。
 この川は、吉林省と北朝鮮にまたいでそびえる長白山のカルデラ湖に源を発します。なだらかに下る高原地帯を北西に下り、白城市でほぼ直角に北東へと流れを変えます。そしてハルビン市街区のすぐ北側を流れていき、アムール川へと注がれます。
 川辺には、全長1750mに渡って整備された川岸公園があり、多くの観光客が暮れゆく松花江の風景を眺めていました(図8)。

(図8)松花江に沈む夕日 (図8)松花江に沈む夕日 (図9)大きな貝を採っています (図9)大きな貝を採っています

 すると、川面に浮き沈みする人影が見えます。手に何かを持ち、商手一杯になると川岸に戻り、また川へと戻っていきます。よくよく見ると、30㎝はあろうかという大型の貝(種類はわからず)を採っていました。海パン1枚に体格の良い男たち。私たちは「海女おっさん」と呼んでいました(図9)。

●1億人のおばちゃん集団

(図10)背中に宣伝用の企業名が (図10)背中に宣伝用の企業名が

 陽もすっかり沈み、その場を後にする一行。すると、突如として赤いシャツを来た大勢のおばちゃんが公園内を行進してきました(図10)。
 隊列を整えると、大きな音楽を流しつつ一斉に踊り始めます。これは、最近の中国で社会現象となっている集団で、夜の繁華街に現れては踊りだすという不思議な集まりです。
 日本の新聞によると、この集団は全国に1億人おり、収入がある家庭の奥様方が健康作りや時間潰しをかねて集まっているのだそうです。
 こうして中国1日目の夜は過ぎていきました。


(図1)駒門駐屯地