3443通信 オンライン  
みみ、はな、のどに関する病名、症状などの用語集

fm いずみ ラジオ3443通信 英国紅茶の旅6

129話 英国の料理は温かい? 冷たい?

fmいずみ ラジオ3443通信 外輸船でフィヨルドの氷を運搬
An.:
三好先生、前回は先生が英国へお嫁に行った娘さんを訪ねて、英国へ行かれたお話でした。
 おみやげの紅茶も味わいながら、英国の朝食の豊かな味わいの話題で、とっても盛り上がりました。
 英国の朝食が豪華なのは、産業革命以後の工場労働に携わる庶民には、当然ながら1日中厳しいお仕事が待っているせい、だったんですねぇ。
Dr.:
産業革命以前の英国では、食事は1日2食の習慣だったんですけど、18世紀の末には1日3食の生活が定着しました。
 日本ではディナー、つまりもっとも重要な食事は夕食となるのが一般的ですけれども、19世紀始めの英国ではディナーは午後2時から3時頃でした。
An.:
英国の人たちは、それでお腹が空かないんでしょうか?
Dr.:
朝食と昼食との間には、いわゆる「お茶の時間」がありまして。そこでゆっくり、お茶菓子を楽しむものですから。
An.:
それで英国の人たちは、ヘーキなんですね! 納得です。
Dr.:
夕食の前にも英国では「お茶の時間」がありまして、ね。
An.:
やっぱり紅茶をたしなむんでしょうね。
Dr.:
そのために夕食の時間は、就寝直前の9時から10時くらいになってしまったんです。
An.:
それじゃあ消化に良くないんじゃないかって、江澤には心配です。
Dr.:
でもこの夕食は、サパーと呼ばれる軽食であって、それも「コールド・ディッシュ」と称する、軽くつまむ程度のそれでした。
An.:
そんな調子じゃ、栄養が足りないような気がして、江澤はますます心配です。
Dr.:
ですからディナーである昼食は、とても立派な献立だったんです。
An.:
まさかディナーは、冷たい料理じゃなかったんでしょうよね?
Dr.:
日本人には考えにくいことなんですけど。英語には「コールド・ディッシュ」とは逆に、「ホット・ディッシュ」という言葉が存在しまして。
An.:
温かい食事は、なにか特別なものだった。そんな風に聞こえる言葉ですね。
Dr.:
さすが、1を聞いて10を知る江澤さん。日本じゃ食事は温かいのが当然なんですけれど、厳しい住宅事情だった産業革命前後の庶民の家庭には、まともな台所がなかったんです。
An.:
それじゃ、食事を温めるのはけっこう困難でしたね。
Dr.:
だって江澤さん、料理を温めたり冷やしたりということも、産業革命とともにやっと英国人の常識になったので、その前は・・・・・・。
An.:
英国の一般家庭では、温かい料理は珍しかった(笑)!?
Dr.:
ついでに付け加えますと。日本人には考えにくいんですが、英国ではビールもあんまり冷えたそれは、見かけないんです。
An.:
先生、中国でも温いビールがご馳走でしたよね! 確か漢方の考え方では、冷たいものは体に良くないので、わざわざビールは温くして飲む。江澤は先生から、そう教えて頂きました(笑)。
Dr.:
もちろん、英国でも漢方医学が普及していますから、飲む人の健康を考えてビールを温くしている・・・・・・のではありません(笑)。
An.:
それじゃどうして、英国の人たちは冷たいビールを好まないんでしょうか?
Dr.:
料理を温めたり冷やしたりすることが、産業革命前後にはとっても大変なぜいたくだったんです。
An.:
庶民の家には、台所がなかったんですもの、ね。
Dr.:
料理を温めることでさえ、当時の英国では大変なことでしたが、もっと大事だったのが冷やすことです。
 江澤さん。江澤さんは、19世紀の英国に電気冷蔵庫が存在したと、思いますか?
An.:
先生、この日本でさえ電気冷蔵庫が普及したのは、1950年頃です。
Dr.:
さすがは江澤さん。当時の日本では、一般家庭の三種の神器と言いますと・・・・・・、何だったでしょうね。
An.:
ええっと確か。そうそう先生、思い出しました。
 クーラーとカラーテレビと自動車。これが三種の神器です(笑)!!
Dr.:
江澤さん。それは高度成長期つまり1980年頃の日本の、新・三種の神器ですよ(笑)。
 1950年の旧・三種の神器は、洗濯機・白黒テレビ・電気冷蔵庫です。
An.:
ええっ先生。それじゃ、それ以前の日本では食べ物を冷やすのは、いったいどうしたんでしょうか?
Dr.:
私の子どもの頃の冷蔵庫は、断熱式の大きなドア付きの重たい冷蔵庫がありまして。
 一番上の段には氷の固まりを置いて、その下の段に冷やすべき食物をしまってありました。
An.:
そう言えば、江澤もそれはマンガ「サザエさん」で見かけたことがあります。
Dr.:
私の記憶では、夏になると氷屋さんが各家庭にまで氷を売りに来ていまして。
 家庭では、それを毎回入れ替えて、冷蔵庫を使っていました。
An.:
三好先生、もしかすると当時の英国でも、似たような光景が見られた、とか。
Dr.:
1857年に、カルロ・ガレッティと言う人が、ノルウェイのフィヨルドから氷山を崩して、氷の固まりを採取しました。
An.:
ええっ、ホントですか?
Dr.:
それをロンドンに輸入したので、英国でも真夏に冷えたビールを飲むことができるようになったんです。
An.:
信じられません(笑)。
Dr.:
次回はそのお話です。お楽しみに!
#


#

前の話 次の話

130話 産業革命の象徴とナポレオン

An.:
三好先生。これまでの先生のお話では、昔の英国では温かいお食事はめったにお目にかかれなかった。それは産業革命前後の一般家庭では、そもそも台所がなかったせいだ。そう、伺いました。
 そしてそれにも増して、料理を冷たくすることはもっと難しいので、英国ではビールは真夏でも冷えていないことが多かった。そんな興味深い話題も聞かせて頂きました。
 当然ですけど電気冷蔵庫のなかった当時、ビールを冷やすなんてことは、物凄くぜいたくだったんですね。
Dr.:
前回江澤さんにお話ししましたが、そんな英国では氷を輸入していまして。
An.:
ノルウェイのフィヨルドから、なんと氷山を崩して氷を英国に運んだと、聞いた覚えがあります。
 でも先生、そんなお話、江澤にはとうてい信じられません(笑)。
Dr.:
江澤さん、英国の産業革命のシンボルは何でしょう?
An.:
三好先生から伺ったお話では、確か優秀な綿製品でした。だってそのために、あのナポレオンが英国を経済封鎖しようとして、失敗しています。
Dr.:
さすがは1を聞いて10を知る江澤さん。リスナーの皆さんのために、そのあたりを少し復習しておきましょう。
An.:
ラジオ3443通信のバック・ナンバーから、リスナーの皆さんには江澤と三好先生のお話の再現を、聞いて頂きましょう。
 先生、今一度、お話をどうぞ(笑)!
Dr.:
1804年にナポレオンは皇帝になったわけですが、陸路では全戦全勝だったナポレオンが唯一負けたのは、英国のネルソン提督率いる英国艦隊だけでした。とくに、1805年に英国本土との間で行なわれたトラファルガーの海戦は、ナポレオンの快進撃そのものに、決定的なダメージを与えました。
An.:
陸伝いにすべてヨーロッパを征服したナポレオンだって、7つの海を制覇しなきゃ、世界征服は難しいでしょうね。
Dr.:
英国に敗戦を喫したナポレオンは、英国に対する経済制裁を行なうことにしました。支配下に置いた国々に命じて、英国との貿易を禁止させます。1806年のことでした。
An.:
それは有効だったんでしょうか?
Dr.:
ところがこうした貿易面でも、実は当時の英国は他のヨーロッパの諸国の遥か上を、行っていたんです。
An.:
と、言いますと?
Dr.:
あの有名な産業革命が、1760年頃から英国では盛んになっていまして、ヨーロッパ諸国では入手できなかった優秀な綿製品が、生産されていました。その結果、経済制裁をした他のヨーロッパ諸国の方が、現実には困ってしまう事態が次々と明らかになったんです。
An.:
それじゃ、みんな困っちゃう。
Dr.:
ですから、まだナポレオンの影響の少なかったロシアなどは、ナポレオンに黙って英国と貿易を継続するんです。
An.:
ナポレオンは、怒ったのかしら?
Dr.:
制海権はともかく陸では無敵だったナポレオンですから、次はロシアに攻め入るわけです。1812年のことです。
An.:
でも、それはやり過ぎだった?
Dr.:
モスクワまでは無敵で、まっしぐらロシアに攻め込んだナポレオンですが、ロシア政府はナポレオンの進軍する全ての町並みを悉く焼き払ってナポレオンに対抗するんです。
An.:
それじゃ、ナポレオンも困っちゃう。
Dr.:
ロシア各地で消耗戦を強いられたナポレオンは、ロシアに冬の来るはるか以前に総崩れとなり、フランスに逃げ帰ります。
 ナポレオンがロシアに攻め込み、惨めに逃げ帰る有様を描いたのが、ピョートル・チャイコフスキーの「序曲1812年」で、この曲は聴いていて楽しいですよ。
An.:
そうでした、三好先生。そんなナポレオンにまつわる逸話が、英国の産業革命にはあったんですよね。
Dr.:
江澤さん、もう1つの産業革命の象徴は、いったい何でしょう?
 江澤さんの大好きな、トーマス・クックのタイムテーブルは、何の時刻表でしょうね?
An.:
先生、それは蒸気機関車です!
Dr.:
さすがは1を聞いて10を知る江澤さん。産業革命のもう1つの代表は、蒸気機関を動力としたスティーブンソンの蒸気機関車なんです。
 それでは江澤さん。船はどうなったでしょう。
An.:
やはり蒸気機関を使用した船が、その時代には出現するはずです。
Dr.:
以前にもお話ししましたが、トラファルガーの海戦は、風力に頼った帆船の軍艦による最後の戦いでした。
An.:
先生、産業革命後の海の戦いはコークスを燃料とした蒸気船の軍艦が、主力となるんでしたね。
Dr.:
アメリカのペリー率いる海軍が同時期、幕末の浦賀へ来航します。黒船と呼ばれたこの船は、「泰平の眠りを覚ます上喜撰(蒸気船)、たった4杯で夜も眠れず」との狂歌で有名ですが。この船は江澤さん・・・・・・。
An.:
そうか! 蒸気機関による動力を持った船だったんですね。
Dr.:
ただ、当時はまだスクリューが開発されていなかったものですから。外輪船と称して、船の両側に大きな水車が付いていて、それを回して前進するタイプの船でした。
An.:
風まかせのそれ以前の船を較べて、自分の力で進路を決定することができるんですからね。運搬能力は、ケタ違いに大きくなったんでしょうね。
Dr.:
で、このタイプの高速船が運航するようになって、フィヨルドの氷河を溶けないうちに英国まで、無事に運べるようになった。そんな経緯があります。
An.:
英国で冷たいビールを飲むことができたのは、なんと産業革命のせいだったんですね。
Dr.:
英国のお食事の話題は、続きます。次回をぜひ、お楽しみに(笑)!
#


#

前の話 次の話

ラジオ3443通信 読者の声

 前号でもお便り頂きました、元北海道新聞記者の伊藤直紀様より、ラジオ3443通信を読んでの感想のお葉書を頂きました。伊藤様、誠にありがとうございます。


#