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みみ、はな、のどに関する病名、症状などの用語集

 


 2011年10月19日(水)から21日(金)、北海道白老町の学校健診に同行させていただきました。

 北海道は個人的にも縁ある地で、実母が生まれ育った所です。

 白老表敬の話に戻ります。

 白老町は、北海道の南西部、胆振支庁管内のほぼ中央に位置し、南は太平洋 にのぞみ、西は登別市、北は千歳市と大滝村、東は別々川をはさんで苫小牧市 に隣接しております。町の面積は425・62平方キロメートル、その8割を森林が占める、緑豊かな自然と気候に恵まれた歴史のあるまちです(白老町公式ホームページからの引用)。

 児童・生徒数は、小学校6校と中学校3校で、397人。やはり、年々減少傾向だそうです。

 白老町と仙台市は、「歴史姉妹都市」を提携してから30年になります。それは、歴史的な深いゆかりに基づいて結ばれたものです。

白老町と三好家
 昔、北海道は蝦夷地と呼ばれており、155年ほど前の江戸時代の終わり頃、仙台藩が幕府に北方警備を命じられた際に警備の中心となる城(陣屋)を白老に建てたことが始まりです。

 幕府は、最初苫小牧に陣屋を立てるよう命じたそうですが、地盤が悪いほか海は荒く函館からも遠すぎるということで、地の利を生かした白老にと提案、許可を得て承認させたのが当クリニック院長の先祖である三好監物(みよしけんもつ)だったそうです。戊辰戦争勃発により仙台藩が撤退するまでの約12年間、慣れない北国の生活を仙台藩の武士たちは、先住民族のアイヌ人との共存に努力したそうです。愛宕神社や、塩釜神社のお宮を立て、国元の仙台を偲んでいたそうです。現在仙台藩の陣や跡地は国の史跡に指定され、白老町が大切に整備保存しております。この様な縁により、仙台藩白老陣屋の歴史に幕を閉じてから約130年後の1988年から毎年、三好院長は耳鼻科医のいない白老町で学校健診を行って来ました。今年で24回目になる健診は、毎年夏に行っていましたが、震災などの影響によりこの時期になってしまいました。


白老町とアイヌ民族

 アイヌ民族は、おおよそ17世紀から19世紀において東北地方北部から北海道(蝦夷ヶ島)、サハリン(樺太)、千島列島に及ぶ広い範囲にアイヌモシリ(人間の住む大地)として先住していました。これら居住域はもとより、さらに広い範囲においてアイヌ語由来の地名が分布しています。白老という地名も「シラウオイ(虻の多いところ)」からきているそうで、仙台藩が陣屋を築く以前からアイヌの大集落(アイヌコタン)があり、400人ほどのアイヌ人が住んでいたそうです。そして、現在もアイヌの血を引く人たちが多く住んでいるそうです。アイヌ民族が何時から存在し、どの様に生活してきたのか? これら疑問については、アイヌの歴史(概説)の年表で知ることができますが、残念なことにアイヌの歴史に関しては、多くの歴史資料や記録に基づく総合的な編纂(へんさん)がなされてはいないそうです(説によりますと、文字文化が存在していなかったのもその要因とされています)。また、日本の歴史の中で、アイヌ史の位置づけは、特別に曖昧なまま扱われているようで、学校でも日本史、世界史という授業はあってもアイヌ史を学んだ記憶がないのは私だけでしょうか?

 アイヌ文化が成立した時期のアイヌはコタン(アイヌ語で宅地の意味)単位で、5、6戸の集落で、生活を営んだと考えられています。その後、15世紀頃から交易や和人(日本人)あるいはアイヌ同士の抗争などから地域が文化的・政治的に統合され、17世紀には河川を中心とする複数の狩猟・漁労場所などの領域を含む広い地域を政治的に統合する有力な首長(和人から総大将と呼ばれる)が現れていたと推察されています。

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 白老は、古くからアイヌコタン(集落)のある場所として知られ、アイヌの人々は漁猟生活を営みながら独自の文化を築き上げてきました。その白老町は、アイヌ民族のふるさと「ポロトコタン」としても有名な「ポロト湖」、「ポロトの森」、「クッタラ湖」、「インクラの滝」など、アイヌ語由来の地名が残る町です。



(図1・2)悠然とたたずむコタンコルクル 右手に捧げているのは、イナウと言い、この地の発展と旅の安全、多幸を祈っているそうです。
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ポロトコタン(アイヌ民族博物館) 

 初日の健診終了後、アイヌ民族博物館を案内していただきました(図1〜3)。アイヌの文化遺産を保存公開するために、1965年、白老市街地にあったアイヌの集落をポロト湖畔に移設・復元した野外博物館です。入るとまず、コタンコロクル像がお出迎え。コタンコロクルとは、「むらおさ」と言い、和人(日本人)入植より遥か昔、白老コタンの礎を築いた先駆者で、その偉業を偲び健立されたものだそうです。

 奥に進むと5軒のチセ(茅葺の家)があり(図4)、その中でコタンの解説や、アイヌ古式舞踊など、アイヌ文化に触れ合うことが出来ます。

 アイヌ民族の文化は、自然をカムイ(神)と崇め、衣食住を与えてくれる動植物の恵みに感謝し共存するという自然観がベースになっているそうです。

 天界から地上に降りてきたカムイは、様々な動物や植物、あるいは自然現象に姿を変えて自然界に存在すると考えられています。

 アイヌの人々の生活圏である山野・河川・海の三領域における生業と深く結びついた文化が伝承・保存されています(図5・6)。それが儀式として受け継がれています。山野との関わりでは、イオマンテという、熊の霊を送る最も重要な儀式があります(図7)。

 大きな輪を作って踊ります。河川では、ペッカムイノミ(送りの儀礼)やチプサンケ(舟卸の儀礼)、海では、シリカプ(メカジキ)の霊送りなどがあります。

(図3)ポロトコタンの全体図 (図4)趣深いチセの村落 (図7)イオマンテの様子

 

 

 

左(図5)アイヌ民族博物館の館長さん

右(図6)アイヌの民族衣装をきたガイドさん

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仙台藩白老元陣屋資料館

(図8)白老の教育委員会の方がおっしゃるには、院長にそっくりなご先祖様の三好監物さんです。
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 院長のご先祖様が居られるという事で陣屋資料館を案内していただきました(図8)。

 健診終了後、白老の駅前でお昼を食べ、帰路に着きました。駅前にあるチェップカの広場の「チェップカ」とは、アイヌ語で「日が昇る方向」を意味するそうです。日が昇るように、将来に向かって力強い郷土の発展を願って命名されたそうです。白老町は先人の築いた歴史的遺産や文化の正しい伝承を進めている町なのです(図9・10)。

 最後に、お世話になった白老町の方々に感謝いたします。

(図9)JR白老駅 (図10)最高のアングルを狙って構える煖エ主任。チェプカの広場のモニュメント前にて
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関連リンク: 索引:北海道白老町

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No.202
 
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