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みみ、はな、のどに関する病名、症状などの用語集

白老健診レポート('10)

2010年7月14日〜16日、白老町学校健診に行って来ました。私は去年に引き続いて2度目の参加です。


看護課 浅野 佳代
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健診初日

 14日午後出発。夕食は、ろばた『池田』で院長のご友人の吉田夫妻、島根からいらした皮膚科の澄川先生と、うに・毛ガニ・かき・やまめ・アスパラ等々、北海道の美味しいものを堪能し、15日の健診にそなえました。

 白老町は北海道の南側にあり、海岸沿い、国道36号線に沿って幾つかの地区があります。私たちは、虎杖・白老・竹浦・荻野の4つの中学校と、虎杖・白老・社台・竹浦・荻野・緑丘の6つの小学校の計10校約435名の子供たちの健診を行ってきました。

 白老という名はアイヌ語の「シラウオイ」(虻の多いところ)からきており、日本人が入植する以前からアイヌの大集落(アイヌコタン)がありました。現在もアイヌの血を引く人たちが多く住んでいるそうです。仙台市はこの白老町と1981年「歴史姉妹都市」を提携しています。白老と仙台のかかわりは、今から154年前の1856年に、仙台藩が幕府に北方警備を命じられた時、警備の中心となる陣屋を白老においたことから始まっています。この時、幕府は陣屋を苫小牧におくように命じたのですが、苫小牧は陣屋に不向きで白老に変更したいと申し出たのが、当院の院長の先祖・仙台藩の三好監物です。その後、監物は1857年2代目御備頭として白老に着任しています。戊辰戦争の勃発で仙台藩が撤退するまでの12年間、常時120名ほどの仙台藩士が半年〜1年の任期で北方警備にあたっていたそうです。それから約130年後、三好監物の子孫である当院の院長が耳鼻科医のいない白老町で学校健診をはじめたのが1988年で、今年で23年目になります。

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アイヌ民族博物館を見学

 15日の健診終了後、アイヌ民族博物館(ポロトコタン)と仙台元陣屋資料館を見学させていただきました。ポロトコタンではアイヌの民族舞踊を見た後、その民族衣装に身をつつみ今年もヨモギのソフトクリームをいただきました。来年行く方は是非、民族舞踊を習って来ていただきたいですね。



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元陣屋資料館で武士に変身

 次の仙台元陣屋跡では、澄川先生と私が塩釜神社をお参りしている間、院長と医事課の橋主任が武士に変身していました。院長はさすが武士の子孫だけあって、とてもさまになっていて、そのまま江戸時代にタイムスリップし活躍できそうでした(20Kgの重さの鎧を着て走っていました!)。一方、橋主任は首が回らず手も上がらない状態で、すぐに斬られてしまいそうでした。

 白老に陣屋ができた154年前というと、ちょうど今、NHKが大河ドラマでやっている「龍馬伝」と同じ時代です。坂本龍馬が江戸で剣術修行をしていた頃、仙台藩の北方警備が始まっています。仙台から白老まで、当時は早い時で20日間、川の氾濫や津軽海峡の時化にあうと2カ月間もかかったと言われています。陣屋は仙台から連れてきた大工や人夫、警備の武士、アイヌの人たちの力で、約半年で築かれました。水を張った「堀」と土を高く盛った「土塁」に囲まれた内曲輪と外曲輪の2重の構えをもつ砦でした。内曲輪には本陣や兵具蔵、外曲輪には、兵士の長屋けいこ場がありました。資料館にその頃の絵図や模型があり、当時をしのぶ事ができます。学芸員の武永さんに最近、仙台の古本屋で見つかったという絵図を紹介していただきました。絵図は陣屋だけでなく、海辺のアイヌ集落まで描かれていて、今までにはなかったものだということでした。陣屋で任務にあたっていた武士たちは、12年間の警備の間、実際に外国と戦うことはなかったそうですが、冬の寒さと野菜不足のため23名の方が病に倒れ、ふるさとを離れたこの地で亡くなっていったそうです。陣屋の北西の山の上に塩釜神社を、東に愛宕神社を勧請し、国元の塩釜神社と同じ7月10日に例大祭をおこない、故郷を懐かしみ、また故郷を白老に再現するためアカマツを植えたということです。現在、元陣屋跡にこのときのアカマツが1本だけ残っています。白老ではこのアカマツを大切に保存しているそうです。現在、このアカマツの遺伝子(DNA)をもった苗木を育てていて、来年あたりから植樹をする予定だそうです。


(左)橋(右)院長

白老元陣屋模型
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  仙台藩が、北方警備にあたっている間に世の中は変わっていきます。第13代将軍・徳川家定が亡くなり、第14代将軍・徳川家茂が将軍となり、公武合体、薩長同盟成立、そして第15代将軍・徳川慶喜による大政奉還と日本の政権は徳川幕府から朝廷へと移っていきます。薩摩・長州藩などの倒幕派が、明治天皇の勅許を得て1867年、王政復古を宣言し新政府を誕生させます。ここで旧幕府軍と新政府軍の武力抗戦がおこり戊辰戦争がはじまります。

  このような世の中の情勢を、遠い北の大地・白老で北方警備にあたっていた仙台藩士は知っていたのでしょうか。仙台藩は会津藩に味方し、幕府軍として新政府軍と戦い、賊軍となった仙台藩は新政府軍に降伏します。この知らせを聞いた藩士たちはさぞ驚いたことでしょう。なぜ自分たちが、追われなければならないのか、なぜ賊軍なのか理解できたのでしょうか。 現在のように日々のニュースがリアルタイムに伝わる時代ではありません。何も知らなかったのではないでしょうか。その胸中を思うとやるせなくなります。

  仙台元陣屋資料館に院長のご先祖・三好監物の像があります。三好監物は、白老での任務を終えた後どうなったのでしょう。監物も幕末の時代に翻弄され、その生涯を閉じた勤王の志士だったのです。1859年仙台藩の重役となった監物は藩主に従い江戸や京に行っています。仙台藩も尊王攘夷がさかんになったり、佐幕派に傾いたりして揺れていたようです。1868年旧幕府軍と新政府軍が衝突した鳥羽・伏見の戦いのあと、監物は京で会津藩討伐の命を受け帰藩しますが、仙台藩は会津藩と同盟を結び旧幕府軍となります。監物が新政府軍と内応することを恐れた仙台藩は彼を処断しようとしますが、監物はこれを拒否し自刃してしまうのです。坂本龍馬が暗殺された翌年のことでした。元陣屋資料館に、監物ゆかりの品がたくさん展示してあり、監物が自刃した剣も残されていました。

  幕末から明治維新の変動する時代、仙台でも色々な事があったのだと思うと、1本のアカマツだけが残されたこの仙台藩元陣屋跡に哀愁を感じます。


左より、浅野、院長、
一人おいて澄川先生、橋
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  無事に健診を終え、夕食は教育委員会の本間課長や担当の和田さんと、この日、解禁になったばかりの毛ガニのおさしみを頂きながら、楽しい時間をすごさせて頂きました。 北海道の海の幸や白老牛などを堪能し、今回は歴史のロマンにふれる旅になりました。白老の健診がなければ仙台と白老のかかわりを知る機会はなかったことと思います。

  このような機会をあたえていただいた院長先生、白老町教育委員会の皆さま、同行していただいた澄川先生、去年に引き続き白老の案内をして下さった武永さんに感謝いたします。



関連リンク: 索引 北海道白老町

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No.188
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